ちくと前になるけんど、先月19日に、ワシんくの竹村家の本家にあたる、竹村脩さんくの住まいが、国の重要文化財に答申され、近いうちに正式に指定されることになったがぜよ。
国の文化審議会が、「竹村家住宅」を含む全国各地の建造物10件を、この度重要文化財に指定するよう渡海紀三朗文部科学相に答申したがやき。高知県内の建造物が重文に指定されるがはこれで19例目で、建造物の重文は全国で2327件(うち国宝213件)となるがやと。
竹村家は、屋号を「黒金屋(くろがねや)」と称し、江戸時代初期から佐川の地で酒造りを生業としちょった旧家ながよ。ほんで分家も多く、親類同士が佐川で軒を連ねて酒造業を営みよったがやき。ワシんくもその分家のひとつで、黒金屋本家に対して黒金屋出店(でみせ)と呼ばれよったがよ。大正7年、黒金屋本家(「笹の露」「玉椿」)と黒金屋出店(「日之本」「若柳」)と生金屋(「野菊」)の3軒の酒屋が合併して株式会社となり、その後、黒金屋本家は酒造業から引き、黒金屋出店の竹村源十郎(ワシのひいおじいちゃんながよ。)が引き継いで、現在の司牡丹酒造に至るっちゅう訳ながよ。
今回重文に答申された黒金屋本家・竹村脩さんくは、現在の司牡丹本社事務所の隣の隣で、白壁が軒を連ねる「酒蔵の道」の一角にあるかやき。一見一棟みたいな外観ながやけんど、用途別、建築年代別に見りゃあ、二棟に分けられるがよ。東棟は店舗で安永9年(1780年)頃、西棟は接客用と住宅空間に分かれちょって、天保9年(1838年)頃の建築やと推定されるらしいがぜよ。
接客用の上ノ間は、藩の財政状況らあを調べにやって来る幕府の巡見使らあも宿泊しよった歴史があって、いかに黒金屋本家が、当時の佐川領主深尾家に信頼されちょったかが分かるっちゅうもんながよ。ちなみに、この上ノ間にある鶴と猿のふすま絵は、円山応挙らあと並び称される曽我蕭白(しょうはく)の作。三つの欄間は、梅・ブドウ・おしどりと水草をあしろうちょって、壁は格子状の木の骨組みに土佐和紙を合わせた「貼付壁」ながやと。さらに、あしらわれちゅう花頭窓(かとうまど)は、県内じゃあ高知城懐徳館、竹林寺客殿らあに似いた形式かあるらしゅうて、土佐特有の様式として注目されちゅうらしいがやき。とにかく、潘政期のたたずまいをとどめちゅう点らあが、高うに評価されたらしいっちゅうことながぜよ。
実は、こんな歴史的な町並みを活用して、佐川の活性化につなげろうと、今年の4月に住民組織「佐川くろがねの会」が、竹村脩さんを代表として発足しちょったもんやき、願うてもない追い風になりそうながやき。現在ボランティアガイドらあも養成中とのことやきに、佐川の観光が、今後はさらに注目されることになることやろう。
来年1月中旬から3月初旬にかけて実施予定の、司牡丹酒蔵見学のコースにも、この重文指定の竹村本家の見学を組み込む計画も進行中やきに、是非多くの方々のお申し込みをお待ちしちょりますぜよ。楽しみにしちょってくださいや!
また、今回の重文記念として、黒金屋本家現当主・竹村脩さんの「黒金窯」で作陶された盃と、司牡丹・大吟醸「黒金屋」をセットにした商品を、特別限定販売(500セット程度)する予定ながやき。現在、脩さんが精魂こめて作陶中やきに、来月12月初旬にゃあ発売できる予定ながよ。発売になったら、即このブログでもご紹介さいていただきますきに、こちらも楽しみにお待ちくださいや!
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司牡丹酒造株式会社