2025年07月31日
「酒道 黒金流」第48回「入門者オンライン質疑応答会&懇親会」ぜよ!
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2025年07月30日
2025年07月29日
2025年07月28日
2025年07月27日
幸せの言の葉<1954>
「人間、貧乏やったち、ちびっともあわてるこたぁないがよ。目的をもって生きる、信ずるところに生きる、修養につとめる、そこに自ずから、積極的な人生の楽しみが生まれてくるがぜよ。」(伊藤肇)
中部経済新聞記者を経て株式会社財界研究社に入り、同社副主幹兼雑誌「財界」編集長を最後に退社した後は、評論家として執筆と講演に専念した、伊藤肇(1926〜1980)さんの言の葉ながやき。
貧乏やからっちゅうて、お金がないからっちゅうて、ほんじゃき自分の人生に楽しいことらあほとんどないがやっちゅうふうに、考えよっちゃあいかんっちゅうことながよ。
だいたい、お金を言い訳に使う人っちゅうんは、お金がない方やろうが、お金がある方やろうが、実はおんなじ傾向を持っちゅう人ながやき。
そりゃあ「お金に対する執着心が強い」っちゅう傾向ながよ。
たとえどればあ貧乏やったとしたち、自分の人生に責任を持って、目的を持って生きるこたぁできるがやき。
たとえどればあお金がなかったとしたち、自分の人生を自分が信じる方向に向こうて生きるこたぁできるがよ。
たとえどればあ借金があったとしたち、自分の人生のために修養につとめるこたぁできるがやき。
しっかりと目的を持って、自分の信じるところに向こうて、修養につとめもって人生を歩んでいきよりゃあ、そこにゃあ必ず積極的な人生の楽しみが生まれてくるもんながよ。
さらに、そんな道をうまずたゆまず歩み続けよりゃあ、お金に対する執着心も薄れてきて、且ついつしか借金も貧乏もないなってしもうちゅうもんながやき。
ほんじゃき、たとえ今どればあお金がなかったとしたち、目的を持って、信じるところに向こうて、修養につとめもって、生きていこうぜよ!
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2025年07月26日
幸せの言の葉<1953>
「人間が生きるっちゅうことはどういうことやろかといっつも考えるがよ。ほいたら死ぬことやっちゅうことに帰着するがやき。死ぬと分かりゃあ今日この一日を十分に生きにゃあ損やと思うがよ。ほんでキザな言い方やけんど、講演するときもこのあとワシゃあきっと死ぬがやと自分に言い聞かせることにしちゅうがやき。ほいたらその講演に命をかける。二時間がまるで二十分ばあの勢いでしゃべってしまうがよ。講演のあとは汗でびっしょりながやき。けんど不思議なことにこのほうが疲れんがよ。思いっきりやったっちゅうワシだっけの満足感が疲れを忘れさせるがぜよ。」(淀川長治)
約32年に渡って務めた「日曜洋画劇場」の解説の締め括りに、「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ……」っちゅう独特の語り口を披露して全国的に有名になり、「ヨドチョーさん」「ヨドさん」「サヨナラおじさん」らあて呼ばれるばあ多くの視聴者に親しまれた、日本の雑誌編集者・映画解説者・映画評論家、淀川長治(1909〜1998)さんの言の葉ながやき。
人間全員誰やち、最終的にゃあ必ず死ぬる運命やに、まだ若い頃にゃあそんなこたぁ全く考えることも意識することもないもんながよ。
けんど、ワシらあみたいに還暦も過ぎて、身体のアチコチにガタがきだいたら、どういたち「死」っちゅうもんを意識するようになってくるもんながやき。
ほんで、そっから後の意識の持ち方や考え方が大事で、その点についちゃあ、かの淀川長治さんのこの言の葉がこぢゃんとお薦めながよ。
そりゃあまず、「死ぬと分かりゃあ今日この一日を十分に生きにゃあ損やと思う」っちゅうことながやき。
死ぬと分かりゃあ、「自暴自棄になる」とか、極端な場合「道連れの無差別殺人に走る」とか……近年は間違うた方向へ突っ走ってしまう人もおるもんやき、まずは「今日この一日を十分に生きにゃあ損やと思う」っちゅうんがこぢゃんと大事ながよ。
ほいたら、どんな仕事をするときやち、この仕事を終えたあと自分は死ぬるがやと思うたら、その仕事に命をかけて全身全霊で打ち込めるようになるはずながやき。
そうやって一日一生の如く毎日を十分に生きよりゃあ、朝目覚めたとき、「また一日生き長らえた!」っちゅうことになり、心から感謝の気持ちが湧き出いてくるはずながよ。
こうして、ホンマに死ぬるその日まで、こぢゃんと充実しまくった満足感あふれる毎日を送ることができるようになるっちゅうことながぜよ。
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2025年07月25日
2025年07月24日
2025年07月23日
2025年07月22日
2025年07月21日
幸せの言の葉<1952>
「成功する人は錐(きり)のように、ある一点に向こうて働くがぜよ。」(クリスチャン・ネステル・ボヴィー)
19世紀アメリカの作家であり弁護士の、クリスチャン・ネステル・ボヴィー(1820〜1904) さんの言の葉ながやき。
成功するためにゃあ、アレもやらにゃあいかん、コレもせにゃあならん……ちゅうて、アッチもコッチもに手を拡げすぎて、結局何ちゃあ成すことができんっちゅう人が少のうないようながよ。
一見、成功するためにゃあいろんなことをせにゃあならんように見えてしまうかもけんど、そりゃあおまさんの成功したいもんたぁ何か、成し遂げたいことたぁ何かを、明確にしてないっちゅうことやないかよ?
もしおまさんの成功したいこと、成し遂げたいことが明確になっちゅうがやったら、アッチもコッチもらあに手を拡げる必要らあないはずながやき。
おまさんの成し遂げたいことさえ明確になっちょりゃあ、その一点に向こうて、錐のように真っ直ぐに進んでいきゃあえいっちゅうことながよ。
本気で成し遂げたいことをしっかりと明確にしちょきゃあ、そのために必要なことだっけに全集中できるはずで、必要やないもんらあもハッキリするきに、それらあは一切合切捨て去るべきながやき。
それができりゃあ、成功のために錐のように、ある一点に向こうて働くことができるようになるっちゅうことながぜよ。
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2025年07月20日
幸せの言の葉<1951>
「決断たぁ、目的を見失わん決心の維持にほかならんがぜよ。」(ドワイト・D・アイゼンハワー)
「物腰は優雅に、行動は力強く」をモットーとした、陸軍軍人であり政治家で、第34代アメリカ合衆国大統領、ドワイト・デイヴィッド・アイゼンハワー(1890〜1969)さんの言の葉ながやき。
「決断」っちゅうたら、一般的にゃあ意志をはっきりと決定することっちゅうような意味やき、その瞬間だっけのことのような、そんなイメージがあるがよ。
けんど、そんな一時の意志決定を「決断」たぁ呼ばんと、かのアイゼンハワー大統領は語っちゅうっちゅうことながやき。
ホンマの「決断」たぁ、一時の意志決定らあのような軽いもんやのうて、「目的を見失わん決心の維持」やっちゅうがよ。
まず、自身の目指すべき目的をハッキリと具体的にイメージする。
次にその目的を、決して見失わんっちゅうて心に決める。
さらにその決心を、長期間にわたって維持し続ける。
こういう長期間な意志決定の持続こそが、ホンマの「決断」やっちゅうことながやき。
ほいたらワシらあは、これまでの人生において、いったい何回の「決断」をしたことがあるがやろうか?
自分自身のホンマに成すべき目的を成就するためにゃあ、一世一代の「決断」をせにゃあならんっちゅうことながぜよ。
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2025年07月19日
幸せの言の葉<1950>
「やるべきことが決まったやったら執念を持ってとことんまで押しつめにゃあ。問題は能力の限界やのうて執念の欠如ながよ。物事を成就させ成功させる力は何か、その力の中にゃあむろん能力があるろう。けんど能力は、必要な条件やっても十分な条件じゃあないがやき。十分な条件たぁ、その能力に、起動力、粘着力、浸透力、持続力らあを与える力ながよ。そのような諸力をワシゃあ執念とよびたいがぜよ。」(土光敏夫)
石川島重工業・石川島播磨重工業 社長、東芝社長・会長を歴任し、日本経済団体連合会第4代会長に就任して、「土光臨調」と称された第二次臨時行政調査会でも辣腕を振るうて「ミスター合理化」と呼ばれた、昭和日本のエンジニアであり実業家、土光敏夫(1896〜1988)さんの言の葉ながやき。
何かに挑戦して成し遂げられんかった時、よう「能力の限界やった」とかっちゅう言葉が使われるけんど、そうやのうてそりゃあ「執念の欠如」やと、かの土光敏夫さんは断言するがよ。
土光さんに言わせりゃあ、能力は必要条件かもしれんけんど十分条件やないっちゅうがやき。
ほいたら必要十分な条件たぁ何かっちゅうたら、能力に起動力、粘着力、浸透力、持続力らあを与える力であり、そんな諸力を「執念」とよびたいっちゅうがよ。
自分の持っちゅう能力に、状況に応じて迅速に行動できる力、粘りついて離れん力、相手の心に深うに入り込み影響を与える力、あきらめることのう物事を継続する力らあが加わりゃあ、物事を成就させ成功させる力が手に入るっちゅうことながやき。
能力は持って生まれたもんが強いかもしれんけんど、これらあの起動力、粘着力、浸透力、持続力らあの力は、絶対に成就させるっちゅう強い念い、つまり「執念」がありゃあ手に入れることができる力やっちゅうことながよ。
おまさんが、もし何かに挑戦して成し遂げられんかったとしたら、そりゃあ「能力の限界」じゃあのうて、「執念の欠如」やっちゅうことながぜよ。
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2025年07月18日
2025年07月17日
2025年07月16日
2025年07月15日
2025年07月14日
2025年07月13日
幸せの言の葉<1949>
「眠るやったら目をつぶりなさい。考えるやったら目をあけなさい。目をつぶって考える中身は大概くだらんがやき。決断に向こうて思考するとき、目は必ず見開かれて輝いちゅうがぜよ。」(むのたけじ)
太平洋戦争従軍記者としての経験・反省から、戦後に反戦・平和を訴え続け、新聞『たいまつ』を創刊し、農村・農業の進路、出稼ぎ問題、農民運動の在り方、地方文化やサークル活動についてらあを追求し、「自分の言葉に自分の全体重をかける」記事を書き続けたジャーナリスト、むのたけじ(1915〜2016)さんの言の葉ながよ。
「目をつぶって考える中身は大概くだらん」っちゅうんは、おそらく現実味のない単なる夢想や妄想を表現した比喩ながやき。
現実味のない夢想や妄想らあて、単に目をつぶって眠りゆうがと一緒やっちゅうことながよ。
そんなヒマがあるがやったら、まずは目をあけなさい……つまり現実を直視しなさいっちゅうことながやき。
ほんで、しっかりと現実を直視することができたら、次は自身の真の理想を叶えるための決断に向こうて、真剣に考えに考えなさいっちゅうことながよ。
そんな理想への決断に向こうて考えに考えゆうとき、確かにその人の目は必ず見開かれちゅうし、且つその人の目は間違いのう、キラキラと輝いちゅうがやき。
そういう、現実に対してしっかりと目を見開いて、目を輝かせもって思考し続けゆう人間こそが、理想を実現させることができるっちゅうことながぜよ。
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2025年07月12日
幸せの言の葉<1948>
「ワシゃあ強いがぞっちゅう誇示したもんにかつて勁かった奴はおらん。むしろ、名もない漁師や職人に勁直な人間が多いがよ。かつてワシゃあ海のすぐそばに棲みよったことが何年かあるがやき。ワシゃあそこでいろいろな漁師と知りおうたがよ。彼等はみんなあ貧しゅうて正直な男達やった。海に舟をだいてたった一匹の魚しか釣れん日があったち、それが彼等の生活を支えちょった。そこにゃあ胸に迫ってくる生活の現実感があった。こうした彼等の日常を支えちょったもんが何やったかっちゅうたら、そりゃあ勁さやったがやき。彼等は弱者でありながら勁さをそなえちょったがぜよ。」(立原正秋)
凛とした精神性と日本的美意識に裏打ちされた多くの作品を生み出いた小説家で、「白い罌粟」で1966年に直木賞を受賞しちょって、随筆家・詩人・編集者でもある、立原正秋(1926〜1980)さんの言の葉ながよ。
ちなみに、「勁い」は「つよい」と読み、単に「強い」だけやのうて、しなやかで折れん強さっちゅう意味合いも含まれちょって、芯がしっかりしちょって逆境にも屈せんような強さを表現する際に使われる言葉ながやき。
また「勁直(けいちょく)」は、強うて真っ直ぐな様子を表す言葉で、具体的にゃあ、意志が強うて曲がったことが嫌いで、正直で、正しいことを追求する様子を指すがよ。
海に舟をだいてたった一匹の魚しか釣れん日があったち、それが自身や家族らあの生活を支えちゅうことをシッカリと理解して、日々黙々と働くっちゅう、胸に迫るような生活の現実感がある人間……。
どんな仕事をしよったち、そんな「勁さ」、そんな「勁直」さをそなえて、生きていきたいもんながやき。
そういう人間は、たとえ世の中から見りゃあ弱者に見えたとしたち、紛れものうそりゃあ「勁い」人間ながぜよ!
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2025年07月11日
2025年07月10日
2025年07月09日
2025年07月08日
2025年07月07日
2025年07月06日
幸せの言の葉<1947>
「自分からアクションを起こさんと『もうちくと様子をみてから……』らあて考えゆううちに、チャンスの女神は手のとどかんところへ行っちゅうがやき。もう、どうしょうもないなって、『運を天にまかす』っちゅうことになるがやけんど、そりゃあ追いつめられた状態ながよ。チャンスはとうに失うて、ピンチをのがれられるかどうかだっけの問題になってしまうがぜよ。」(竹村健一)
70年代から90年代にかけて、討論番組の司会らあでテレビに多数出演しよったジャーナリストであり、政治評論家で、1989年第5回「正論」大賞も受賞しちゅう、竹村健一(1930〜2019)さんの言の葉ながやき。
この言の葉の意味するところは、チャンスの女神が目の前に現れたら、迷うことのう直ぐさま手を伸ばしてつかまえろっちゅうことながよ。
言葉で言やあ、それだっけのことで、そんなに難しゅうなさそうに思えるけんど、これがなかなか難しいがやき。
チャンスの女神っちゅうんは、ある日突然目の前を通り過ぎるもんやき、誰やち直ぐ手を伸ばすがを一瞬躊躇してしまうもんながよ。
この一瞬の躊躇の間に、女神はもう手がとどかんところに行ってしもうちゅうがやき。
ほいたらもう手遅れで、あとはどうしょうもないき、「運を天にまかす」っちゅうことになるがやけんど、その状態っちゅうんは、もはやチャンスどころかピンチの状態で、そのピンチをどうやって逃れるかっちゅうだっけの問題になってしまうっちゅうことながよ。
ほいたら、どうすりゃあえいがかっちゅうたら、自身の抱えちゅう問題の解決策となるようなチャンスの女神の姿を、常日頃からリアルに思い描いちょくことながやき。
さらに、そんな女神が通り過ぎそうなあたりに、常にアンテナを張り巡らせちょくことながよ。
ほんで、女神らしき姿が目の前に現れた瞬間に、迷うことのう直ぐさま手を伸ばしてつかまえることながやき。
つかまえたががホンマのチャンスの女神やなかったら、手をはなしゃあえいだけのことで、もしホンマのチャンスの女神やったとしたら、つかまえた後で、どうするかを考えりゃあえいっちゅうことながよ。
とにかく、チャンスやと思うたら、一も二ものう直ぐさま自分からアクションを起こす……これがチャンスの女神をつかまえられる人の特徴やっちゅうことながぜよ。
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2025年07月05日
幸せの言の葉<1946>
「自分の経験は、どればあチンマイもんやち、百万の他人のした経験よりか価値のある財産ながぜよ。」(レッシング)
ドイツ啓蒙思想の代表的な人物であり、フランス古典主義からの解放を目指し、ドイツ文学のその後のあり方を決めた人物やと言われ、その活動はゲーテやシラーらあの当時のドイツ文学・思想に多大な影響を及ぼしたと言われる、ドイツの詩人・劇作家・思想家・批評家、ゴットホルト・エフライム・レッシング(1729〜1781)さんの言の葉ながやき。
このレッシングさんの言の葉は、どればあチンマイもんやち自分の経験っちゅうもんを大切にせにゃあいかん、さらにそんな経験から得られるもんこそが重要で、それが価値のある財産になるっちゅうことながよ。
他人の経験談を聞いたり、本を読んだりすることやち、もちろん大切やし有益やろうけんど、最終的にゃあ、自分の経験を通じて得られた知識や洞察らあこそが、真に価値のある財産になるっちゅう考え方ながやき。
例えば、大失恋の経験がない人にゃあ、実際に大失恋をした人がどればあ強烈な喪失感を抱いちゅうかを理解するがは、かなり難しいことながよ。
けんど、いっぺんやち自分が実際に大失恋を経験すりゃあ、その強烈な喪失感をハッキリと身をもって体感することができるし、さらに大失恋した人らあに心から共感することもできるようになるがやき。
この大失恋みたいに、世の中にゃあ、自身で実際に経験してみんことにゃあ、ホンマのところは真に理解することができんようなもんが、それこそ山のようにあるがよ。
ほんじゃき、レッシングさんの言の葉のとおり、自分の経験っちゅうんは、どればあチンマイもんやったとしたち、百万の他人のした経験よりか価値のある財産になるっちゅうことながぜよ。
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2025年07月04日
2025年07月03日
2025年07月02日
2025年07月01日