「死を必すりゃあ則ち生き、生を幸いすりゃあ則ち死す。」(呉子)
死を覚悟すりゃあ、そりゃあ生きることにつながり、生きることに執着すりゃあ死ぬことにつながるっちゅうことながよ。世の中にゃあ、こういう逆説的なことがようあるがぜよ。
たとえばビジネスやち、売ろう売ろうとすりゃあ売れんに、売っちゃろうらあて思いを手放しゃあ売れるっちゅうことがあるがよ。子供やち、勉強せえ勉強せえっちゅうてギッチリ言いゆう親の子供は勉強せんなって、あんまりうるそう言わん親の子供の方がよう勉強するっちゅうことがあるろうがよ。
ほいたら売らんでえいがかとか、勉強せえっちゅうて言わんでえいがかっちゅうようなことやないがやき。いっつもっちゅう訳やないけんど、世の中にゃあそういう逆説的なことがようあるんやっちゅうことは、知っちょいた方がえいっちゅうことながよ。
そうすりゃあ逆説的なことが起きるパターンを理解することができるようになって、ほいたら、こりゃあ逆説的なことが起きそうなとか、こりゃあ起きそうにないとか、何とのう分かるようになってくるっちゅうもんながぜよ。