2007年09月17日

幸せの言の葉〈112〉

「新しい真理の発見の時ゃあ、つねに少数派ながやき。それが正しけりゃあ多数派になるがぜよ。」(湯川秀樹)

かつて天動説が信じられちょった頃、コペルニクスが唱えた地動説は、その後ガリレオが熱心に唱えたち、誰っちゃあ信じてくれんかったがよ。結局ガリレオは宗教裁判にかけられ、「地動説は間違いでした」と言わされたがやき。そん時「それでも地球は動きゆう」と呟いたっちゅう話しは、こぢゃんと有名ながぜよ。

また、長い長い封建社会を続けてきちょった幕末の日本じゃあ、生まれによる身分の違いは当然のことやったがやき。そんな時代に、アメリカじゃあ平民が大統領になれるっちゅうことを知った、民主主義っちゅうもんの存在を知った坂本龍馬さんらあの驚きは、それこそコベルニクス的なもんやったがやないろうか。

地動説も、民主主義も、ガリレオの時代、龍馬さんの時代は、新しい真理の大発見やっつろうけんど、結局はまったくの少数派やったがやき。長い年月をかけて、それらあが正しいと認められて、後々多数派になっていったがぜよ。

こんなふうに、チビッと歴史を眺めてみたち、新しい真理の発見の時ゃあ、つねに少数派ながやき。ほいたらワシらあも、何か新しい行動を起こそうとする時に、大多数の人がついてきてくれんがを、自分らあが少数派やっちゅうことを、嘆く必要らあて全然ないがぜよ!その行動が正しけりゃあ、いつしか必ず多数派になるっちゅうことながやき。

既成概念にとらわれすぎちょったらイカンがよ。もしかすりゃあ数年後、地動説より新しい真実が発見されるかもしれんし、民主主義より新しい真実が発見されるかもしれんがぜよ。

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