2024年01月31日
「高知女性経営者の会(ひよこ会高知)」の2024年度新年会ぜよ!
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2024年01月30日
2024年01月29日
2024年01月28日
幸せの言の葉<1783>
「人間、逆境にあるときゃあ、クリエイティブになるほかないがよ。昼も夜も考えに考え、深う理解しょうとするもんぜよ。」(ビル・ゲイツ)
アメリカ合衆国の実業家で、かのマイクロソフト社の共同創業者であり元会長兼顧問、ビル・ゲイツ(1955〜)さんの言の葉ながやき。
人間誰やち、逆境だらけの人生らあて嫌なもんやき、順境を望むもんながよ。
けんど、かのビル・ゲイツさんに言わせりゃあ、誰やち嫌がおうでもクリエイティブになれる環境こそが、逆境やっちゅうことになるがやき。
確かに、誰やち逆境にあるときゃあ、昼も夜も考えに考え続けて、深いところまで理解しょうとするき、クリエイティブにならざるを得んがよ。
つまり、クリエイティブになりたいやったら、逆境を利用せえっちゅうことながやき。
逆境にあるきにこそ、クリエイティブになれるし、知恵も湧いてくるき、それによってどんな逆境やち乗り越えられるし、それによって人間は成長し続けることができるがよ。
ほいたら、逆境こそが、自分の人生にとっちゃあ、大切な宝物になるっちゅうことながぜよ!
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2024年01月27日
幸せの言の葉<1782>
「ワシの義務は猛烈に楽しむことぜよ。」(オスカー・ワイルド)
「サロメ」「幸福な王子」らあの代表作で知られる、アイルランド出身の詩人・作家・劇作家、オスカー・ワイルド(1854〜1900)さんの言の葉ながよ。
「義務」っちゅうたら本来は、人がそれぞれの立場に応じてやるべき務めっちゅう意味の言葉やき、「猛烈に楽しむこと」が義務やっちゅうて言われたら、ちくと違うような気がしてしまうがやき。
一方、これが「権利」っちゅう言葉やったら、あるものごとを自分の意志で自由に行うたりすることができる資格や能力っちゅう意味の言葉やき、こっちの方が「猛烈に楽しむこと」にゃあピッタリくるような気がしてしまうがよ。
ほいたら何で、かのオスカー・ワイルドさんは、「権利」やのうて「義務」の方を選んだがやろうか?
「猛烈に楽しむこと」が「権利」やったら、自分の意志で自由に行うたり、行わんかったりできるっちゅうことになってしまうけんど、これが「義務」やったら、そりゃあ やるべき務めながやき、やらにゃあいかんことになるがやき。
つまり、「猛烈に楽しむこと」が人生においちゃあ、何をさておいたちやらにゃあいかんことやっちゅうて、ワイルドさんは強調したいっちゅうことながよ。
何ごとやち「猛烈に楽しむこと」ができりゃあ、そりゃあその分野を究めて、一流になれることを意味しちゅうがやき。
つまり、ある分野を究めて一流になれて、且つ人生を思いっきり謳歌できるっちゅう生き方が、「猛烈に楽しむこと」やっちゅうことながぜよ。
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2024年01月26日
2024年01月25日
2024年01月24日
2024年01月23日
2024年01月22日
2024年01月21日
幸せの言の葉<1781>
「人間っちゅうもんは、歴史の教訓から多くを学ばん。それが最大の教訓やろう。」(オルダス・ハクスリー)
ヨーロッパにおいて著名な科学者を多数輩出したハクスリー家の一員で、イギリスの著作家(後にアメリカ合衆国に移住)であり、小説・エッセイ・詩・旅行記らあを多数発表しちょって、小説によってその名を広う知られちゅう、オルダス・ハクスリー(1894〜1963)さんの言の葉ながやき。
「歴史の教訓から学べ」っちゅう言葉は、アチコチであまりによう聞くもんやき、みんなあこの言葉を素通りしてしもうて、結局は誰っちゃああんまりそっから学んでないっちゅうことながよ。
ほんじゃき、もうひとつのよう聞く言葉、「歴史は繰り返す」っちゅうことになるがやき。
人類の歴史を見りゃあ、紛争や戦争らあの争いごとの繰り返しになってしもうちゅうがは、結局そういうことながよ。
個人個人で見たち、人間は自身の歴史の教訓からも、あんまり学んでないもんながやき。
たとえば、ある問題が起こった時に、その問題が伝えようとしちゅう本質の部分をしっかりと掴んで、その問題についてを学びきって初めて、1段上の段階にステップアップできるがよ。
けんど、その問題について中途半端にしか学んでなけりゃあ、必ずまたおんなじような問題が、別の場面で巡ってくるもんながやき。
個人やったとしたち、自身の歴史から学びきらん限り、おんなじような歴史が繰り返されるっちゅうことながよ。
個人の歴史からも、人類の歴史からも、ワシらあはまだまだ学ばにゃあいかんことだらけながぜよ!
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2024年01月20日
幸せの言の葉<1780>
「知るこたぁ見ること。ここじゃあどんな人間の知識も当人の経験を超えるこたぁありえんぜよ。」(ジョン・ロック)
哲学者としちゃあ「イギリス経験論の父」と呼ばれ、政治哲学者としちゃあ「自由主義の父」とも呼ばれたイギリスの哲学者、ジョン・ロック(1632〜1704)さんの言の葉ながよ。
こりゃあつまり、どんな知識やち、人から教えられただっけじゃあ不十分で、自分で経験して自分の目で確かめることが重要やっちゅうことながやき。
どればあ素晴らしい先生や先達らあから徹底的に学んだとしたち、どればあ素晴らしい書籍やセミナーらあから徹底的に学んだとしたち、そこで止まっちょったら、そっから学んだもんはまだまだしょせん借り物の知識でしかないがよ。
これらあを自らの血肉にして、ホンマもんの自分のもんにするためにゃあ、その学んだ内容を現実の自分の生活や仕事らあに落とし込んで、実践してみるしかないがやき。
ほんで、その実践の結果を吟味して、あんまりうまいこといってないがやったら、内容らあを修正し、再び実践するっちゅうことを繰り返すがよ。
そんな、実践の繰り返しの中で初めて、学んだ知識がホンマもんの自身の知恵となるっちゅうことながやき。
世の中に数多ある素晴らしい知識らあは、自身の経験を通過さいてこそ、そこで初めてホンマに世の中の役に立つ知恵に変換されるっちゅうことながぜよ!
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2024年01月19日
2024年01月18日
2024年01月17日
2024年01月16日
2024年01月15日
2024年01月14日
幸せの言の葉<1779>
「頂上でありもって、同時に崖っぷちながぜよ。」(千代の富士)
双葉山(69連勝)、白鵬(63連勝)に次ぐ53連勝を達成し、優勝回数31回、生涯戦歴1045勝(幕内807勝)を成し遂げ、「昭和最後の大横綱」と称されて、国民栄誉賞を受賞した第58代横綱、千代の富士(1955〜2016)さんの言の葉ながやき。
山の頂上っちゅうんは、大抵は狭いもんながよ。
ちゅうこたぁ、頂上イコール「崖っぷち」やっちゅうことながやき。
こりゃあ山に限らんと、相撲の世界やち、また他のどんな世界やち、おんなじようなもんながよ。
つまり、どんな世界やち、トップに君臨した瞬間に、そりゃあこぢゃんと危険な「崖っぷち」に立ったがやっちゅうて思わにゃあいかんっちゅうことながやき。
その認識がないまんま、トップに君臨したっちゅうて有頂天になっちょったりすりゃあ、アッちゅう間に「崖っぷち」から滑り落ちてしまうっちゅうことながぜよ!
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2024年01月13日
幸せの言の葉<1778>
「人は、無力やきに群れるがやのうて、群れるきに無力になるがぜよ。」(竹中労)
「ケンカ竹中」「反骨のルポライター」らあの異名を持ち、芸能界や政界に斬り込む数々の問題作を世に送り出し、晩年はガンを患うて闘病しもっても活動を続けたっちゅう、ルポライターで評論家の竹中労(1928〜1991)さんの言の葉ながやき。
今回の言の葉は、ある意味で一転語ながよ。
普通やったら、人は1人じゃあ無力やきに、たくさんの人が集まって力を出し合やあ、大きなパワーが出せるっちゅうて考えるもんながやき。
それを、真逆の「群れるきに無力になる」たぁ、どういう意味があるがやろうか?
そりゃあつまり、単なる人数合わせ的に、烏合の衆を集めたち、1人ひとりの考え方や方向性らあがバラバラやったら、そりゃあ無力やっちゅうことながよ。
さらに、たとえ考え方や方向性が同じやったとしたち、人は群れりゃあ安心してしもうて、みんなあが「自分1人ばあやったら大して影響らあないろう」と思うてしまいがちで、結局は周囲に任せっぱなしで、何の力も発揮せん人だらけになってしまいがちやっちゅうことながやき。
ほんじゃき、自分1人で立てる力を持っちゅう人、自分がやらにゃあ誰がやるっちゅうて思うちゅう人らあが群れりゃあ、そりゃあこぢゃんと大きな力を発揮することができるっちゅうことながぜよ!
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2024年01月12日
2024年01月11日
2024年01月10日
2024年01月09日
2024年01月08日
幸せの言の葉<1777>
「失うたもんを数えたらいかん、残されたもんを最大限に生かさんといかんぜよ。」(ルートヴィヒ・グットマン)
ドイツ出身のユダヤ人神経学者で、「パラリンピック」の創始者でもある、ルートヴィヒ・グットマン(1899〜1980)さんの言の葉ながやき。
人間誰やち、大切な何かを失うたりすりゃあ、そりゃあ落胆するもんやし、絶望してしまうことやちあるかもしれんがよ。
けんど、「諸行無常」っちゅう言葉のとおり、すべてのもんは常に流転して、変化したり消滅したりが絶えるこたぁないっちゅうんが、世の中の真実の姿ながやき。
ほいたら、失うたもんを数えゆう場合やないがよ。
失うたもんを数えたりしよったら、今に居りもって過去の繰り返しを生きちゅうことになるき、そりゃあ今を生きてないっちゅうことになるがやき。
ほんじゃき、失うたもんがどればあ大きかったとしたち、今を生きるためにゃあ、失うたもんのことらあキッパリ忘れて、残されたもんを最大限に生かすことに、全力投球するしかないっちゅうことながよ。
なかなかツラいことかもしれんけんど、そんな行動こそが、残されたもんの中からの、新たな大切なもんの出現を促すっちゅうことながぜよ。
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2024年01月07日
幸せの言の葉<1776>
「過去から学び今日を生き、未来に対して希望を持つ。大切なこたぁ、何も疑問を持たん状態に陥らんことぜよ。」(アルベルト・アインシュタイン)
ドイツ生まれのユダヤ人理論物理学者で、「20世紀最高の物理学者」と評され、ノーベル物理学賞も受賞しちゅう、アルベルト・アインシュタイン(1879〜1955)さんの言の葉ながやき。
さすがは天才中の天才、かのアインシュタインさんの言の葉ながよ。
人間が素晴らしい人生を送るために必要なこたぁ何かっちゅうんを簡単にまとめりゃあ、まずは「過去から学び今日を生きる」っちゅうことと、もうひとつは、「未来に対して希望を持つ」ことやっちゅうがやき。
確かに、この2つがバッチリ実践できりゃあ、誰やち素晴らしい人生を送ることができるはずながよ。
しかも、アインシュタインさんは、そのためのコツも教えてくれちゅうがやき。
そりゃあ、「何も疑問を持たん状態に陥らんこと」やっちゅうがよ。
何も疑問を持たんまんま生きちょったとしたら、「過去から学び今日を生きる」ことも、「未来に対して希望を持つ」ことも、絶対に不可能ながやき。
常に疑問を持ち続けちゅうきにこそ、人間は自分の頭で考え、それを行動に移し、失敗したら修正し、また考え、また行動し……ちゅう繰り返しができるがよ。
そんな一連の流れこそが、過去から学び今日を生きるっちゅうことそのもんであり、そんな中でこそ、未来に対する希望もまた、立ち現れてくるもんながぜよ。
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2024年01月06日
幸せの言の葉<1775>
「勉強たぁ、自分の無知を発見することぜよ。」(ウィリアム・ダラント)
アメリカ合衆国の歴史家・哲学者で著作家の、ウィリアム・ダラント(1885〜1981)さんの言の葉ながやき。
他人が何かについて知らんかったりしたら、「こんなことも知らんかよ!」っちゅうて嗤う人がおるけんど、大抵の場合そういう人にかぎって、あんまり知的な人やあないもんながよ。
ホンマに知的な人っちゅうんは、常に学び続けゆう人やきに、学びゃあ学ぶばあ、自分は無知やっちゅうことに気づくもんながやき。
そこに気づいちょりゃあ、他人がなんぼ無知やったとしたち、自分もおんなじ五十歩百歩ながやき、絶対に嗤うことらあできんはずながよ。
たとえば、ワシゃあ日本酒メーカーの社長やき、日本酒についちゃあ一般の方々らあよりか詳しゅうに知っちゅうがは当たり前やき、一般の方々らあが「大吟醸」がどんな酒ながかとかを知らんかったとしたち、嗤うたりすることのう、キチンと素人にも分かるように説明ができるがやき。
一方、ワシゃあ化粧品会社の人間やないし、化粧品についちゃあまったく知識もないき、化粧品の初歩的なことを語られたち、おそらくまったく知らんことだらけやき、素人にも分かるように説明をしてもらいたいがよ。
つまり、人間の一生にゃあ時間的制限があるがやき、あらゆる分野のあらゆる知識を1人の人間が一生の間に学び尽くすらあてこたぁ、絶対に不可能やっちゅうことで、そりゃあつまりどればあ超賢い天才やち、知らんこたぁ絶対にあるっちゅうことながやき。
ほいたら、学ぶっちゅうこたぁ、まずは自分の無知を発見することであり、そっからあらためて真の学びがスタートするともいえるがぜよ。
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2024年01月05日
2024年01月04日
2024年01月03日
幸せの言の葉<1774>
「やたらと忙しいっちゅうんはどんなもんやろう。『忙』っちゅう字は『心が亡びる』と書くがぜよ。」(高田好胤)
分かりやすい法話により、「究極の語りのエンターテイナー」とも呼ばれ、薬師寺の再生に生涯を捧げた法相宗の僧(管長)で薬師寺元管主、高田好胤(1924〜1998)さんの言の葉ながやき。
この言の葉も、まさに好胤さんの面目躍如で、こぢゃんと分かりやすうて、しかも「なるほど!」っちゅうて大納得できるがよ。
確かに「忙」の字を2つに分けりゃあ、「心」と「亡」になるき、「心が亡びる」っちゅうことになり、つまり「忙しい」っちゅうんは「心が亡びる」ことにつながるっちゅうて言われたら、なかなか反論はしにくいがやき。
もちろん反論したいわけやあないけんど、「忙しい」がそのまんまイコールで「心が亡びる」ことになるっちゅうわけやあないがよ。
好胤さんも、イコールたぁ言うてないがやき。
要は、あんまり忙しゅうにし過ぎよったら、どういうわけか人間は、一番大切なもんを見落としてしまいがちになるもんやき、気をつけにゃあいかんっちゅうことながよ。
ほんじゃき、「忙しい」と感じたときにゃあ、一番大切なもんを見落としてないか、「心」が「亡」びてないか、常に意識しちょかにゃあいかんっちゅうことながやき。
そのためにゃあ、この記憶しやすい好胤さんの言の葉が、こぢゃんと役に立つっちゅうことながぜよ。
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2024年01月02日
幸せの言の葉<1773>
「真珠貝は海の中で、何かコロコロするような異物を抱いたまんま、今はそれを除きたいとも思わんと生きちゅうがぜよ。」(榎本栄一)
浄土真宗に帰依し、「念仏のうた」と称する仏教詩を書いた仏教詩人で、仏教伝道文化賞を受賞しちゅう、榎本栄一(1903〜1998)さんの言の葉ながやき。
今回の言の葉は、どういう意味で語られちゅうがやろうか?
ワシゃあ以下のような意味にとったがよ。
人間、生きちゅう間にゃあ、自分の人生にとっちゃあ異物としか思えんような好ましゅうない物事が、それこそ数えきれんばあ現れるもんながやき。
どればあ、そんな異物らあ一切排除したいと願うたち、生きちゅうかぎりは必ず、なんぼやち現れてしまうもんながよ。
ほいたら、人生はツラいことだらけやいかと思うてしまうかもしれんけんど、実はそうでもないがやき。
そんな異物が現れてしまうきにこそ、人間は考えるし、様々な行動もするし、努力もするし、進歩もするっちゅうことながよ。
さらに、そんな異物の存在があるきにこそ、いろんな葛藤があったり、試練があったり、挫折があったりしもって、人間が磨かれていき、より輝くような人生を手に入れることができるがやともいえるがやき。
そりゃああたかも、真珠貝の中に異物が入ったことで、貝殻成分が分泌されてそれが異物を覆い、いつしか真ん丸うて美しい真珠が誕生するかの如しながよ。
つまり、真珠貝も人間も、異物っちゅう存在のお陰で、光り輝く素晴らしいもんを手に入れることができるっちゅうことながやき。
ほいたらワシらあも、自分の人生に異物が現れたとしたち、それを排除しょうらあて思わんと、その異物を抱きしめて、平気な顔をして生きていきたいもんながぜよ。
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2024年01月01日
幸せの言の葉<1772>
「愛は憎しみよりか高うて、理解は怒りよりか高うて、平和は戦争よりか気高いぜよ。」(へルマン・ヘッセ)
あけましておめでとうございます!
令和6年、2024年もワシのブログ&Facebookを、何とぞ宜しゅうお願い申し上げますぜよ!
さて、今年の新年最初の「幸せの言の葉」は、20世紀前半のドイツ文学を代表する作家で、ノーベル文学賞も受賞しちゅう、ヘルマン・ヘッセ(1877〜1962)さんの言の葉ながやき。
この言の葉は、一見ありきたりなことを語っちゅうようにも見えるがよ。
「愛は憎しみよりか高い」とか、「平和は戦争よりか気高い」とかっちゅうて言われたち、「そりゃあそのとおりよ!」っちゅう感想しか、抱かんかもしれんがやき。
ポイントは、真ん中に置かれちゅう、「理解は怒りよりか高い」ながよ。
人生にゃあ、腹立たしいことや頭にくるようなことが山盛り起こるもんながやき、それらあに対していちいち怒りの感情をあらわにしよったら、つまりはそんな怒りの感情が積み重なって、理解よりか怒りが高うなってしもうて、ひいては愛よりか憎しみの方が高うなってしまうがやき。
さらにそれが、人類全体でも積み重なっていきゃあ、そりゃあ平和よりか戦争の方が高いもんになってしまうっちゅうことながよ。
ほんじゃき、腹立たしいことや頭にくるようなことが起こったち、怒りの感情をあらわにする前に、相手が何でそんな行動をしたかに対して、まずは理解しょうとする努力が必要やっちゅうことながやき。
そんな、他人を理解しょうとする努力ができて初めて、「理解は怒りよりか高い」っちゅうことが実践できるようになる、そのはじめの一歩を踏み出すことができるっちゅうことながよ。
それができんがやったら、「愛は憎しみよりか高い」も、「平和は戦争よりか気高い」も、絵に描いた餅になってしまうっちゅうことながやき。
令和6年は、怒りをあらわにする前に、まずは他人を理解しょうとする努力、こっからスタートしましょうぜよ!
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