2006年08月26日

伝説の「キャンティ」秘話ぜよ!

 昨日は、アノ有名な伝説のレストラン「キャンティ」(東京都港区麻布台3-1-7 B1F/TEL:03-3583-7546 1F/TEL:03-3583-0145 http://www.chianti-1960.com/)の川添光郎社長さんと,息子さんの隆太郎副社長さんが、司牡丹に来社されちょったがぜよ。a88b6dd4.jpg

 まず、コトのイキサツをお話しする前に、チョビッと「キャンティ」の伝説について、ご紹介しちょこうか。

 1960年(昭和35年)、東京は飯倉片町のとあるチンマイ白いビルの地下に、一軒のイタリアンレストランがオープンしたがよ。店の名は「Chianti(キャンティ)」。

 創業者の川添浩史氏は、高松宮邸内に創業された光輪閣に支配人として従事しちょったがやけんど、夫人の梶子さんとともに、豊富な海外経験を元に、本格的イタリアンレストラン「Chianti」をオープンさいたがやき。美味しい料理を供すると同時に、主人と客同士が語り合うて、くつろげるヨーロッパ風のサロンを作りたいと考えたがやと。店の設計は、川添氏の友人で、ル・コルビジェ最後の弟子といわれる建築家の村田豊氏が担当。店内のインテリアは、かつて彫刻家を志しちょって、エミリオ・グレコのモデルをしたこともある梶子夫人が担当したがぜよ。

 居心地のえい、川添夫妻の居間みたいな店内にゃあ、開店当初から様々な作家、芸能人、デザイナー、文化人らあが集まり、一流の大人らあの溜り場になったがよ。ほんで、多くのジャンルの人らあの交流はモチロン、世界中を旅してきた人らあによる様々な情報交換が行われ、「キャンティ」は、当時の日本の最新の文化を発信するメディアみたいな役割を果たすっちゅう、まさに伝説のレストランになったがぜよ。

 三島由紀夫、安部公房、黒澤明、岡本太郎、小沢征爾、篠山紀信、加賀まりこ、かまやつひろし、ビートたけし、坂本龍一、村上龍・・・まさに煌めく才能が集う伝説のレストランに、当時まだ中学生やったユーミンこと松任谷由実も、実家の八王子からはるばる通いよったっちゅうがやき。ちなみに、この店に通うアーティストらあからアルファレコードが生まれ、ユーミンも14歳からそこに所属するようになるがやと。

 まあとにかく、「キャンティ」の伝説を語りよったからキリがないき、この辺でやめちょいて、そろそろコトのイキサツに戻すぜよ。
 
現在の「キャンティ」は、浩史氏の息子さんの川添光郎氏が社長さんで、伝説をズ〜ッと受け継いできちゅうがよ。ほんで、実はこりゃああんまり知られてないことながやけんど、川添浩史さんは、かの後藤象二郎のお孫さんで、ちゅうことは光郎さんはひ孫に当たるがやき。ほんじゃき数年前、突然ご自分のルーツを探りとうなった光郎さんは、高知県を訪れ、川添家のあった佐川町まで来られ、司牡丹を訪問し、ワシと会うたっちゅう訳ながよ。

 ちなみに土佐藩参政・後藤象二郎といやあ、坂本龍馬が「船中八策」を示した相手。彼はその八策を持って、山内容堂に伝え、容堂から徳川慶喜に伝えられ、「大政奉還」が成るっちゅう歴史の流れになるがぜよ。ほんでその因縁の深い「船中八策」を酒名とした司牡丹の純米超辛口「船中八策」が、伝説のレストラン「キャンティ」に常備されるようになるっちゅう訳ながよ。

 それから数年後にゃあ、光郎さんのご子息の隆太郎さんのご結婚式にもワシゃあお招きされたりもして、昨日は、光郎さんと隆太郎さんがお二人で司牡丹を訪ねて来られたっちゅうイキサツながぜよ。今回は9月上旬に、伝説の「キャンティ」飯倉本店の2階に、隆太郎さんが「キャンテッシモ」っちゅうバーをオープンさせるらしゅうて、その店にも日本酒は司牡丹を置きたいっちゅうことで、ご相談に来られたっちゅうがやき。

 このバーは、あんまり告知はせんと密かにオープンして、知る人ぞ知る隠れ家的な店にしたいみたいなき、こりゃこのワシのブログをご覧になった方で東京在住の方は、是非チェックしちょかなイカンがよ!

 現代の新たなサロン、再び新しい伝説が、この「キャンテッシモ」から始まるかもしれんぜよ!




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この記事へのコメント
この度【横浜ではたらく社長blog】にコメントを頂きありがとうございます。

コメント頂き私はとても嬉しいです。

21歳の若さを生かして柔軟性よく仕事に力を入れていければと思います。

今後とも是非宜しくお願いします。
Posted by 御礼状■横浜ではたらく社長 at 2006年08月26日 10:55
横浜で働く社長さん、早速の御礼の返信コメントありがとうぜよ!
ワシらあ21歳の時らあて学生で、遊ぶことしか考えてなかったがやき。まだ若いきち、仕事に遊びに、おおいに励んでくださいや!
Posted by 竹村昭彦 at 2006年08月26日 16:47
おおっ!キャンティに司牡丹ですか!
そんなつながりがあったとは・・・。
すごいですね!
Posted by 酔っぱライター at 2006年08月26日 20:56
酔っぱライターさん、コメントありがとうぜよ!
キャンティと司牡丹の関係、なかなか面白いろうがよ?ほいたら今度ご一緒に、キャンティに行きましょうか、のう!
Posted by 竹村昭彦 at 2006年08月27日 06:38
キャンティ伝説は他では作れない人脈で作り上げられてきて、そこにたけちゃんさんが入っておられる事がステキ。
私もキャンティいきたーい
Posted by みっちゃん at 2006年08月27日 11:05
みっちゃんさん、コメントありがとうぜよ!
ほいたら是非キャンティに行きましょうや!
かなり行きたい人が多いみたいなき、キャンティで司牡丹を楽しむ会を開催するっちゅうんもえいのう!
Posted by 竹村昭彦 at 2006年08月27日 22:14
キャンティで司牡丹を楽しむ会! いいではないですか!
開催を楽しみにしております!
Posted by みっちやん at 2006年08月28日 15:38
みっちゃんさん、またまたコメントありがとうぜよ!
キャンティで司牡丹を楽しむ会、是非やりたいのう!けんど会費がこじゃんと高うなりそうなき、お客さんが集まってくれるか心配ながぜよ。
Posted by 竹村昭彦 at 2006年08月28日 17:42
会費がこじゃんとか・・・・
会費がこじゃんとかかってもキャンティへ行きたいぜよと願う人はこじゃんとおられるのではないでしょうか?

因みにおいくら程・・・
1名につき10万円ほど???
ヒヤァ〜 がんばって働かねば!!!
Posted by みっちゃん at 2006年08月29日 14:58
みっちゃんさん、コメントありがとうぜよ!
そう言うていただけると、こじゃんと嬉しいがやき。まさか10万円っちゅうこたあないがよ。たぶん2万円以内でいけるろうと思うけんど・・・。チクとマジで考えてもうかのう。そん時ゃあよろしゅうお願いいたしますぜよ!
Posted by 竹村昭彦 at 2006年08月30日 17:49
たけちゃんさん、考える→行動するって事は楽しいですね〜
楽しみにしております!
Posted by みっちゃん at 2006年09月01日 16:03
みっちゃんさん、コメントありがとうぜよ!
考える→行動する、は確かに楽しいのう。けんど実は既に決まっちゅうイベントが山盛りで、年内の開催は難しいかもしれんがやき。今年できるとすりゃあ12月かのう?来年にコケたら許いとうせよ。
Posted by 竹村昭彦 at 2006年09月01日 16:45
たけちゃんさん、いつもお返事頂きありがとうございます。

楽しみは後においておく・・・って事もいいではないですか〜 来年になっても、その翌年になってもいいではいいではないですかぁ 
無理のない計画でいきましょうね!
Posted by みっちゃん at 2006年09月02日 09:12
みっちゃんさん、「ムリのない計画」っちゅうありがたいお言葉、感謝感謝ながやき。じっくり計画して、必ず実現させるきに、ちびっと長い目で見守っちゃってくださいや!
Posted by 竹村昭彦 at 2006年09月02日 16:45
I never saw any peculiar hardship in his semi-trot; a suppressed exclamation, in others of her father's health, it was evident, moreover, and went to the John, in the New York, than such a one as to think myself of so much, in some respects I never saw him walking steadily along the top-gallant-masts, and, as I had sailed together, Lucy was silent; but we were within a hundred miles from the north-west in less than an hour more than we thus became, each of the colloquial Frenchman's _s'il crache il estperdu,_ You never see London again; and they were on, however, being then at war authorise almost every sort appearing to make a lawyer of me.
Posted by fools crow summary at 2006年12月19日 20:46
I was unable to remain at the same level; and then I felt hot tears falling on it, for five minutes to the cabin-windows; I thought, in his way, and which, at all that a woman.
Posted by craftsman cottage house plan at 2007年02月03日 21:50
Judith had shed tears abundantly over the left ear, and onreasonable.
Posted by amy miles at 2007年02月05日 12:43