2007年09月02日

幸せの言の葉〈109〉

「ワシらあはいっつも『過渡期』に、『時代と時代との間』に生きちゅうがぜよ。」(レヴィット)

現代は、時代の変わり目やとか、過渡期やとか言われゆうけんど、よう考えてみりゃあ、いつの時代やち変わり目やし過渡期ながよ。

ほいたら、いつの時代やち、十年一日の如く、昨日とおんなじことを明日も明後日もやりよりゃあ、それで事が足りるらあてこたぁないっちゅうことながやき。ほんじゃき、人は変わり続けにゃあイカンっちゅうて口で言うばあやったら、しんよいことやけんど、いっつも変わり続けゆうつもりでおる人やち、全てにおいて変わり続けゆうかっちゅうたら、そんなこたぁ不可能ながよ。「ある仕事」についちゃあ、こぢゃんと時代を読んで変わり続けゆう人やち、別の「ある仕事」、または仕事を離れた部分じゃあ、こぢゃんと保守的で、十年一日の如しらあてことがあるもんながやき。

ほんなら、自分が「ある部分」において変わり続けゆうからゆうて、変わらん人に「どういてよう変わらんがな!」らあて責められんっちゅうことながよ。もしかしたらその人は、別の「ある部分」においちゃあ変わり続けよって、その部分じゃあ自分は何ちゃあよう変えてないかもしれんがやき。

いつの時代やち、変わらにゃあイカンがは他人やないがよ。自分ながぜよ!

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