2024年05月31日
【関西拡散希望!】「浅野日本酒店」(三宮・梅田・京都)司牡丹イベントのご案内ぜよ!
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2024年05月30日
2024年05月29日
2024年05月28日
2024年05月27日
2024年05月26日
幸せの言の葉<1821>
「人は、ふたたび、おんなじ川の水を浴びるこたぁできんがぜよ。」(ヘラクレイトス)
古代ギリシアの哲学者、自然哲学者のヘラクレイトス(紀元前540年頃〜紀元前480年頃)さんの言の葉ながやき。
平安時代の随筆家、鴨長明さんの「方丈記」にも、この言の葉とおんなじようなことが書かれちゅうがよ。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」
つまり、ヘラクレイトスさんも、鴨長明さんも、川の流れは昨日も今日も変わらんと、おんなじように見えるけんど、実はそりゃあおんなじ水やないきに、昨日とおんなじ水はもはや今日は浴びることらあできんっちゅうて、そう言いたいがやき。
そりゃあつまり、川の水をたとえ話にして、時の流れについてを語っちゅうがよ。
時の流れっちゅうんは、日々おんなじように流れゆうように見えるけんど、昨日っちゅう時の流れはもう二度と戻ってこんし、今日っちゅう時の流れももう二度と訪れるこたぁないっちゅうことながやき。
この意味するところを本気で噛みしめりゃあ、今日っちゅう1日の1分1秒、今この瞬間が、いかにかけがえのない大切な大切な一瞬かっちゅうことに、心の底から気づけるはずながよ。
ここに本気で気づけたとき、過ぎ去った過去を悔やんだり、まだ来ぬ未来を心配したりしゆうような、そんなヒマらあないなって、今この瞬間を精一杯生ききるっちゅうことだっけに、全身全霊をかたむけることができるようになるがぜよ。
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2024年05月25日
幸せの言の葉<1820>
「ホンマの人間の幸せはにゃあ、欲望を充足していく方向にあるがやない。欲望を切り捨てていくところにあるがやと思うがぜよ。」(竹中労)
「ケンカ竹中」「反骨のルポライター」らあの異名を持ち、芸能界や政界に斬り込む数々の問題作を世に送り出し、晩年はガンを患うて闘病しもっても活動を続けたっちゅう、ルポライターで評論家の竹中労(1928〜1991)さんの言の葉ながやき。
人間、誰やち若い頃は足らんもんだらけ、持ってないもんだらけなもんやき、アレも欲しい、コレも持ってない、ソレも足らん……ちゅうて、欲望を充足していく方向に突き進み、それらあが手に入りゃあ幸せになれると思うてしまいがちながよ。
けんど、ある程度年をとりゃあ、心ある人やったらふと気づくもんながやき。
何に気づくかっちゅうたら、そんな欲望を充足していく方向らあにゃあ、ホンマの人間の幸せはないっちゅうことに気づくがよ。
ほいたら、ホンマの人間の幸せたぁ、どんな方向にあるがか?
そりゃあ、ちんまい個人的な欲望らあをドンドン切り捨てていって、それでも最後の最後に残る欲望……そりゃあ何かっちゅうたら、自分の生まれてきた意味……つまりはミッション(使命)に生きたいっちゅう欲望ながやき。
ちんまい欲望らあ捨てて、自分の全てを懸けてミッションのみに生きるとき、人間はホンマに充実した幸福感を、全身全霊で堪能することができるっちゅうことながぜよ。
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2024年05月24日
2024年05月23日
2024年05月22日
2024年05月21日
2024年05月20日
2024年05月19日
幸せの言の葉<1819>
「ワシゃあおまさんの意見にゃあ反対や。けんどおまさんがそれを主張する権利は命をかけて守るぜよ。」(ヴォルテール)
ジョン・ロックらあとともに啓蒙主義を代表する人物とされる、フランスの哲学者、文学者、歴史家、ヴォルテール(1694〜1778)さんこと、本名フランソワ=マリー・アルエさんの言の葉ながやき。
自分と意見が合わん人がおったら、その人が反対意見を語る機会すら与えんと、すべてを封殺してしまおうとする人が、世の中にゃあ少のうないがよ。
特に、立場が高い人にそんなタイプの人が多いことが、なかなかの問題ながやき。
そういうタイプの人がトップにおる組織は、たとえいま発展しよったとしたち、近いうちに必ず衰退してしまうもんながよ。
そりゃあ何でかっちゅうたら、時流に乗っちゅうときはえいけんど、世の中の潮目が変わったときにゃあ、次の一手が打てんかったり、打てたとしても逆効果になったりしてしまうきながやき。
世の中の潮目が変わったときにゃあ、反対意見こそが一番必要とされるがよ。
ほいたら、ただ反対意見を鵜呑みにして、反対のことをやりゃあえいがかっちゅう単純な話やのうて、対立する意見をどっちも否定するがやのうて、それらあを統合して昇華さいて、1つ上の次元に引き揚げて、新たな解を導き出すっちゅう、いわゆる「止揚(しよう)」、「アウフヘーベン」するべきやっちゅうことながやき。
反対意見を全部封殺してしまいよったら、この「止揚=アウフヘーベン」ができん組織になってしまうがよ。
ほんじゃき、このヴォルテールさんの言の葉は、目まぐるしゅうに短期間で潮目が変わりまくるこれからの時代にゃあ、特に立場が上の人ほど、こぢゃんと脳裡に焼き付けちょかにゃあいかんっちゅうことながぜよ。
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2024年05月18日
幸せの言の葉<1818>
「咲くも無心 散るも無心 花は嘆かんと 今を生きるがぜよ」(坂村真民)
「念ずれば花ひらく」で有名な、癒しの詩人っちゅうて言われる仏教詩人、坂村真民(1909〜2006)さんの言の葉ながやき。
春の満開の桜の花や、秋の一面のコスモス畑や、野に咲く一輪のちんまい花や、花瓶に活けられた花やち、美しゅう咲いたらそれだっけで、それを見るワシらあの心に喜びや感動を与えてくれるがよ。
けんど、それも束の間のことで、どんな花やち、いつしか必ず散ってしまうがやき。
花が散りゃあ、それを見るワシらあは、一抹の淋しさを感じてしまうがよ。
けんど、花の側から見たらどうやろか?
どんな花やち、咲くときやち無心、散るときやち無心で、ぬか喜びすることのう、嘆いたりすることものう、咲こうが散ろうが、たとえ枯れようが、今この瞬間を全力で生きちゅうがやき。
人間が、そんな花のような生き方をすることらあて、なかなか難しいかもしれんけんど、そんな花のような生き方に憧れを持って、今この瞬間を全力で生きるこたぁ、誰やちできるはずながぜよ。
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2024年05月17日
2024年05月16日
2024年05月15日
2024年05月14日
2024年05月13日
2024年05月12日
幸せの言の葉<1817>
「幸運の女神は、物事を冷静に考えすぎる人よりか、果敢に行動する人によう従うようながぜよ。」(ニッコロ・マキャヴェッリ)
有名な「君主論」や「戦術論」らあの著書があり、理想主義的な思想の強いルネサンス期に、政治は宗教・道徳から切り離して考えるべきやっちゅう現実主義的な政治理論を創始した、イタリアはルネサンス期の政治思想家、フィレンツェ共和国の外交官、ニッコロ・マキャヴェッリ(1469〜1527)さんの言の葉ながやき。
誰やち、幸運の女神に好かれたいと思うちゅうはずながよ。
ほいたら、このマキャヴェッリさんの言の葉を、ようよう胸に秘めて置いちょかにゃあいかんがやき。
マキャヴェッリさんは、物事を冷静に考えよっちゃあ幸運の女神に見放されるっちゅうて、言いゆうわけやないがよ。
物事を冷静に考えすぎて、いつまで経ったちグズグズして行動に移さんことが、幸運の女神に見放されるっちゅうて言いゆうがやき。
つまり、ある程度物事を考えて、ザックリ掴んだ段階あたりの早々に、この方向性でいけると踏んだら、とにかくまずは果敢に行動に移して、あとは行動する中で考えもって、細かい点らあは修正していきゃあえいっちゅうことながよ。
まずは行動に移さにゃあ、細かい部分らあは何ちゃあ分からんがやき、行動に移さんっちゅうことこそが、一番幸運の女神に嫌われることやっちゅうことながぜよ。
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2024年05月11日
幸せの言の葉<1816>
「物事の見方は、自分が『変えたい』と思やあ変えれるがぜよ。」(アルフレッド・アドラー)
オーストリアの精神科医・心理学者で、フロイトやユングらあと並んで、現代のパーソナリティ理論や心理療法を確率した1人、アルフレッド・アドラー(1870〜1937)さんの言の葉ながやき。
人間、ある程度の年をとったら、だいたいの考え方らあが固まってくるきに、物事の見方を変えるがはなかなか至難の技になるがよ。
けんど、かの著名な心理学者アドラーさんは、「物事の見方は、自分が『変えたい』と思やあ変えれる」っちゅうがやき。
ほいたら、ワシらあがなかなか物事の見方を変えることができんっちゅうこたぁ、そりゃあ自分が「変えたい」と思うてないっちゅうことになるがよ。
つまり、人間は本気で心底から「自分を変えたい」と思わんかぎり、変わらんっちゅうことながやき。
ほんなら、どういたら本気で心底から「自分を変えたい」と思えるようになるがやろうか?
そりゃあおそらく、目からウロコを落とすような体験をするしかないがよ。
書籍や講演や誰かの言葉や行動らあから、何か新しい物事の見方を学んで、その時点で目からウロコを落とすような体験をするか、もしくはその学んだことを覚えちょって、後にその内容が確かに真実やと気づくようなインパクトのある体験をして、目からウロコを落とすか……そのどちらかぐらいしかないがやないろうか。
つまり、本気で心底から「自分を変えたい」と思えるような、インパクトのある体験をするにゃあ、書籍や講演や誰かの言葉や行動らあから、何か新しい物事の見方を学ぶしかないっちゅうことながやき。
常に学び続けるなかでしか、自分の物事の見方を変えるこたぁできんっちゅうことながぜよ。
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2024年05月10日
2024年05月09日
2024年05月08日
2024年05月07日
2024年05月06日
幸せの言の葉<1815>
「興味のあることに取り組むこたぁ幸福そのものぜよ。」(オービル・ライト)
兄と共に飛行機の研究を重ね、1900年に最初のグライダーを完成さいて、1903年に人類初の有人動力飛行に成功した、アメリカ合衆国出身のライト兄弟の弟、オービル・ライト(1871〜1948)さんの言の葉ながやき。
この言の葉は、普通に読みゃあ、興味のあることに取り組むこたぁ幸福やっちゅう、ただ単にそれだっけのことになるがよ。
これを、幸福の方から読み直してみりゃあ、「幸福な人は興味のあることに取り組みゆう」になるがやき。
ほいたら、こうもいえるっちゅうことながよ。
おまさんがもし、今の自分はあんまり幸福やないと感じちゅうとしたら、おまさんが何をおいたち本気で取り組みとうなるような、こぢゃんと興味のあることにまだ出会うてない、もしくはまだ取り組んでないっちゅうことながやき。
ほんじゃき、今からやち遅うないき、早うに何をおいたち取り組みとうなるような、こぢゃんと興味があることを見つけ出すこと、さらにそれにすぐに取り組むことながよ。
それさえできりゃあ、人生におけるその他の苦難や不幸は避けるこたぁできんかもしれんけんど、おまさんの人生全体としちゃあ、「幸福そのもの」やと、自信を持って語ることができるようになるっちゅうことながぜよ。
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2024年05月05日
幸せの言の葉<1814>
「努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語るがぜよ。」(井上靖)
昭和文学の方向性を大きゅう変えたと言われる、戦後期を代表する作家のひとりで、文化勲章も受章されちゅう小説家であり詩人の、井上靖(1907〜1991)さんの言の葉ながやき。
ワシも、これまでたくさんの人に出会うてきたけんど、確かにかの井上靖さんのこの言の葉のとおりの傾向があると思うがよ。
つまり、不満を語るよりか希望を語ることが多い人は努力するタイプの人で、希望を語るよりか不満を語ることが多い人は怠けるタイプの人やっちゅうことながやき。
ほいたら、こうも言い換えることができるがよ。
おまさんの人生において、不満を減らしたいがやったら、怠けることのう努力をして、常に希望を語り続けりゃあえいっちゅうことながやき。
そうすりゃあ、おまさんの人生における不満はドンドン減っていって、明るうて幸せな人生を送ることができるっちゅうことながぜよ。
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2024年05月04日
幸せの言の葉<1813>
「義足になったこたぁ、アテの障害どころか、むしろ可能性を広げてくれたがやき。アテが歩むべき道へと導いたがは、この2本の義足ながよ。頭を働かせて、誰も思いつかんかった解決策を見つけられたがも、義足やったきながやき。」(エイミー・パーディ)
19歳の頃、ひざから下の両足を失うたに、女優・モデルとして、さらにプロのスノーボーダーとして活躍し、平昌パラリンピック銀メダリスト、ソチパラリンピック銅メダリストとなった、アメリカ合衆国のエイミー・パーディ(1979〜)さんの言の葉ながよ。
そんなパーディさんは、人生における困難を糧にして、そっからインスピレーションを受けることの重要性を、力強うに語りかけるがやき。
つまり、自分の人生において起こる、あらゆる困難や理不尽な出来事らあを全部そのまんま受け止め、さらにそれを逆に「そのお陰で」っちゅう考え方に変換することで、人生は切り拓いていくことができるっちゅうことながよ。
おまさんがもし今、困難や理不尽な出来事に出会うて希望を失いかけちょったとしたら、エイミーさんのこの言の葉を思い出してほしいがやき。
19歳で両足を失うて義足になったち、女優やモデルとなることができ、さらにプロのスノーボーダーとして活躍することができたがも、パラリンピックでメダリストになれたがも、全てが義足のお陰やと本気で語れる人間が、この世におるっちゅうことながよ。
ほいたら、ワシらあが出会うどんな困難やち、どんな理不尽な出来事やち、「そのお陰で」っちゅうて考えることができんもんらあて、ほとんどないっちゅうことながぜよ。
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2024年05月03日
幸せの言の葉<1812>
「多くのことをなす近道は、一度にひっとつのことだっけをすることぜよ。」(ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト)
当時の音楽ジャンル、オペラ、協奏曲、交響曲、室内楽、ソナタっちゅう全ての分野で600を超える作品を作曲し、そのいずれもが卓越した作品といわれる、西洋音楽に大きな影響を与えた偉大な作曲家、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756〜1791)さんの言の葉ながやき。
多くのことを成し遂げた人っちゅうんは、多くの才能を持っちゅう天才で、最初っから多くのことにいっぺんに着手したかのように思われがちながよ。
けんど、当事の全ての音楽分野で600を超える作品を残したっちゅうかの偉大な作曲家モーツァルトさんが、この言の葉を語っちゅうっちゅう、その意味は大きいがやき。
「二兎を追うものは一兎をも得ず」っちゅう諺もあるとおり、最初っから多くのことにいっぺんに着手したち、結局は多くのことを成し遂げるこたぁ難しいっちゅうことながよ。
一度にひっとつのことだっけに全集中して、ひとつひとつ成し遂げていくことによって、結果として多くのことを成し遂げることができるっちゅうことながやき。
そりゃあつまり、一度にひっとつのことだっけに全集中して、ひとつひとつ成し遂げていきゃあ、何らかのコツみたいなもんが自然に身について、次に別のことに挑戦する際にゃあ、成し遂げるスピードがドンドンとアップしていくっちゅうことながよ。
ほんじゃき、これこそが、多くのことを成し遂げる一番の近道やと、かのモーツァルトさんは喝破するがぜよ。
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2024年05月02日
2024年05月01日