2025年02月28日
純米酒「日土人」活動17年目の仕込体験と交流会ぜよ!
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2025年02月27日
2025年02月26日
2025年02月25日
2025年02月24日
2025年02月23日
幸せの言の葉<1907>
「自由な人間が考えるがは、ほかならん死についてながよ。ほんで彼の賢明ながは、そっから生について熟慮を始めることながぜよ。」(スピノザ)
デカルト、ライプニッツと並ぶ17世紀近世合理主義哲学者として知られちゅう、オランダ生まれのユダヤ人哲学者、バールーフ・デ・スピノザ(1632〜1677)さんの言の葉ながやき。
人間誰やち、ある程度の年齢になってきたら、死について考えるようになってくるもんながよ。
「自分はあと何年生きられるやろうか?」らあて、死について考えだいたら、夜も眠れんばあの不安や恐怖心でいっぱいになってしもうたりするがやき。
けんど、かのスピノザさんいわく、「自由な人間」は、「そっから生について熟慮を始める」っちゅうがよ。
「生について熟慮を始める」っちゅうこたぁ、つまり生きることについて真剣に深うに考えだすっちゅうことであり、生きちゅう一日一日を大切にしてまっとまっと充実させろうと考えだすっちゅうことであり、そりゃあつまり、一層生きる意欲が高まるっちゅうことながやき。
まっといやあ、つまり「死」が不安や恐怖の対象やないなるっちゅうことながよ。
ほいたら、どうすりゃあそんなふうに思えるようになるがかっちゅうたら、そりゃあ「自由な人間」になることやっちゅうんが、かのスピノザさんの出した答えながやき。
スピノザさんの言う「自由」たぁ、「必然性に従うこと」ながよ。
ほんで、その必然性たぁ、自分の精神や身体の条件に従うて行動すること、または与えられた条件の下で自分の力を発揮できることを意味しちゅうがやき。
ほいたらつまり、こういうことながよ。
自分の精神や身体の条件に従うて行動することができる人間、あるいは与えられた条件の下で自分の力を存分に発揮できる人間になりゃあ、「死」について考えだいたち、そっから「生」について熟慮しだいて、「死」が不安や恐怖の対象やないなるっちゅうことながぜよ。
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2025年02月22日
幸せの言の葉<1906>
「人は天才に生まれるがやない。天才になるがぜよ。」(ボーブォワール)
フランスの哲学者、作家、批評家でフェミニズム運動の旗手であり、主著「第二の性」(1949)はフェミニズムのバイブルとされちょって、サルトルの伴侶としても有名な、シモーヌ・ド・ボーヴォワール (1908〜1986) さんの言の葉ながやき。
この言の葉は、ワシらあ凡人にとっちゃあ、まっこと福音ともいえる言の葉ながよ。
「天才」っちゅうたら、持って生まれた天賦の才があり、元々の素質からして凡人たぁ違うがやと、一般的にゃあ思われちゅうがやき。
確かに、そういう天才がおるがも事実かもしれんけんど、そういう天才やち、何らかの出会いや何らかのきっかけがなけりゃあ、その生まれ持った才能は発揮できんかったろうっちゅうて、皆さん口々に語っちゅうがも、また事実ながよ。
ちゅうこたぁ、ワシらあみたいな凡人やち、そんな天才の方々が口々に語る「何らかの出会いや何らかのきっかけ」があったら、隠れ潜んじゅう才能が目覚めて、天才になっちょったかもしれんっちゅうことながやき。
つまり、まだ自身の奥底に眠ったまんまで隠れ潜んじゅう才能に、気づいてないだっけかもしれんっちゅうことながよ。
まずは、それに気づくか気づかんか、気づいたやったら次に、その才能を伸ばす方向で、コツコツと不断の努力を継続し続けることができるかどうか、これらあが天才と凡人の分かれ目やっちゅうことながやき。
そのことを、かのボーブォワールさんは、「天才に生まれるがやない。天才になるがぜよ」っちゅうて、表現しちゅうがぜよ。
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2025年02月21日
2025年02月20日
2025年02月19日
2025年02月18日
2025年02月17日
2025年02月16日
幸せの言の葉<1905>
「事を行うにあたって、『いつから始めろうか』らあて考えた時にゃあ、すでに後れを取っちゅうがぜよ。」(クインティリアヌス)
古代ローマの弁論学者、修辞学者、教育者で、弁論術教育に貢献し、雄弁学徒に多大な影響を与えた、クインティリアヌス(35頃〜95頃)さんの言の葉ながやき。
会社やお店らあの企業や団体やったら、何か事を行うためにゃあいろんな人らあの合意が必要なきに、確かに「いつから始めるか」を決めにゃあいかんがよ。
けんどこれが個人やったら、あるいは企業や団体やったちそのスタート段階は個人の頭ん中にあるともいえるがやき、企画書ばあは直ぐ書けるはずやき、そう考えりゃあ個人も団体もおんなじやといえるがやき。
結局、個人であれ団体であれ、何か事を行うにあたって「いつから始めろうか」らあて考えよったら、もうすでに後れを取っちゅうことになるっちゅうことながよ。
つまり、何か事を行うと決断したがやったら、「いつから始めろうか」らあて考えゆう場合やのうて、「いますぐ」に、ほんのチョビッとでえいき、手をつける、一歩踏み出すべきやっちゅうことながやき。
何でかっちゅうたら、「鉄は熱いうちに打て」の格言どおり、何か事を行うと決断した瞬間が、最もモチベーションが高い「熱いうち」やきながよ。
鉄も人間も、時間が経つにしたがって、どういたち熱は冷めていくもんながやき。
ほんじゃき、どればあ最高のアイデアが生まれて、それを実践しょうと決断したとしたち、たとえば「明日から始めろう」と決めちょったち、一晩眠ったらほんのチョビッと熱が冷めちょったりして、しかも他の仕事らあが入ってしもうたりして、結局手をつけんまんまで翌日になり……ちゅう感じで、先伸ばしの連続になってしまいかねんっちゅうことながよ。
けんどこれが、一番熱いうちにチョビッとでも手をつけちょったとしたら、一番熱い熱量がその手をつけた部分に宿るもんながやき。
ほいたら、ちくと時間が経ってからその続きに手をつけたときに、その一番熱い熱量が甦ってくるもんながよ。
何か事を成し遂げたいやったら、それを決断した瞬間に、最もモチベーションが高い「熱いうち」に、必ずチョビッとでもえいき手をつける……これが事を成し遂げるための、こぢゃんと大きな秘訣やっちゅうことながぜよ。
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2025年02月15日
幸せの言の葉<1904>
「人間は願望を持つこと、そして創造することによってのみ幸福ながぜよ。」(アラン)
当時「現代のソクラテス」と呼ばれた教育者で、「幸福論」の著者として有名なフランスの哲学者、エミール=オーギュスト・シャルティエさん、ペンネーム「アラン」(1868〜1951)さんの言の葉ながやき。
かの「幸福論」の著者であるアランさんが、「よってのみ幸福」っちゅうた点が、この言の葉で最もキーになるがよ。
つまり、人間が幸福に生きる道は、願望を持って創造しもって生きていく以外にゃあないっちゅうことになるがやき。
逆を考えてみりゃあ、まっと分かりやすいがよ。
願望を持つことものうて、創造することも一切ない人生らあて、幸福やと思えるわけはないっちゅうことながやき。
人はみんなあ、幸福になりたいと思うて生きていきゆうけんど、ほいたらその目指す幸福の姿はどんなもんかっちゅうて問われたら、ほとんどの人がはっきりと答えられんがやないろうか?
けんど、このアランさんの言の葉の中に、幸福の姿の根本的なもんが表現されちゅうがよ。
それがつまり、願望を持つことと創造することながやき。
何かこれを達成したい、成し遂げたいっちゅう願望を持って、願望実現のために創造力を発揮して、手を尽くすっちゅうことを実践しゆう人だっけが、幸福になれるっちゅうことながぜよ。
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2025年02月14日
2025年02月13日
2025年02月12日
2025年02月11日
2025年02月10日
2025年02月09日
幸せの言の葉<1903>
「知恵の始まりは、まずそれを望むことぜよ。」(ソロモン・イブン・ガビーロール)
スペインの詩人・哲学者で、新プラトン主義を展開し、中世欧州思想界に大きな影響を与えた、ソロモン・イブン・ガビーロール(11世紀中頃)さんの言の葉ながやき。
現代はネット社会がこぢゃんと発達しちゅうもんやき、何か分からんことがあったら、スッとスマホやパソコンで調べることができる便利な時代ながよ。
けんど、ネットで調べてスッと分かるようなこたぁ、多少の知識にゃあなるかもしれんけんど、実はまったく自分の知恵にゃあならんがやき。
「知識」たぁ、何かの事柄についてただ知っちゅうだっけのことやけんど、「知恵」たぁ、その知識を活かして物事を理解して、適切に処理する能力のことながよ。
ナンボ「知識」ばっかし豊富やったとしたち、ワシらあが日々直面する多くの問題らあに対して、それにキチンと対処して解決することらあできんがやき。
そのためにゃあ、「知恵」が必要やっちゅうことながよ。
ほいたら、どういたらそんな「知恵」を得ることができるかっちゅうたら、まずは「知恵を身につけたい」と望むことがスタート地点やと、かのガビーロールさんは喝破するがやき。
これを望まんまんま、ただ漠然と本を読んだり、講演を聞いたり、テレビを観たり、いろんな経験を積んだりしたち、そこで得た「知識」は、単なる「知識」のまんまで終わってしまうっちゅうことながよ。
一方、「知恵を身につけたい」と望みもって、問題意識を持って、本を読んだり、講演を聞いたり、テレビを観たり、いろんな経験を積んだりしよったら、そんな中で得た「知識」は、チビッとずつ「知恵」に昇華していくっちゅうことながぜよ。
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2025年02月08日
幸せの言の葉<1902>
「悩み悲しむ必要らあないがよ。今の自分に何ができるかを考え、あとは全力を出しゃあえいがぜよ。」(ジャン=ポール・サルトル)
フランスの偉大な哲学者、小説家、劇作家で、自らの意志でノーベル賞を辞退した最初の人物、ジャン=ポール・サルトル(1905〜1980)さんの言の葉ながやき。
人間っちゅう生き物は、何かっちゅうたらスッと悩んだり悲しんだりしてしまうもんながよ。
けんど、かの偉大な哲学者サルトルさんは、何ちゃあ悩み悲しむ必要らあないっちゅうて、一刀両断するがやき。
サルトルさんいわく、悩むようなことや悲しむようなことがあったときにゃあ、そんなことらあに浸りよったりしゆう場合やのうて、まずは今の自分に何ができるかを考えりゃあえいっちゅうがよ。
何か悩むようなことや悲しむようなことがあったときに、ワシらあはスッとそんな感情に飲み込まれてしもうて、考えることをストップしてしまいがちながやき。
ほんじゃき、いつまで経ったち、悩みや悲しみが解決せんまんまになってしまうがよ。
そんなときにゃあ、とにかく今の自分に何ができるかを一心不乱に考えてみるべきながやき。
ほいたら、まずそれだっけで、悩みや悲しみに飲み込まれてしまうこたぁないなるがよ。
とにかく、今の自分に何ができるかを一心不乱に考えに考えて、そんな中でチョビッとやち何かできることを思いついたやったら、あとはそこに全力を尽くしゃあえいがやき。
そんな全力を尽くす中じゃあ、たとえまだ何ちゃあ解決してのうたち、悩みゆうヒマも悲しみゆうヒマも、一切ないなるっちゅうことながぜよ。
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2025年02月07日
2025年02月06日
2025年02月05日
2025年02月04日
2025年02月03日
2025年02月02日
幸せの言の葉<1901>
「ワシらあが人間の心の中に発見する最初にして、最も単純な感情は好奇心ぜよ。」(エドマンド・バーク)
アイルランド王国生まれのイギリスの政治思想家、哲学者、政治家で、 「保守思想の父」として知られ、1765年から1794年までイギリス庶民院(下院)議員を務めた、エドマンド・バーク(1729〜1797)さんの言の葉ながやき。
この言の葉は、好奇心を持つこたぁ大切やっちゅう、そんな程度のもんやないがよ。
好奇心っちゅうんは、ワシらあ人間の最初にして最も単純な、原初の感情やっちゅうことながやき。
つまり、人間は誕生したときから好奇心を持っちゅう生き物であり、まっと言やあ、それこそが「人間の人間たるゆえん」やっちゅうことながよ。
ちゅうこたぁ、好奇心を失うてしもうた人間は、人間やのうてもはや単なる生き物になってしまうっちゅうことも意味しちゅうがやき。
考えてみりゃあ、好奇心が原初からあったきにこそ、人間はこの地球上で生き残ってこれたし、世界中に生きる場を創り出して、進歩してきたとも言えるがよ。
いくつになったち、旺盛な好奇心は失いとうないもんながぜよ。
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2025年02月01日
幸せの言の葉<1900>
「苦悩は活動への拍車ながやき。ほんで活動の中にだっけ、ワシらあはワシらあの生命を感じるがぜよ。」(イマヌエル・カント)
プロイセン王国の哲学者、ケーニヒスベルク大学の哲学教授であり、ドイツ観念論哲学の祖、知の巨人、イマヌエル・カント(1724〜1804)さんの言の葉ながやき。
何の苦悩もない人生が送れたら、どればあ幸せやろうと思うてしまうかもしれんけんど、何の苦悩もない人生を送るらあて誰やちまず不可能やし、かの知の巨人カントさんは、苦悩は活動への拍車やっちゅうがよ。
拍車たぁ、物事の進行をさらに一段と速めることながやき。
つまり、人間の活動の進行を、さらに一段と速めるにゃあ苦悩が必要やっちゅうことながよ。
さらにカントさんは、「活動の中にだっけ、ワシらあはワシらあの生命を感じる」っちゅうがやき。
ほいたら、人間は活発に活動しゆう中でだっけ「生きちゅう!」っちゅう実感を味わうことができ、その活発な活動にゃあ苦悩っちゅう存在が欠かせんっちゅうことになるがよ。
つまり、苦悩は「活発な活動の母」ともいえるっちゅうことながやき。
ワシらあは、人生に苦悩が存在しちゅうことに感謝せにゃあいかんがぜよ。
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