2007年06月09日

幸せの言の葉〈85〉

「ワシが、憎しみあるくにゃあ、愛を、争いあるくにゃあ、許しを、疑いあるくにゃあ、信仰を、絶望あるくにゃあ、希望を、闇あるくにゃあ、光を、そして、悲しみあるくにゃあ、喜びを、もたらすことができますように。」(聖フランチェスコ)

この聖フランチェスコさんの祈りは、歴史上最も有名な祈りの「言の葉」であり、祈りの本質をズバリ表しちゅうと言われるがぜよ。

ワシらあはスッと、自分に何か悩みや苦しみらあの問題が生じた時に、「その問題を取り除いてください」っちゅう具合に、自分だっけの都合を神様に祈ったり、願うたりするがやき。けんど、自分の都合ばっかしを神様に押しつけるみたいな祈りで、ホンマに気持ちが軽うなるろうか。むしろ逆に、「助けて」っちゅうてもがけばもがくばあ、苦しみの蟻地獄にはまってしまうがが実情ながやないろうか。聖フランチェスコさんの「言の葉」は、祈りの本質たぁそうやないぜよと、ワシらあに教えてくれるがやき。

「危険から身を守ってください」と願うがやのうて、恐れにとらわれない心の強さをお願いするがよ。「苦しみを取り除いてください」と願うよりか、むしろ、苦しみを乗り越え、克服する力を求めるがぜよ。そういう心境になれりゃあ、もはや自分一個人の必要や便宜を図ってもらおうらあていう思いは全くのうなるがやないろうか。

聖フランチェスコさんは、むしろ心のベクトルを「〜してください」から、180度切り替えて、自分が人に幸福を提供する側、愛を与える側に回ることによって、かえって心が軽うなり、自分の悩みから脱却できるっちゅう逆説を説いてくれちゅうがやき。すなわち自分のことよりか、周囲の幸せを願うっちゅうんが、祈りの本質やと教えてくれるがぜよ。

この聖フランチェスコさんの祈りの後半にゃあ、次のような「言の葉」も語られちゅうがやき。

「ワシらあは、与えることによって与えられ、許すことによってこそ自ら許されるがぜよ。」

「静かな人ほど成功する」(〜仕事と人生を感動的に変える25賢人の英知〜)〈ウェイン・W・ダイアー 著 伊藤淳 訳 浅岡夢二 監修〉より

この記事へのトラックバックURL

この記事へのトラックバック
デビュー作はなんとデラべっ○んでのこんな企画でした・・・ http://naw
井上和香キャバクラ時代は乱交三昧だった!!【井上和香キャバクラ時代は乱交三昧だった!!】at 2007年06月09日 23:11