2025年03月31日
令和7年産第2回酒米生産計画会議ぜよ!
Posted by tsukasabotan at
10:30
│
Comments(0)
2025年03月30日
幸せの言の葉<1917>
「自分の苦悩を切り抜けたもんは、人の苦悩を軽うしちゃる責務を感じにゃあならんがぜよ。」(シュヴァイツァー )
アフリカの医療と伝道に生涯を捧げて「密林の聖者」と称され、その功績によりノーベル平和賞を受賞されちゅう、ドイツ系哲学者・神学者・医師の、アルベルト・シュヴァイツァー(1875〜1965)さんの言の葉ながやき。
自分が苦悩の真っ只中にある時、そりゃあまっことツラいもんで、それこそワラにもすがる思いになっちゅうもんながよ。
そんな時に、もしホンのチビッとやち助け船を出してくれるような人がおったら、そりゃあ一生忘れることがないばあ、深うに感謝するもんながやき。
ほんじゃき、苦悩を切り抜けたもんはみんなあ、他の人が苦悩の中にある時にゃあ、その苦悩を軽うにしちゃるために動かにゃあいかんがよ。
さらに、かのシュヴァイツァーさんは、「人の苦悩を軽うしちゃる責務を感じにゃあならん」とまで言うがやき。
そりゃあつまり、苦悩を切り抜けたもんっちゅうんは、そればあ恵まれたもんやっちゅう意味ながよ。
そりゃあ、天が恵んでくれた天恵があったっちゅうことであり、それに対して心から感謝せにゃあいかんっちゅうことながやき。
天恵に対して、心から感謝するっちゅうこたぁ、つまり「人の苦悩を軽うしちゃる責務を感じにゃあならん」っちゅうことになるがよ。
そうやって天恵は、人と人の間を巡り巡っていくことになり、そうやって世の中は、どんどん良うなっていくっちゅうことながぜよ。
Posted by tsukasabotan at
09:00
│
Comments(1)
2025年03月29日
幸せの言の葉<1916>
「自発的な労働やったら、その労働は最善のもんであり、奴隷的な労働やったら、その労働は最悪のもんながぜよ。」(アラン)
当時「現代のソクラテス」と呼ばれた教育者で、「幸福論」の著者として有名なフランスの哲学者、エミール=オーギュスト・シャルティエさん、ペンネーム「アラン」(1868〜1951)さんの言の葉ながやき。
まず、「奴隷的な労働」たぁどういうもんかっちゅうたら、自分の同意してない労役らあを強制的にやらされるっちゅうもんながよ。
つまり、本人がまだ同意してないに、「これやっちょきなさい!」っちゅうて強制的に仕事を押しつけられたりしたら、そりゃあ「奴隷的な労働」っちゅうことになり、 その労働は最悪のもんやと、かのアランさんは語るがやき。
一方、「自発的な労働」っちゅうんは、自分から進んで行う労働のことで、これが最善の労働やっちゅうがよ。
たとえば、自分から進んで行う皿洗いは最善の労働やけんど、 同意してないに「お皿洗うて!」っちゅうて奥さんに強制的にさせられる皿洗いは、「奴隷的な労働」であり、そりゃあ最悪の労働やっちゅうことながやき。
自分から進んで行う皿洗いは、こぢゃんと気持ちがえいけんど、強制的にさせられる皿洗いは、モヤモヤしちょったり、イヤーな感じがするがは、それが「奴隷的な労働」やきながよ。
ほいたら、おんなじ労働をするやったら、「自発的な労働」を取った方が、全てにおいて圧倒的にえいっちゅうことながやき。
どんな仕事やち、誰かから命令される前に、自発的にスタートさせちょったら、その労働は最善のもんになるっちゅうことながぜよ。
Posted by tsukasabotan at
09:00
│
Comments(0)
2025年03月28日
2025年03月27日
2025年03月26日
2025年03月25日
2025年03月24日
2025年03月23日
幸せの言の葉<1915>
「人間性は樹木のようなもんながやき。仕事を通して、あらゆる方向へ枝を伸ばし、広がらにゃあならんがぜよ。」(ジョン・スチュアート・ミル)
自由主義経済学を代表する一人といわれる、イギリスの哲学者・政治学者・経済学者、ジョン・スチュアート・ミル(1806〜1873)さんの言の葉ながよ。
この喩えは、まっこと見事としか言いようがないばあ見事な喩えながやき。
人間性たぁ、人間としての本性っちゅうことながよ。
ほんで、その本性にゃあ、人間は一人じゃあ生きていけんっちゅう真理も含まれちゅうがやき。
ほんじゃき人間は、仕事を通して、あらゆる方向へ枝を伸ばして、広がらにゃあならんがよ。
それができてこそ、仕事自体も、自分自身の人間性も、ドンドン広がっていって、なかまも増えて、より大きな仕事も成すことができるようになるっちゅうことながやき。
ほいたら、どういたらそんなふうに、あらゆる方向へ枝を伸ばして、広がっていくことができるがかっちゅうたら、その秘訣もまた、樹木のようなもんながよ。
よりあらゆる方向へ枝を伸ばして広がることができる樹木っちゅうんは、実は目にゃあ見えん根っこの部分もまた、あらゆる方向へ根を伸ばして、広がっちゅうもんながやき。
そりゃあ人間でゆうたら、あらゆる物事に興味や好奇心やワクワク感を抱くことができる人っちゅうことになるろうか。
あらゆる物事に興味や好奇心やワクワク感を抱くことができるきにこそ、そこにそれを知ろうとする学びが生まれ、そんな様々な学びを通して、おまさんの根っこはあらゆる方向へ根を伸ばして広がっていくことができるがよ。
ほいたら、おまさんの人間性も仕事も、よりあらゆる方向へ枝を伸ばして広がっていくことができるようになるっちゅうことながぜよ。
Posted by tsukasabotan at
09:00
│
Comments(2)
2025年03月22日
幸せの言の葉<1914>
「できるかどうか分からんような試みを成功させるただ一つのもんは、まず、できると信じることぜよ。」(ウィリアム・ジェームズ)
現代アメリカの代表的な哲学「プラグマティズム」を世界に広めて影響を与えた、アメリカ合衆国の哲学者・心理学者、ウィリアム・ジェームズ(1842〜1910)さんの言の葉ながやき。
ビジネスにおいてやち、人生においてやち、成功するか失敗するか分からんような大勝負をせにゃあならん時が、誰にやち一度は来るもんながよ。
そんな時、最も大切なもんは何かっちゅうたら、お金の力でものうて、頭の良さでものうて、アイデアの素晴らしさでものうて……まず、できると信じることやっちゅうんが、かのウィリアム・ジェームズさんの答えながやき。
まずはとにかく、自分自身が自分を信じること、深うに自分を信じて、自分はできるっちゅう確信を、しっかり持つことながよ。
そんな確信が持てりゃあ、たとえお金がなかったち、その確信がお金を引き寄せてくるがやき。
たとえ頭脳が足りんかったとしたち、その確信が頭のえい人を引き寄せてくるがよ。
たとえアイデアがなかったとしたち、その確信が豊富なアイデアを持っちゅう人を引き寄せてくるっちゅうことながやき。
ほいたら、そんな深い確信はどうやったら持てるがか?
そりゃあもう、自分はこれを成すためにこの世に生まれてきたがじゃ、これを成さにゃあ死んでも死にきれんっちゅうばあ、そのチャレンジを深うに愛することながよ。
そればあそのチャレンジを愛して愛して愛し抜いてこそ、周りを動かすばあの深い確信っちゅうんは生まれてくるもんながぜよ。
Posted by tsukasabotan at
09:00
│
Comments(0)
2025年03月21日
2025年03月20日
2025年03月19日
2025年03月18日
2025年03月17日
2025年03月16日
幸せの言の葉<1913>
「プラトンやアリストテレスの議論をすべて読んだち、示された物事にしっかりと判断を下し得にゃあ、ワシらあは決して哲学者たぁならんがぜよ。」(デカルト)
合理主義哲学の祖であり、近世哲学の祖として知られちゅう、フランス生まれの哲学者、ルネ・デカルト(1596〜1650)さんの言の葉ながやき。
この言の葉は、有名な哲学者らあの遺した万巻の書を読んだところで、自分の頭で考えてしっかり判断を下すことができにゃあ、決して哲学者にゃあなれんっちゅうて言いゆうがよ。
この「哲学者」の部分を、自分が目指す「◯◯者」らあに変えて読んでみりゃあえいがやき。
たとえば、「有名な醸造家らあの遺した万巻の書を読んだところで、自分の頭で考えてしっかり判断を下すことができにゃあ、決して醸造家にゃあなれん」っちゅう感じながよ。
つまり、確かに先人らあが遺してくれた言葉や書物らあはこぢゃんと大切やし、そっから学ぶこたぁ大きいがやけんど、そこで止まってしもうちゃあいかんっちゅうことながやき。
そっから先が、まだあるがよ。
その学んだことを、自分の中でしっかり咀嚼して腑に落として、もういっぺん自分の頭で考え抜いてから、示された物事に対して判断を下さにゃあいかんっちゅうことながやき。
それができて初めて、先人らあと並ぶばあの「◯◯者」になることができる道が、目の前に拓けてくるっちゅうことながぜよ。
Posted by tsukasabotan at
09:00
│
Comments(0)
2025年03月15日
幸せの言の葉<1912>
「多くの言葉で少しを語るがやのうて、少しの言葉で多くを語りなさいや。」(ピタゴラス)
古代ギリシャの哲学者・数学者で、数を万物の根源と考えた、「ピタゴラスの定理」の発見者、 ピタゴラス(紀元前582頃〜紀元前492頃)さんの言の葉ながやき。
この言の葉は、伝えたいことが多すぎて、どういたち語りも文章も長うなってしまうワシにとっちゃあ、まっこと耳が痛い言の葉ながよ。
けんど、かのピタゴラスさんのおっしゃるとおり、本気で伝えたいがやったら、少しの言葉で多くを語るっちゅうんが確かに正解ながやき。
結局、人間っちゅうんは、他人の言葉らあてあんまり聞きとうないもんやき、「多くの言葉」を語られたら、何ひとつ記憶に残ってなかったりするもんながよ。
ほんじゃき、「少しの言葉」を語りゃあ、それだっけでインパクトがあり、結果的に強うに印象に残るもんながやき。
ほいたらあとは、その「少しの言葉」で、どういたら「多くを語る」ことができるがやろうか。
単に「少しの言葉」だっけじゃあ、言葉足らずで真意が伝わらんかったり、誤解されたり曲解されたりしてしまうおそれがあるがよ。
そうならんようにするにゃあ、まずは「シンプルで正確な言葉をしっかり選ぶ」っちゅうことながやき。
次に、アクセントや表情やジェスチャー等々で、「言外に匂わせる」ことながよ。
けんど、こりゃあある意味で役者並みの演技力が要求されるきに、役者経験のない普通の人にゃあなかなか難しいがやき。
ほいたらどうすりゃあえいかっちゅうたら、「絶対にこれだっけは伝えたい!」っちゅう真髄の部分を、自分の中でしっかりと腑に落として、どんな角度からやち自分の言葉で語ることができるレベルにまで磨き上げるしかないがよ。
それができるようになるにゃあどういたらえいかっちゅうたら、結局は自分の中に「強い念い」を持つしかないがやき。
自分の中でしっかりと腑に落としちゅうことを、強い念いを持って、自分の言葉で、シンプルで正確な言葉をしっかり選んで、アクセントや表情やジェスチャー等々で「言外に匂わせる」意識を持って語りゃあ、ある程度は、少しの言葉で多くを語ることができるようになるっちゅうことながぜよ。
Posted by tsukasabotan at
09:00
│
Comments(0)
2025年03月14日
2025年03月13日
2025年03月12日
2025年03月11日
2025年03月10日
2025年03月09日
幸せの言の葉<1911>
「どんな長所を持った人物やち、世間の支持がなけりゃあ、石ころだらけの道を歩むことになるがぜよ。」(バルタザール・グラシアン)
17世紀スペイン黄金世紀の哲学者・神学者・イエズス会司祭で、教育的・哲学的な散文を数多く残した、バルタザール・グラシアン(1601〜1658)さんの言の葉ながやき。
素晴らしい頭脳や才能を持っちゅうに、結局何ちゃあ成し遂げることがないまんま、終わってしまう人がおるがよ。
そういう人は、何が間違うちょったがかっちゅうたら、自身の頭脳や才能を過信しすぎて、周りの人の協力を得るっちゅうことを忘れて、自分ひっとりだっけで事を成そうとしたっちゅうことながやき。
どればあ凄い頭脳や才能を持っちょったち、たったひっとりだっけじゃあ、結局は大したこたぁ成し遂げれんもんながよ。
けんど逆に、人並みの頭脳や才能しか持ってなかったとしたち、周りの人らあを巻き込んで、より多くの人の頭脳や才能に協力を仰ぐことができりゃあ、想像以上の事を成し遂げることができるもんながやき。
さらに、そんな協力を長いこと継続して仰ぎ続けることができりゃあ、とんでもないところにまでたどりつくができるっちゅうことながぜよ。
Posted by tsukasabotan at
09:00
│
Comments(2)
2025年03月08日
幸せの言の葉<1910>
「すべての基本は熱中することにあるがやき。ほんで、熱中は純真な心から生まれるがぜよ。」(ラルフ・ワルド・エマーソン)
ピューリタニズムと理想主義に立脚し、ロマン的な「超越主義」を唱えた、アメリカ合衆国の思想家・詩人、ラルフ・ワルド・エマーソン(1803〜1882)さんの言の葉ながやき。
何か事を成そうとするためにゃあ、何が最も必要かっちゅうたら、その一番は熱中することながよ。
どればあ才能があったち、どればあ財力に恵まれちょったち、その成そうとしゆう何かに対して熱中することができざったら、結局は途中で挫折してしもうて、それを成し遂げるこたぁできんがやき。
ほいたら、その熱中は、どっから生まれてくるがやろうか?
そりゃあ「純真な心」から生まれるっちゅうて、かのエマーソンさんは喝破するがよ。
純真な心たぁ、つまり不純なもん、邪念や私欲がないっちゅうことながやき。
邪念や私欲を持って何か事を成そうとした場合、一時的に没頭するこたぁできるかもしれんし、一時的に夢中になるこたぁあるかもしれんがよ。
けんど、そりゃああくまでも一時的なもんで、本気でそこに心を注ぎ込んで熱中し続けるこたぁできんがやき。
邪念や私欲のない純真な心で事を成そうとすりゃあ、いつの間にか自分自身が、その成そうとしゆう「行為」そのものになったような感覚になるもんながよ。
その状態こそが、真の「熱中」ながやき。
そんな真の「熱中」状態になってこそ、一時的な没頭や夢中やなしに、熱中し続けることができるようになるし、ほいたら事を成し遂げることができるようになるっちゅうことながぜよ。
Posted by tsukasabotan at
09:00
│
Comments(2)
2025年03月07日
2025年03月06日
2025年03月05日
2025年03月04日
2025年03月03日
2025年03月02日
幸せの言の葉<1909>
「自然の状態にある人間は、処理すべき障害、克服すべき困難がなけりゃあ、考えるもんやあないがぜよ。」(ジョン・デューイ)
アメリカ合衆国の哲学者、教育思想家、社会改良家で、プラグマティズム(実用主義)を代表する思想家であり、各国の教育思想に多大な影響を与えた、ジョン・デューイ(1859〜1952)さんの言の葉ながやき。
この言の葉はつまり、人間っちゅうんは、障害や困難らあが何ちゃあなかったら、放っちょいたら何ちゃあ考えんなるぜよっちゅう警告ながよ。
自分の頭を使うて、深うに考えることを一切せんなった人間っちゅうんは、もはや何の進歩も、何の発展も、 何の幸せもない人生を送ることになるがやき。
そりゃあ果たして人間といえるがやろうか?
もはや、ただ生きちゅうだっけの動物ながよ。
ちゅうこたぁ、人間が人間として、幸せに生きるためにゃあ、自分の頭を使うて深うに考えることが必須やっちゅうことであり、そのためにゃあ、処理すべき障害や、克服すべき困難が、人生にゃあ必要やっちゅうことになるがやき。
つまり、今おまさんは、もしかしたら、処理すべき障害や克服すべき困難らあが目の前に山積しちょって、それをツライとか不幸やとか感じちゅうかもしれんけんど、実はそりゃあこぢゃんと有り難いこと、こぢゃんと幸せなことやっちゅうことながぜよ!
Posted by tsukasabotan at
09:00
│
Comments(0)
2025年03月01日
幸せの言の葉<1908>
「過去にゃあ感謝を、現在にゃあ信頼を、未来にゃあ希望を。」(オットー・ボルノー)
「空間の哲学」を掘り下げ、実存主義と科学主義の超克を試みたドイツの教育哲学者で、玉川大学名誉教授を務めて日本とも縁が深い、オットー・フリードリヒ・ボルノー(1903〜1991)さんの言の葉ながやき。
この短い言の葉の中にゃあ、こぢゃんと深い真理が隠されちゅうがよ。
その真理たぁ何かっちゅうたら、卑近な言い方で表しゃあ、人間が幸せに生きるための秘訣やと表現できるがやき。
逆に、不幸な人生を送りゆう人のことを考えてみりゃあ、よう分かるがよ。
不幸な人生を送りゆう人っちゅうんは、過去を後悔しゆうか、現在に不満や疑念を抱いちゅうか、未来に絶望しちゅうか、だいたいこの3つのパターンに集約されるがやき。
ほいたら、その不幸な人生を幸せな人生に転換するにゃあ、その3つのパターンを逆転させりゃあえいっちゅうことになるがよ。
すなわちまず1つ目は、過去を後悔することをやめて、全ての過去に感謝することながやき。
2つ目は、現在に不満や疑念を抱くことをやめて、現在に対して信頼を抱くことながよ。
さらに3つ目は、未来に絶望することのう、未来に対して明るい希望を持つことながやき。
過去にゃあ感謝し、現在にゃあ信頼を抱き、未来にゃあ希望を持つことができりゃあ、過去・現在・未来の全てが幸せに塗り替わるがよ。
これすなわち、人間が幸せに生きるための秘訣やっちゅうことながぜよ。
Posted by tsukasabotan at
09:00
│
Comments(1)