2022年08月31日
第1回「映画『おきゃく(OKYAKU)』実行委員会」開催ぜよ!
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09:47
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2022年08月30日
2022年08月29日
馬場啓一氏の新著「毀誉褒貶 だから魯山人」はこぢゃんと面白いぜよ!
今回は、久々のお薦め書籍で、ワシの憧れの存在でもあるダンディーな文筆家、馬場啓一さんの新著「毀誉褒貶 だから魯山人」(馬場啓一 著 夏目書房新社 令和4年7月23日発行 2500円+税)を、ご紹介さいていただきますぜよ。

ちなみに馬場さんは、東京で開催された司牡丹のお酒の会らあで、何度かご一緒さいていただいたことがあり、またかなり昔になるけんど、ジャズ雑誌「Swing journal」の馬場さんの連載コーナー、「JAZZ VIP ROOM」にて対談さいてもうたこともあるがやき。
馬場さんは、ミステリ、ジャズ、映画、酒、ファッションっちゅう幅広いジャンルに造詣が深うて、そんな分野のエッセイを手がけらるほか、小説も執筆されるっちゅう文筆家であり、何ちゅうたちダンディーでカッコえいき、憧れの先輩っちゅうイメージを、ワシゃあ勝手に抱かいてもうちゅうがよ。

これまでに、ジャズ・ミステリー・酒についてや、白洲次郎さんや池波正太郎さんについての著書らあを執筆されてこられた、そんな馬場さんの新著が、今回はかの北大路魯山人さんやっちゅうがやき、こりゃあまっこと楽しみやったがやき。
しかも、さすがは馬場さんっちゅう感じの、ご覧のとおりのちくと凝った、カッコえい装丁の書籍になっちょって、この書籍を眺めたり、手にして愛でたりするだっけで、ワクワクしてくるっちゅうもんながよ!

ほいたら早速、その内容についてをちくとご紹介さいていただきますぜよ。
魯山人さんに関する書籍は、これまでにワシも何冊か読んだことがあるけんど、それらあは魯山人さんの料理に関する書籍やって、今回の馬場さんの新著は、「魯山人の人間観」「魯山人の誕生」「魯山人の性格」「魯山人の才能」「魯山人昇天」「その後」っちゅう具合に多岐にわたり、北大路魯山人っちゅう人間そのものを炙り出しちょって、まっことこぢゃんと面白かったがやき。
まず、魯山人さんがその才能を最初に開花さいたがは、二十歳そこそこのときに大日本書道展に入賞し、第二位を獲得(一位は空席のため実質一位)するっちゅう、華々しいデビューやったっちゅうがよ。
学歴ものうて、これっちゅう師にも就かんと、人一倍の努力っちゅう全くの自力のみで、この高みに到達したっちゅう事実が、その後の魯山人さんに強烈な自負と自信を与えたことやろうっちゅうがやき。
ちなみにこの入賞の作品「千字文」は、時の宮内大臣田中光顕さんのお買い上げとなったと書かれちょって、田中光顕伯爵といやあ、我が町佐川町出身の偉人で、司牡丹の命名者でもあるきに、ちくと縁を感じさいてもうたがよ。
さて、著者の馬場さんは、魯山人っちゅう不思議で厄介な人格を解き明かすカギは、学校における同級生同士の、「ワシおまん」っちゅう深い気脈の通じ合いを有する知己を持たんと、師との上下関係も形式的にゃあ経験せんかった魯山人さんにとっちゃあ、出会う人間の全てが警戒心を抱いて接する必要のあるもんやったっちゅう点にあるっちゅうがやき。
誰が敵か、味方か、わからんし、そもそも世の中に味方らあておる筈もないっちゅうんが、魯山人さんの人間観やなかっつろうかっちゅうがよ。
ほんじゃき、「要するに、おまんとワシ、どっちが偉いがぜよ?」っちゅうんが、魯山人さんの土壌にあり定理となっちゅうっちゅうがやき。
最初から強う出て、先手必勝で、勝てる相手としか喧嘩をせんし、ひと目で自分より弱いと踏みゃあ、コテンパンにやっつけて戦意を奪う……動物と一緒やっちゅうがよ。
後にパリまで出向いて、かのピカソさんに会うた際に、魯山人さんはまったく敬意を払わんと、バカにしたっちゅうこともあるっちゅうがやき。
そんな魯山人さんやに、大磯の吉田茂さんに会うた際にゃあ、さすがにコチコチになって、帰り際に靴を左右間違えて履こうとしてしもうたっちゅうがよ。
吉田茂さんといやあ、高知県出身の総理大臣であり、司牡丹を愛飲された方やきに、ここでもまたちっくと縁を感じさいてもうたがやき。
さて、魯山人さんは書家から入り、篆刻家として身を立てよった頃、金沢の油屋で土地の素封家、細野燕台さんの家に1ヶ月ばあ居候したっちゅうことが、その後の方向性を決定付けたっちゅうがよ。
ここで魯山人さんは、居候の負い目引け目を解消させるために、細野一家の三度の食事を作り、彼らあをこぢゃんと満足さいたっちゅうがやき。
さらに、漢学に詳しゅうて書画骨董にも造詣が深かった燕台さんは、茶人としても鳴らし、魯山人さんに大きな影響を与えたっちゅうがよ。
燕台さんは、古来の名品から今出来のもんまで、数多くの酒器や食器を所有しちょって、それらあを惜しげものう魯山人さんに見せたっちゅうがやき。
今出来のもんっちゅうんは、他でもない燕台さん自身が作った酒器や食器やったっちゅうがよ。
細野家に窯があったわけやのうて、これらあは全て加賀山代の陶芸家須田菁華さんに注文し、職人に轆轤をひかいて出来上がったもんで、これらあに自ら絵付けして焼いたもんやったっちゅうがやき。
自分好みの食器を、自分で作り上げる満足に目覚め、そして面倒な下ごしらえは職人に任せりゃあ済むんやっちゅう発見に瞠目し、さらにゃあ自分でこしらえた食器に自分で作った料理を乗せて提供する喜びにも、こん時に気づいたがやないかっちゅうがよ。
ほんで、後に論議の元となる、魯山人は自分で轆轤をひかんき真の陶芸家たぁ言えんっちゅう批判も、その根源はここにあるっちゅうがやき。
著者の馬場さんは、もっとも現在じゃあ、答えはハッキリしちゅうっちゅうがよ。
確かにそうやったとしても、そのことが陶芸品としての価値を損なうもんやない、自らが手掛けちゅう以上、北大路魯山人さんの作品は真価を失わんっちゅう見方に落ち着いちゅうっちゅうがやき。
すなわち、下ごしらえっちゅう感じで職人が轆轤を回して作ったもんやち、それを魯山人さんは丹念に、しかし一瞬のもとに性根を見極め、それに沿うてカタチを整えたっちゅうがよ。
同じ窯でこしらえて、同じように形成されたもんやち、魯山人さんの物真似作品は、当の魯山人さんの手になるもんたぁ雲泥の違いを見せたっちゅうがやき。
オリジナリティとか個性とよばれるもんが、これであり、そしてそれこそが芸術の本質に他ならん、魯山人さんが手を加えりゃあ土は息を吹き返したっちゅうて、馬場さんは語られちゅうがよ。
その後、魯山人さんは大正14年に、かの有名な会員制の美食倶楽部、「星岡茶寮」を開店させるがやき。
さらに開業の2年後、北鎌倉の自宅近く山崎の地に、「星岡窯」を開くがよ。
これまでの人類の歴史において、自分でこしらえた料理を供するために、ただその一つの目的のために陶芸の窯を開いた人間はおらん、そしておそらくこれからもおらんやろうと、馬場さんは強調されるがやき。
また、魯山人伝説のハイライトとも呼ぶべき、パリのトゥール・ダルジャンの鴨料理を、日本から持ち込んだ粉ワサビと醤油で食べたっちゅう武勇伝も、馬場さん独自の切り口で紹介されちゅうがよ。
トゥール・ダルジャンの創業は1582年やき、魯山人さんが訪問した際にゃあ創業から370年ばあ経っちゅう老舗中の老舗の名店であり、そんな店でこういう振る舞いをした人間はおらんし、今後もおらんやろう、魯山人さんにして可能な所業やっちゅうがやき。
傍若無人と言やあそれまでやけんど、たとえば番号付きで出された鴨が実は見せるためだっけのもんで、肝心の料理は奥で成されよったらあっちゅうことを、魯山人さんはしっかり看破しちゅうっちゅうがよ。
また、日本でロクなもんを食べてない日本人が、フランスで初めてありついた西洋料理を有り難がるがは当然で、それを真に受けて、人々がフランス料理を持ち上げるがはおかしいっちゅう魯山人さんの言葉を取り上げ、馬場さんは「一理ありますね。評価の基準の問題。」っちゅうて、語られちゅうがやき。
さらにゃあ、フランス料理店自体の問題として、魯山人さんは、その素材の程度の低さ、水の悪さ、十年一日のその料理技術の停滞、チープな器に粗野なボーイなどなど、苦々しゅう指摘しちゅうっちゅうがよ。
魯山人さんにゃあ、伝統と評判の上に胡座をかいたフランス料理と料理屋が、無性に腹立たしいもんに映り、我慢ならんかったがやろうと、馬場さんは語られちゅうがやき。
ほんで、このご著書のラストを、以下のように締め括られちゅうがよ。
「魯山人の体内にゃあ毒が含まれちょった。河豚がそうであるように。けんどそれを知ったち、心ある人は魯山人を褒めたがやき。
短い付き合いで終わった人も多いけんど、長う付き合いをした人も、又おったがよ。魯山人を認めて、の事ながよ。
このように魯山人にゃあ、始めっから毀誉褒貶が備わっちょったがやき。
大いに褒められ、絶賛され、同時に大いに人々から悪口を浴び、低められた魯山人。
文字通り毀誉褒貶である。
本書を『毀誉褒貶 だから魯山』と銘打ったがは以上の理由によるがぜよ。」
さらに「あとがき」にゃあ、次のとおり書かれちゅうがよ。
「魯山人のような破天荒な男は、そうおらん。軌跡を追うがは、ほんじゃき楽しかった。読んで面白うなかったら、そりゃあ書き手の責任ながやき。」
馬場さん!魯山人さんの一生をリアルに追体験さいてもうたようで、まっこと面白かったがよ!
魯山人さん自身の破天荒な面白さももちろんやけんど、馬場さんの名ナビゲートのお陰で、より一層面白う読み進めさいていただき、終盤に近づくにつれ、「まだ終わらんとってほしい!まっと読みたい!」っちゅう気持ちがドンドン強うなっていき、読破した際にゃあちくと「魯山人ロス」になってしもうたばあながやき。
「毀誉褒貶 だから魯山人」……こぢゃんとお薦めさいていただきますぜよ!
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司牡丹酒造株式会社
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2022年08月28日
幸せの言の葉<1624>
「知らん人に初めて会うて、その笑顔が気持ちよかったら、そりゃあえい人間やと思うて差しつかえないぜよ。」(フョードル・ドストエフスキー)
代表作「罪と罰」「カラマーゾフの兄弟」らあで知られる、帝政ロシアの小説家・思想家で、トルストイ、ツルゲーネフと並び19世紀ロシア文学を代表する文豪、フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー(1821〜1881)さんの言の葉ながやき。
初めて会うた人の笑顔が気持ちよかったっちゅうだっけで、その人をえい人間と思うて差しつかえないらあて、今の時代にゃああまりに警戒心が無さ過ぎる、あまりに無防備やないかっちゅうて、大半の人が思うてしまうがやないろうか。
ワシも最初は、そう思うたがよ。
けんど、じっくり考えてみりゃあ、ほいたら自分が今までに初めて会うた人で、「この人の笑顔は気持ちえい!」っちゅうて思うたことが、どればああったかっちゅうたら、あんまりないっちゅうことに気づいたがやき。
誰やち、知らん人に初めて会うた瞬間は、緊張したり警戒したりしてしまうもんやき、なかなか気持ちがえい笑顔らあて、おいそれとできるもんやないがよ。
また、初対面の人のつくり笑いや愛想笑いらあて、直感的にすぐに見わけられてしまうもんながやき。
ほいたら、初対面やに「気持ちがえい」と心から感じられる笑顔ができる人っちゅうんは、緊張も警戒もしてない、つまり自分から既に心を開いちょって、しかもそりゃあつくり笑いでも愛想笑いでもないっちゅうことになるがよ。
つまりは、その人の内面からにじみ出てしまう、自然体の笑顔やっちゅうことながやき。
……ちゅうこたぁ、ドストエフスキーさんの言の葉のとおり、初めて会うた人の笑顔が気持ちよかったら、そりゃあえい人間やと思うたち差しつかえないっちゅうんは、現代やち通用するといえるかもしれんっちゅうことながぜよ。
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2022年08月27日
幸せの言の葉<1623>
「人間は善良でありゃああるばあ、他人の良さを認めるがよ。けんど、愚かで意地悪でありゃああるばあ、他人の欠点を探すがぜよ。」(レフ・トルストイ)
代表作「戦争と平和」、「アンナ・カレーニナ」らあで知られる、帝政ロシアの小説家・思想家で、ドストエフスキー、ツルゲーネフと並び19世紀ロシア文学を代表する文豪、レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ(1828〜1910)さんの言の葉ながやき。
非暴力主義者としても知られ、文学のみならず、政治や社会にも大きな影響を与えたっちゅう、かのトルストイさんの今回の言の葉を読んだ瞬間、他人の欠点ばっかしを指摘して、えいところらあ見ろうともせんような人は、大いに反省せにゃあいかんっちゅうことながよ。
そんな、欠点ばっかしを指摘する傾向が強けりゃあ強いばあ、その人はより愚かで、より意地悪な人やっちゅうことの証明になるっちゅうことながやき。
確かに、他人の欠点はこぢゃんと目につくもんやき、ついついアラさがしをしてしまいがちやけんど、そんなアラさがしをするときの重箱の隅をつつくような目でもって、真逆の美点さがしをしてみろうや!
意外な人に意外な美点や長所が発見できて、ちくとビックリしたりすることが、結構な確率であるもんながよ。
ほいたら、そんな他人の美点さがしをすりゃあするばあ、ドンドン周りの人みんなあがえい人ばっかしに見えてきだすがやき。
そうなりゃあ、ドンドン自分の日々の幸福感も増していくことになり、結果としてドンドン善良な人間になっていくっちゅう、つまりはそういうことながぜよ。
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2022年08月26日
2022年08月25日
2022年08月24日
2022年08月23日
故・竹村維早夫「正六位」に叙位ぜよ!
ワシの父であり司牡丹酒造先代社長の竹村維早夫が、本年6月17日(金)に亡くなってから丁度2ヶ月目の8月17日(水)、高知税務署の署長さんらあが司牡丹酒造にお越しになり、故・竹村維早夫に対しての、「正六位」の叙位を賜ったがやき。

叙位・叙勲たぁ、国家または公共に対して功労のあったもんに授与されるもんで、既に亡くなっちゅう場合にゃあその生前最後の日(逝去日)にさかのぼって叙位・叙勲が行われ、同時に位階が授与されるっちゅうがよ。
ほんで、叙位の旨を記して授与される証書を「位記」と呼び、位階に叙せられる叙位の制度は、大正15年の勅礼第325号で定められた位階令にもとづくもんやっちゅうがやき。
この位階たぁ、功績のある人物や在官者らあに与えられる栄典の一種で、古うは律令制における官人の序列、座位を示す等級であったことに端を発したもんやっちゅうがよ。
位階令における位階は、正一位、従一位、正二位、従二位……正八位、従八位までの十六階から成っちゅうっちゅうがやき。
ちなみに父・維早夫は、平成8年11月に「藍綬褒章」を受章しちょって、平成14年5月にゃあ、「勲五等双光旭日章」を受章しちゅうきに、そこにさらに「正六位」が加わったっちゅうことで、まっこと名誉なことながよ。

ありがとうございましたぜよ!
また、父の急逝以降いろいろバタバタやったがやけんど、葬儀の際にたくさんの皆さんから多数頂戴しちょったご弔電らあを整理しよったら、高知県出身の直木賞作家・山本一力さんから頂戴したご弔電を発見したがやき。
さすが一力さんっちゅう感動の名文やき、このまんま埋もれさいてしまうがはちくとモッタイナイきに、以下にそのまんま掲載さいていただきますぜよ。
梅雨空を江戸で見上げながら、初対面の日を思い出しています。
高知市内を出た時の重たい空は、佐川に入った後も変わらずでした。
ところが講演会場で会長と向き合うなり、一気に雲が失せて青空が顕れました。
陽を浴びた木々や畑の緑の、艶やかなこと。
清流の水面の、キラキラした輝き。
行き交うひとが浮かべた正味の笑み。
これが佐川だ、竹村さんだとの思いが身体の芯を駆け回りました。
あの日に覚えた深き感慨は、竹村様への敬愛の念とともに失せることはありません。
ご冥福を衷心より祈念いたします。
山本一力
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司牡丹酒造株式会社
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2022年08月22日
2022年08月21日
幸せの言の葉<1622>
「心がこもったもんは相手に伝わるもんながよ。時代に関係のう、仕事に心を込めるこたぁ変わらんがぜよ。」(久保田五十一)
イチロー選手や松井秀喜選手らあをはじめとする、プロ野球選手のバットを長年に渡り作り続けてきた、ミズノテクニクス(株)のバット職人、久保田五十一(1943〜)さんの言の葉ながやき。
ワシも還暦となって、どんな仕事やち心をこめりゃあ相手に伝わるんやっちゅうことを、最近つくづく強う感じるがよ。
そりゃあ、ありきたりの精神論的な意味やのうて、たとえばセールストークひとつやち、電話一本やち、何じゃち本気で魂をこめて語りゃあ、ホンマに相手の心に響くっちゅうことながやき。
ほんで、もし相手の心に響かんかったとしたら、そりゃあほぼほぼ、本気で魂をこめたかっちゅうたらちくと怪しい、つまりチビッとばあ手を抜いちゅうっちゅうことながよ。
そんなことない、いつも通り本気で魂をこめちゅうっちゅうて思うたとしたら、そりゃあほとんどの場合、「いつも通り」がマンネリになっちゅうか、もしくは確かに「いつも通り」やけんど、最近他の人らあのレベルが上がって、おまさんの「いつも通り」が、相対的にレベルが下がっちゅうっちゅうことながやき。
ほんじゃき、本気で心をこめりゃあ、相手に伝わるっちゅうんは、絶対に間違いないことながぜよ!
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2022年08月20日
幸せの言の葉<1621>
「教養は『世界でいわれ、考えられた最上のことを知る』ことぜよ。」(マシュー・アーノルド)
イギリスの耽美派詩人の代表で、文明批評家でもある、マシュー・アーノルド(1822〜1888)さんの言の葉ながやき。
子供ん時から、「勉強せにゃあいかん」とか「教養を身につけにゃあいかん」とかいわれて、ワシらあは勉強とか教養はつまらんもん、楽しゅうないもんを、無理矢理我慢して努力して手に入れるもんやと、思い込んでしもうちゅうがよ。
けんど、実はそういうもんやのうて、教養たぁ「世界でいわれ、考えられた最上のことを知る」ことやっちゅうがやき。
この視座を持った瞬間、「教養」っちゅう言葉が、一気に楽しゅうて興味津々のもんに変わるがよ。
つまり、自分がこぢゃんと興味を持っちゅう分野、三度の飯より好きっちゅう分野において、「世界でいわれゆう最上のこと」「世界で考えられた最上のこと」らあについて知ることが教養やとすりゃあ、それらあについて学ぶことらあて、苦痛でも何でものうて、むしろこぢゃんと楽しいことになるはずながやき。
こういうことに早いうちから気づいちゅう人らあが、真に教養のある人となって、世界を変えてきたっちゅうことながぜよ!
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2022年08月19日
2022年08月18日
2022年08月17日
2022年08月16日
2022年08月15日
幸せの言の葉<1620>
「愛嬌っちゅうんは、自分よりか強いもんをたおすやわらかい武器ながぜよ。」(夏目漱石)
明治の文豪として、日本の千円紙幣の肖像にもなった小説家で、教師・評論家・英文学者・俳人でもある、近代日本文学を代表する文豪、夏目漱石(1867〜1916)さんの言の葉ながやき。
ホンマに愛嬌がある人っちゅうんは、その人に接すりゃあ誰やち思わず笑顔になって、好感を抱かずにゃあおれんっちゅう、独特のやわらかさを持っちゅうがよ。
どればあ小難しい頑固オヤジやち、そんな愛嬌のある人に接すりゃあ、やわらかい心持ちが伝染して、小難しい言葉やキツい言葉らあが出てこんなってしまうがやき。
たとえば、可愛らしい子供の純真無垢で愛嬌あふれる笑顔を見りゃあ、誰やちその凄いパワーを、まざまざと実感することができるはずながよ。
これが、愛嬌っちゅうもんが自分よりか強いもんをたおす、やわらかい武器やっちゅうことの意味ながやき。
ほいたら、世界中にこのやわらかい武器が拡がっていきゃあいくばあ、世界中から本物の武器が無いなっていくっちゅうことになるはずながぜよ!
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2022年08月14日
幸せの言の葉<1619>
「知性が増すにつれて、人それぞれの個性をより多く見いだすようになるがやき。凡人は人それぞれの違いがわからんがぜよ。」(ブレーズ・パスカル)
神童として数多くのエピソードを残し、様々な概念や原理や定理らあを発見した、フランスの早熟の天才哲学者であり、物理学者・思想家・数学者・キリスト教神学者・発明家・実業家でもある、ブレーズ・パスカル(1623〜1662)さんの言の葉ながよ。
自分と考え方や価値観が違う人と出会うたら、「何でこの人はこんな変な考え方や価値観を持っちゅうがやろう?」と感じて、他人に対して反発や嫌悪感しか持たんっちゅうような人を、かの天才パスカルさんは「凡人」と呼ぶがやき。
なんぼ頭が良うて勉強ができて、えい大学を出て知識が豊富にあるように見えたち、他人の違う考え方や違う価値観に対して、反発や嫌悪感しか抱かんような人は、パスカルさんに言わせりゃあ、そりゃあ知性がないっちゅうことになるがよ。
ホンマの知性たぁ、知性が増しゃあ増すばあ、人それぞれの個性を理解して、人それぞれのえいところを足るばあ見いだすことができるようになるもんながやき。
つまり、ホンマの知性を身につけりゃあ、おまさんの周りにゃあ、素晴らしい才能の持ち主だらけやっちゅうことになるがぜよ!
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2022年08月13日
幸せの言の葉<1618>
「えいもんをひとの足もとへそうっとおいて、しらん顔をしちょりたいぜよ。」(八木重吉)
生前に刊行した詩集は1冊のみで、昭和初期に若うして病没したけんど、死去から約20年が経過した太平洋戦争後に、クリスチャン詩人としての評価が高まった詩人、八木重吉(1898〜1927)さんの言の葉ながやき。
「陰徳陽報(いんとくようほう)」っちゅう言葉があるけんど、こりゃあ人しれず善行を積みゃあ必ずえい報いを得るもんやっちゅう意味ながよ。
八木重吉さんの今回の言の葉は、この「陰徳陽報」とかなり似いちゅうようなけんど、実は大きな違いがあるがやき。
八木さんの言の葉にゃあ、まったく「陽報」の期待がないがよ。
つまり、後のえい報いを期待して、人しれずえい行いをするっちゅうんやないっちゅうことながやき。
「陰徳陽報」っちゅう言葉にゃあ、どういたち後のえい報いに対する期待が、ちびっと見え隠れしてしまうがよ。
八木さんの場合は、えいもんを誰かの足もとに人しれずおいちょいて、しらん顔をしちょって、後でその誰かが悦びゆうっちゅう、その瞬間に既に自分は報われちゅうっちゅう、そういう感覚ながやき。
後の報いを期待して行う善行よりか、こっちの方が一段も二段も格が上やたぁ思わんかよ?
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2022年08月12日
幸せの言の葉<1617>
「誰しもが代わりがきくようで代わりがきかんがぜよ。」(マルティン・ハイデガー)
ドイツの実存哲学を代表する哲学者で、「存在と時間」っちゅう名著で知られる、マルティン・ハイデガー(1889〜1976)さんの言の葉ながやき。
物が存在するっちゅうんはどういうことながかを探求し続けた、ハイデガーさんらしい言の葉ながよ。
確かに、ただ単に同じレベルの仕事ができるかどうかとかだっけを考えりゃあ、誰しもが代わりはきくがやき。
また、まったく代わりがきかんようじゃあ、引き継ぎや世代交代らあも難しゅうなって、全ての組織は年月が経ちゃあいつしか成り立たんなってしまうがよ。
そりゃあそのとおりながやけんど、それでも、誰しもが代わりがきくようで代わりがきかんっちゅうんは、実は真理ながやき。
たとえ先輩から仕事を引き継いで、先輩とおんなじようにしゆうように見えたち、何から何まで全てがまったくおんなじかっちゅうたら、絶対に違う部分があるもんながよ。
まったくおんなじことをしよったち、それでも何らかの違いがにじみ出てしまうっちゅうんが、人間の個性っちゅうもんながやき。
たとえば、電話一本を取って、「はい。○○株式会社です。」「いつもお世話になっております。△△ですね。しょうしょうお待ちください。」っちゅう、マニュアルどおりの応対をしたとしたち、必ず言外に雰囲気や個性がにじみ出てしまうもんやし、忙しい中でイヤイヤ電話を取ったかそうやないかとからあは、簡単に相手に伝わってしまうもんながよ。
ほんじゃき、人間は誰しもが、代わりがきくようで代わりはきかん、おまさんは紛れものう、この世界に唯一無二の貴重な存在やっちゅうことながぜよ!
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2022年08月11日
2022年08月10日
2022年08月09日
2022年08月08日
2022年08月07日
幸せの言の葉<1616>
「体のサイズは関係ないがよ。ハートのサイズが大切ながぜよ。」(アレン・アイバーソン)
アメリカ合衆国のバスケットボール選手で、NBAシーズン得点王、シーズンMVP受賞者の中で、もっとも身長の低い選手やっちゅう、アレン・アイバーソン(1975〜)さんの言の葉ながやき。
バスケットボールっちゅうスポーツは、もっとも体のサイズが重要となるスポーツやといえるがよ。
そんなスポーツにおいて身長が低いアレンさんが、頂点といわれるNBAで活躍し、しかもシーズン得点王やシーズンMVPを受賞しちゅうっちゅうがやき、こりゃあ本物ながやき。
そんなアレンさんが、体のサイズやなかったら、何が重要ながかっちゅうたら、そりゃあハートのサイズやっちゅうがよ。
ほいたら、「ハートのサイズ」たぁ何ながか?
アレンさんは、体のサイズでプレイしゆうがやのうて、ただハートでプレイしゆうがやっちゅうて言いたいがやき。
しかも、自分がリーグで一番でっかいハートを持っちゅうと思うちゅうっちゅうがよ。
つまり「ハートのサイズ」っちゅうんは、一種の比喩ながやき。
どんな分野においても、たとえ何か決定的に重要な部分が欠けちょったとしたち、別の部分で自分自身が一番やと思えることさえありゃあ、その分野で一流といわれるトップになることができるっちゅうことながぜよ。
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2022年08月06日
幸せの言の葉<1615>
「もっとも難しいこたぁ自分自身を知ること。もっとも簡単なこたぁ他人に忠告することぜよ。」(タレス)
ソクラテス以前の哲学者の1人で、西洋哲学において、古代ギリシャの記録に残る最古の哲学者といわれる、タレス(紀元前624頃〜紀元前546頃)さんの言の葉ながやき。
人間は、人生においていろいろ学んできたら、ついつい他人に忠告しとうなってしまうもんながやけんど、最古の哲学者といわれるタレスさんによりゃあ、そりゃあ実はもっとも簡単なことやっちゅうがよ。
せっかく人生においていろいろ学んできたに、それをそんな「もっとも簡単なこと」についやしよっちゃあ、おまさんの学んできたこたぁ、所詮そればあの底の浅いもんかよっちゅうことになるがやき。
ほんじゃき、他人に忠告らあしゆうヒマがあったら、自分自身を知るっちゅうことに、人生の学びの時間を使いなさいっちゅうことながよ。
しかも、「自分自身を知る」っちゅうこたぁ、もっとも難しいことやっちゅうがやき、自分の一生を懸けて学ぶにふさわしいネタやっちゅうことながやき。
さて、おまさんっちゅう人間は、いったい何者ながぜよ?
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2022年08月05日
2022年08月04日
2022年08月03日
2022年08月02日
2022年08月01日