2019年09月30日
京都で盟友と名店巡り「赤垣屋」「京極スタンド」ぜよ!
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09:46
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2019年09月29日
幸せの言の葉〈1292〉
「人間社会の仕事にゃあ、相手があるがやき。ほんじゃき、相手の役に立ちゃあえいがよ。そうすりゃあ、必ず成功するぜよ。」(石井誠二)
「つぼ八」を創業し、居酒屋チェーン経営のカリスマと呼ばれ、87年に社長解任の憂き目に遭うも、88年に「八百八町」を創業し再起を果たした実業家、石井誠二(1942〜)さんの言の葉ながやき。
そんな不屈の精神を持っちゅう経営者の言の葉だけに、こぢゃんとシンプルな成功法則やち、まっこと説得力と重みがあるがよ。
あまりにシンプルすぎて、「こんなことだっけで、必ず成功するわけないろう!」と感じてしまうかもしれんけんど、よくよく考えりゃあ、シンプルやけんど、そんなに簡単なことやないがやき。
自分が仕事上で出会う人、その全ての人の役に立つっちゅうことながやき、成し遂げるがはなかなか難しいことながよ。
もしそれができりゃあ、その全ての人はおまさんに感謝するろうし、おまさんに恩返しがしとうなるろうし、おまさんの存在が必要不可欠になるっちゅうことながやき。
そうなりゃあ、そりゃあ確かに「必ず成功する」はずながぜよ。
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2019年09月28日
幸せの言の葉〈1291〉
「自分を変えたいっちゅう希望は、誰やち持つもんやけんど、“変わる”がやのうて、個性を磨いて“成長”していくがぜよ。」(リチャード・H・モリタ)
米国オリソン・マーデン財団理事、米国パーソナル・エクセレンス・マガジン日本語版発行者兼編集責任者、イーハトーヴフロンティア代表などを務める実業家・自己啓発作家、リチャード・H・モリタ(1963〜)さんの言の葉ながやき。
確かに、モリタさんの言の葉の通り、人間は誰やち「自分を変えたい」っちゅう希望を持っちゅうし、また「変わろう」と努力しゆう人も少のうないがよ。
けんど、現状に不満があるきに、特に目指す方向らあもなしに、ただ単に「変わりたい」っちゅうだけやったら、そりゃあ違うがやき。
どう「変わりたい」かが、一番重要ながよ。
それをモリタさんは、「個性を磨いて“成長”していく」ことやっちゅうて喝破するがやき。
人間誰しも持って生まれた個性があり、そん中にこの世で自分が成すべきこと、自分がこの世に生まれた理由、天職といえるような役割が潜んじゅうがよ。
それを見つけ出いて、日々磨いて磨いて、磨き続けて成長していくっちゅうことながぜよ。
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2019年09月27日
2019年09月26日
2019年09月25日
2019年09月24日
2019年09月23日
幸せの言の葉〈1290〉
「自分をその人より優れちゅうとも、偉大やとも思わんこと。また、その人を自分より優れちゅうとも、偉大やとも思わんこと。そうした時、人と生きるががたやすうなるがぜよ。」(レフ・トルストイ)
帝政ロシア時代の小説家・思想家で、19世紀ロシア文学を代表する文豪、レフ・トルストイ(1828〜1910)さんの言の葉ながやき。
人間誰やち、生きることが苦しいと感じるときがあるもんながよ。
そんなときの原因は、大抵は人間関係ながやき。
人間は、ついつい自分と他人を比較してしまう生き物やき、それが反感や嫉妬を呼んだり、軋轢を生んでしもうたりするもんながよ。
結局は、自分と他人を比較してしまうっちゅうことが、全ての根源となっちゅうっちゅうことながやき。
あくまで自分は自分であり、他人は他人であり、どちらも優れちゅう点もありゃあ劣っちゅう点もあって、比較するようなもんやない、全く別の存在でありながら、誰もが同じ素晴らしい人間っちゅう存在なんやと、心の底から真に気づいたとき、自分と他人を比較するような生き方から、訣別することができるはずながよ。
そんとき初めて、人と生きることが苦しいっちゅう呪縛から解放され、人と生きることがたやすいことに昇華されていくがぜよ。
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2019年09月22日
幸せの言の葉〈1289〉
「この世にあるもんで、一つとして過ぎ去らんもんは無いがやき、せめてそん中で、誠を残したいがぜよ。」(島崎藤村)
ロマン主義詩人として活躍後、小説家に転じ、日本を代表する自然主義作家となった、島崎藤村(1872〜1943)さんの言の葉ながやき。
確かに、この世の中に存在しちゅうもんで、永遠にそのまんま存在できるもんらあて何一つないし、全ては過ぎ去っていく運命にあるがよ。
まさにこの世は諸行無常ながやけんど、ほいたらどうせ何ちゃあ無いなるがやき、何をやったち一緒やっちゅうて、好き勝手なことばっかりやらいてもらうっちゅう考え方は、そりゃあ違うと、かの島崎藤村さんは語るがやき。
この世の中は、諸行無常であり、何一つ永遠らあて無いし、全ては過ぎ去っていく運命にあるきにこそ、ほんじゃきにこそ、そんな無常の世の中に、「誠」を残したいたぁ思わんかよと、藤村さんは語りかけてくるがよ。
ほんの一時でもこの世の中でキラリと光る「誠」を残すことができりゃあ、たとえ全ては過ぎ去っていく運命にあったとしたち、その「誠」自体は消えて無いなってしもうたとしたち、その「誠」が生んだ別の「誠」が、さらにその「誠」が生んだ別の「誠」が・・・ちゅう具合に、変わりゆく中やち連面と「誠」が受け継がれていくことができるかもしれんがやき。
そんな「誠」が、もしかしたら永遠になるかもしれんとしたら、何と素晴らしいことやと思わんかよ。
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2019年09月21日
幸せの言の葉〈1288〉
「人を信じや。けんど、その百倍も自らを信じや。時によっちゃあ、信じきっちょった人々に裏切られることもあるがよ。そんなとき、自分自身が強い楯であり、味方であることが、絶望を克服できる唯一の道ながぜよ。」(手塚治虫)
戦後日本において、ストーリー漫画の第一人者として、漫画表現の開拓者的な存在として活躍した偉大なる漫画家、手塚治虫(1928〜1989)さんの言の葉ながやき。
人間として、人は信じるべきながやけんど、時にゃあ信じきっちょった人に裏切られることもあるがも、事実ながよ。
そんなときにゃあ、何もかんも嫌になって、絶望してしもうたりするがやけんど、そっから絶望を克服し、立ち直ることができるかどうかは、どればあ自らを信じることができるかにかかっちゅうと、かの漫画の神様・手塚治虫さんは語られちゅうがやき。
人を信じるその百倍も、自らを信じにゃあいかんっちゅうがよ。
それっぱあ自分自身を強うに信じきることができて初めて、その自分自身が強力な楯となり、味方となって、折れそうな心を支えてくれるがやき。
ほいたら、たとえ最も信じちゅう仲間に裏切られ、絶望のドン底に堕ちたとしたち、必ずやその絶望を克服し、復活することができるっちゅうことながぜよ。
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2019年09月20日
2019年09月19日
2019年09月18日
2019年09月17日
2019年09月16日
幸せの言の葉〈1287〉
「人間はどれっぱあ資質の劣る人やったち、理解されちゅうと感じさえすりゃあ正道に戻れ、能力も発揮できるようになるもんながやき。」(塩野七生)
代表作「ローマ人の物語」(1992〜2006・全15巻)で知られる、日本の歴史作家・小説家、塩野七生(1937〜)さんの言の葉ながよ。
人間っちゅうんは、集団や組織の中で、自分は理解されてないと感じてしもうたら、その集団や組織に対して反発したりしてしもうて、どれっぱあ優れた資質の持ち主やったとしたち、あんまり能力も発揮できんようになってしまうもんやっちゅうことながやき。
けんど逆に、自分は理解されちゅうと心底感じることができりゃあ、無闇に反発したりせんなって正道に戻れ、たとえどれっぱあ資質の劣る人やったとしたち、立派に能力も発揮できるようになるっちゅうことながよ。
集団や組織の中で、自分は理解されちゅう、必要とされちゅうと感じられることこそが、人間を正しい方向に導き、人間の秘めたる真の能力を発揮させることができるっちゅうことながぜよ。
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2019年09月15日
幸せの言の葉〈1286〉
「偉大なる精神は、偉大なる精神によって形成されるがやき。ただし、そりゃあ同化によるよりか、むしろ多くの軋轢によるがよ。ダイヤモンドがダイヤモンドを研磨するがぜよ。」(ハインリヒ・ハイネ)
彼の詩は、様々な作曲者から曲がつけられ、今日なお多くの人々に親しまれゆう、ドイツの詩人で作家の、ハインリヒ・ハイネ(1797〜1856)さんの言の葉ながやき。
偉大なる精神は、他の偉大なる精神によって形づくられるっちゅうことながよ。
ただしそりゃあ、他の偉大なる精神に感化されて同じようになっていくっちゅう同化よりか、むしろ他の偉大なる精神との相克や衝突っちゅう軋轢によるっちゅうて、かの天才ハイネさんは喝破するがやき。
つまり、偉大なる精神たぁ、他の偉大なる精神を持っちゅう人らあと、真剣に本音で意見を交わし、時にゃあぶつかり合うたりしもって切磋琢磨する中で、お互いがお互いを磨き合う中で、生まれ出てくるもんやっちゅうことながよ。
ダイヤモンドがダイヤモンドを研磨し、より美しい輝きを放つダイヤモンドが誕生するっちゅうことながぜよ。
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2019年09月14日
幸せの言の葉〈1285〉
「互いに助け合わんと生きていけんところに、人間最大の弱みがあり、その弱みゆえにお互いに助け合うところに、人間最大の強みがあるがぜよ。」(下村湖人)
青少年に影響を与えた「次郎物語」の著者として知られちゅう、日本の小説家・社会教育家の、下村湖人(1884〜1955)さんの言の葉ながやき。
単独の人間っちゅうんは、全ての生き物の中で最も弱い生き物で、1人じゃあ生きていくことができん、互いに助け合わんと生きていくことのできん生き物ながよ。
生き物としちゃあ、それが人間最大の弱みやと言えるがやき。
けんど、その弱みゆえに、全ての生き物の中でほとんど唯一、お互いに思いやり、お互いに助け合うことができる生き物ながよ。
お互いに思いやり、お互いに助け合うことができるきに、単独じゃあ最弱の生き物と言える人間が、「万物の霊長」と言われるようになったがやき。
最大の弱みが、実は最大の強みながよ。
つまり、お互いに助け合うことができんような人間は、この最大の強みを生かすことができんきに、「万物の霊長」たぁ言えんし、単なる最弱の生き物でしかないっちゅうことながぜよ。
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2019年09月13日
2019年09月12日
2019年09月11日
2019年09月10日
2019年09月09日
2019年09月08日
幸せの言の葉〈1284〉
「魂のもっとも高度な完成は、人を楽しませることができるっちゅうことにあるがぜよ。」(ヴォーヴナルグ)
フランスのモラリスト、リュック・ド・クラピエ・ド・ヴォーヴナルグ(1715〜1747)さんの言の葉ながやき。
ワシらあは、お酒の業界におって、それを生業にしちゅうけんど、お酒っちゅうもんの存在意義は、究極のところは「人を楽しませること」にあるがやないかと思うがよ。
ワシゃあ全国各地や海外らあで、これまで何百回・何千回と日本酒を楽しむ会らあを開催してきたけんど、その目指すところや目的は、参加された皆さんを思いっきり楽しませて、幸せいっぱいになっていただくことにあると、あらためて思うがやき。
ちゅうことは、ワシらあのやりゆうことは、ワシらあの生業は、ヴォーヴナルグさんに言わせりゃあ、「魂のもっとも高度な完成」につながっちゅうっちゅうことになるがよ。
なんと嬉しいこと、なんと誇らしいことやろか!
考えてみりゃあ、お酒の業界にかぎらんと、どんな業界やち、どんな生業やち、その究極の目的は、「人を楽しませること」やと言えるがやないろうか。
日々働くことで、仕事をしていくことで、「人を楽しませること」ができて、自分の魂ももっとも高度な完成に近づいていけるっちゅうことながやき。
なんと素晴らしいことやろか!
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2019年09月07日
幸せの言の葉〈1283〉
「議論は知識の交換であり、口論は無知の交換ぜよ。」(ロバート・クィレン)
アメリカ合衆国の作家でありコメディアン、ロバート・クィレン(1887〜1948)さんの言の葉ながやき。
議論も口論も、一見おんなじように思えるけんど、その本質は実は全く正反対やっちゅうことながよ。
土佐人は議論好きやとよう言われるように、酒の席らあで口角泡を飛ばして議論し合いゆう姿らあを、しばしば見かけるがやき。
けんど、その議論が白熱し、いつの間にか口論になってしもうちゅうことが少のうないような気がするがよ。
そりゃあつまり、せっかくの「知識の交換」が、「無知の交換」に変わってしもうたっちゅうことを意味しちゅうがやき。
「議論は知識の交換」であり「口論は無知の交換」じゃっちゅうことを、しっかりと肝に銘じて、これからは議論したいもんじゃのう!
それさえ肝に銘じちょきゃあ、議論が口論に変わりそうになった時に、「イカンイカン!」っちゅうて、軌道修正することができるはずながよ。
ほいたら最後まで、「知識の交換」ができるっちゅうことながぜよ。
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2019年09月06日
2019年09月05日
2019年09月04日
2019年09月03日
2019年09月02日
2019年09月01日
幸せの言の葉〈1282〉
「雨を感じられる人間もおるし、ただ濡れるだっけの奴らあもおる。」(ボブ・マーリー)
ジャマイカのレゲエミュージシャンで、その音楽はラスタファリ運動の思想を背景としちょって、彼の音楽と思想は数多くの人々に多大な影響を与えたと言われる、ボブ・マーリー(1945〜1981)さんの言の葉ながやき。
スラム街に育って、ホームレスやったっちゅうボブ・マーリーさんは、あちこちさまよいもって、雨の日にゃあ雨に打たれもって、思索を重ねたはずながよ。
ただ雨に濡れるだっけやのうて、全身全霊で雨を感じ、ただ太陽の光を浴びるだっけやのうて、全身全霊で太陽の光を感じ、ただ貧困に喘ぐだっけやのうて、全身全霊で貧困を感じ・・・そんな中で彼の音楽と思想が、生まれ育っていったがやき。
周りにゃあ、おんなじような体験をした人は、それこそごまんとおったはずながよ。
彼は何が違うちょったかっちゅうたら、そりゃあ一言で言うたら、「感じる力」ながやき。
雨を感じ、太陽を感じ、風を感じ、自然を感じ、社会を感じ、目に映る全てを感じ・・・思索を重ね重ねて、昇華し、結晶させることのできる、大きな大きな力ながぜよ。
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