2007年09月25日

西土佐で「土佐学協会」土佐の「おきゃく」調査ぜよ!

 9月23日(日)〜24日(月)にかけて1泊2日で、ワシが理事長を務めゆう「土佐学協会」(http://tosagaku.cocolog-nifty.com/report/)の、ワシが座長を務めゆう「土佐酒学研究会」のメンバーにて、四万十市西土佐(旧西土佐村)に、『土佐の「おきゃく」(宴会)における酒と食文化に関する比較分析』の第1回ヒアリング調査に行ったがぜよ。

 この研究は、アサヒビール学術文化振興財団の補助事業として実施されゆうもんで、本年度の「土佐酒学研究会」の目玉といえる研究ながやき。ほんで今回の西土佐の調査は、こちら方面に詳しい、メンバーの清原泰治先生(高知女子大学文化学部教授)のセッティングながよ。

 23日の朝9時半頃、清原先生の車で高知市内を出発。参加者は、清原先生とワシと水谷利亮先生(高知短期大学社会科学科准教授)と小西文子先生(高知学園短期大学・生活科学学科・栄養指導研究室准教授)の4名ながよ。

 まずは11時半過ぎ、「道の駅とうわ」に到着して昼食。最近できたばっかしで大人気のこの「道の駅」は、既に駐車場は満杯で、レストランも満席で行列待ちで、まっことビックリしたがやき。何とかレストランの外の座席だっけは確保して、栗御飯や鮎の塩焼き、かき揚げや川エビコロッケらあを食べたがやけんど、鮎の塩焼きが炭火でジックリ焼いたもんやって、頭から尻尾まで、骨まで全部食べられて、こぢゃんと絶品やったがぜよ。また食後は、裏の川原に降りてみたがやけんど、サスガは四万十川の美しさやったがやき。道の駅とうわ道の駅での昼食道の駅の裏の四万十川












 さて、13時過ぎにゃあ、1軒目にヒアリング調査をお願いしちょった「民宿こんぴら」(高知県四万十市西土佐西ヶ方1100番地 TEL:0880-52-1313 http://www17.ocn.ne.jp/"konpira/info.htm)の井上満則さん(西ヶ方区長・元役場職員)を訪ねたがぜよ。とにかく、調査を実施する前に、1日1組のみの要予約のこの囲炉裏の宿の作りに、みんなあ大感激!囲炉裏の上の天井の高さや立派な欄間やらがまっこと見事で、こりゃ是非いっぺんは宿泊したいと、みんなあで目を丸うしちょったがやき。民宿こんぴらの囲炉裏囲炉裏の上の天井民宿こんぴら井上さん












 今回の『土佐の「おきゃく」(宴会)における酒と食文化に関する比較分析』の調査は、主に「神祭」(じんさい)を中心にヒアリングするがよ。ちなみに「神祭」っちゅうたら、春や秋に、近くの神社にてお祭りを行い、その後は「おきゃく」(宴会)をするっちゅうもんながやき。この「おきゃく」が、かつては高知じゃあとにかく派手やって、各家々で皿鉢料理を作って大勢のお客様を集め、お酒をひたすら飲み回るっちゅうもんやったがよ。さて井上さんと奥様からうかごうたお話しは、大体以下の通りやったがぜよ。

旧西土佐村西ヶ方(にしがほう)部落じゃあ、かつては8つの神社があって、それぞれに「神祭」が行われよったがやと。金刀比羅宮、天満宮、河内神社、若宮神社、八幡神社、皇太神社、祇園神社、大地神社の8つで、戦後何年か経ってから合祭して、金刀比羅宮1つにまとめられたがやと。

かつては、旧暦の4月10日と8月10日と10月10日に行われよって、近年は新暦の4月第1日曜日と旧暦の8月10日と新暦の11月23日に行われゆうがやと。

春と秋にゃあ、金刀比羅宮じゃあ、10戸1口の「講」(こう)を立てて、「お講詣り」が行われゆうがやと。1口5000円でお札やお餅やお酒らあを配るがよ。これがかつては派手やって、今でも50口ばあはあって、愛媛県らあからも来ゆうがやと。現在も「お講詣り」が残っちゅうがは、高知でもここだっけやないろうか。

まずは朝8時から9時ばあまで、氏子のお祭りがあり、祝詞とお祓い、続いては直会(なおらい)の宴席がチョコッとあり、9時ら15時までは、「お講詣り」の組が何人か集まったら、その都度祝詞やお祓いや神楽を舞うたりしゆうがやと。かつてはその後に、集会所らあでお料理を持ち寄って大宴会をしよったがやけんど、今はそれぞれにお弁当とお酒(司牡丹の2合瓶!)を渡すばあながやと。

「講」の他にも、ご寄付があって、3000円以上のご寄付がありゃあ、同様神事をしよって、お弁当とお酒を渡すがやと。

昔はとにかくこぢゃんと派手で、子供らあが踊る「五ツ鹿踊り」もあって、神事や直会が終わったら、各部落の集会所で、大宴会を開催し、その後は各家で大宴会をしよったがやと。ちなみに数年前までは、屋台も出よったらしいがやき。

各部落によって「神祭」の日がチビっとずつ違うちょって、かつては他部落の「神祭」の時にゃあ、知り合いの家を回って飲み歩き、自分くの「神祭」の時にゃあ、回った家の方々を招いて、とにかく飲みまくりやったがやと。他部落を回る時にゃあ、1晩で10軒や20軒ばあ回ることもあったっちゅうがぜよ。ほんで、西土佐村全体じゃあ、10月20日頃から11月5日頃まで、毎晩どこぞの地区にゃあ行きよったっちゅうがやき。

自分くの「神祭」の時の「おきゃく」にゃあ、1晩で飲食代に50万ばあかかりよったがやと。井上さんくにゃあ、1晩で70〜80人ばあ来よったがやと。ほんで、来てくれた方々にゃあ、折り詰めのお土産まで渡しよったっちゅうがやき。

家庭での「おきゃく」にゃあ、一応案内をした人だっけが来て、滅多に知らん人が来るこたぁのうて、来られた方は「来たぞ〜」っちゅうて主人に挨拶して、後は好きなように飲んで好きな時に帰りよったがやと。子供の時にゃあ、刺身が食べれるがは「神祭」の時ばあのもんやき、こぢゃんと嬉しかったらしいがやき。

こんな家々での「おきゃく」がのうなった理由は、いつの間にか周りが止めはじめたきで、毎年チビッとずつ減っていって、自然にのうなってしもうたがやと。これがのうなったことによって、年寄りは特に情報が少のうなったっちゅうがよ。自分くの部落のこたぁ分かるけんど、隣の部落の人らあとの交流はのうなってしもうたっちゅうがぜよ。

かつての家庭での「おきゃく」は、お料理は全て自分くで皿鉢料理を作りよったがやと。後年にゃあ、仕出し料理になっちょったけんど。お刺身や煮付けや、ツガニ料理、サバ寿司、フカの料理もあったっちゅうがよ。他にゃあ、かまぼこらあの「くずしもの」や、寒天に卵と砂糖と醤油を混ぜたもんらあもあったがやと。この辺りは宇和島の文化圏やき、だいぶん愛媛県の食文化が入ってきちゅうようながよ。

 その後は、2軒目のヒアリング。谷岡良夫さん宅にうかごうたがよ。谷岡さんと奥様にうかこうたお話しは、大体以下の通りやったがやき。谷岡さんく前の風景

谷岡さんくは、一の又部落やき、かつては天満宮の「神祭」やったがやと。その頃は、御輿が出たり、「五ッ鹿踊り」や「丑鬼」や「はなたか」らあも出たがやと。現在の一の又は11戸。かつては20戸ばああったがやと。

谷岡さんくじゃあ、刺身やカツオのタタキまで、自分くで全部作りよったがやと。担当は、奥さんとお母さんのみやき、そりゃ大変やったらしいかやき。奥さんいわく、「お金もないに、バカなことしよったわね」たぁ、正直な感想やろう。とにかく普段は粗食やに、「神祭」の時にゃあ1晩で1ヶ月分ばあのお金を使いよったっちゅうがやき。

谷岡さんいわく、昭和30年頃に合祭されるまでは、それぞれの神社が春と秋の2回やりよったっちゅうがよ。西ヶ方の氏神様は天満宮で、金刀比羅宮と合わせて、合計4回あったっちゅうことやき、そりゃ大変やっつろう。

また、谷岡さんくの自宅での「おきゃく」は、全然知らん人まで来よったがやと。特に案内らあもしてなかったらしいがやけんど、1晩に50人ばあが入れ替わり立ち替わり来られて、勝手に足るばあ飲み食いしていきよったがやと。当然全員に折り詰めのお土産つき。ちなみに昔は、お酒はドブロク中心で、市販のお酒は全くなかったがやと。

谷岡さんは、他地区をあんまり周るこたぁ積極的やなかったらしいけんで、それでも若い頃は1晩で10軒ばあは周りよったがやと。

谷岡さんいわく、「神祭」に限らんと、昔はとにかく「小祭り」がこぢゃんとあったと。今でも「田休み」っちゅうて、田植えの後、7月頃に、ご馳走を作って、昼間から飲み食いするがが、ちくと残っちゅうがやと。それ以外にも、5年ばあ前までは、何かにつけて集会所で集まって飲みよったらしいがやき。「やっぱし飲んで話しせにゃあ、人間はイカン!」っちゅう谷岡さんの言葉が、印象的やったがぜよ。

 その後は、日本最後の清流四万十川を眺めもって、宿泊場所の民宿「舟母(せんば)」(四万十市西土佐口屋内260 TEL:0880-54-1002 http://www16.ocn.ne.jp/"seinan/senba.html)に移動。四万十川の支流の中でも、最も清流やと言われる黒尊川が目の前っちゅう最高のロケーションにある人気の民宿ながよ。芸能人らあのお客様や毎年来られる常連さんらあも多いようながやき。四万十川を眺めながら民宿舟母舟母の前の四万十川












 ちくと遅れて到着したもんやき、着いたらすぐにアウトドアでのパーティの開始。ワシらあ以外にも姫路から来られた1組の父娘の常連さんもご一緒に、宴会のスタートながよ。お料理はまっこと感動的!鮎の塩焼きやウナギの蒲焼き、茹でツガニや里芋とツガニの煮物、四角豆、キノコのオニギリ、焼き茄子、手長エビ・・・とにかく四万十川の幸が、これでもかと並んじゅうがやき!持ち込みさいてもうた「土佐牡丹酒」(純米酒)の1升瓶が見る見るうちに減っていって、おいしいお料理とお酒を、タップリ満喫さいてもうたがやき。鮎とウナギ茹でツガニ里芋とツガニの煮物














四角豆キノコおにぎりと焼き茄子手長エビ











 18時半頃にゃあ、暗うなってきたき、食堂に移動。さらに足るばあ飲み食いさいてもうたがよ。まっこと、ミソがタップリ詰まったツガニは、最高においしかったがぜよ!食堂にて、ツガニのミソ!












 後半にゃあ、ラーメン鍋や貝類らあも出て、お腹も満腹に。お酒もタップリ入って気持ち良う酔うたところで、すんぐ近くの四万十川の沈下橋に行って、花火大会ながよ!さらに沈下橋に寝転んで、四万十川を足下に月を眺めもって語り合い、まっこと俗世を離れた最高の一夜やったがぜよ!貝類ラーメン鍋四万十川で花火












 さて、今回は中身が濃ゆうて、こぢゃんと長いブログになってしもうたきに、2日目の24日の調査についちゃあ、明日のブログにてご紹介さいてもらいますぜよ。






土佐の高知の日本酒蔵元「司牡丹」の公式ホームページは、こちらをクリック!
司牡丹酒造株式会社






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この記事へのコメント
この前は、ありがとうございました。
楽しいお話、美味しいお酒。
また、こちらの方へ来た時は、声かけてください。
お客、自分達の披露宴も、小学校の集会室で手作りの皿鉢でちょっと、大きいお客でした。
Posted by せんばです at 2007年09月26日 08:04
先日はありがとうございました。興味深い研究会ですね。このあたりもだいぶ以前とかわってきているとおもいますが、まだまだ冠婚葬祭の時などは、お客が残っています。わたしがこちらに嫁いでたまげたことは、高知の人の飲みっぷりはもちろんだけど、その裏方の戦争状態にはびっくり!朝はやくから、女衆があつまっつて大量の寿司をまいたり、魚をさばいてたり、揚げ物して、果物きって、なんだあかんだあとてんやわんや・なにをしていいのかわからず、洗い物くらいしかできなかったのをおもいだします。そして次の日 まないたあらい といって、あとかたずけをしながら、昨夜の残り物 寿司を焼いたりしたものなどで女のひとがまあ一杯といった、ねぎらいがあります。ながくなつてすみません。とにかくこの文化いろいろな意味で残していかねばとおもいます。
Posted by もいっちょせんば at 2007年09月26日 08:35
「舟母」さん、コメントありがとうぜよ!
また先日は、四万十の幸三昧の最高のお料理でおもてなしいただき、重ねて御礼申し上げます。
ウチの子供らあも年齢が近いきに、絶対にまた家族でお邪魔さいていただきますきに。そん時ゃあ、よろしゅうお願い申し上げますぜよ!
Posted by 竹村昭彦 at 2007年09月27日 00:50