「環境が人間を作るがやない。人間が環境を作るがぜよ。」(ベンジャミン・ディズレーリ)
この言の葉は、「何じゃち環境のせいにしちゃあイカン。自分の責任の範囲が広い人が、人生を切り拓いていくがぜよ。」っちゅう意味ながやないろうか。
これっぱあ激変しゆう世の中じゃき、自分がうまいことイカン理由らあを環境のせいにしてしまいとうなるもんながよ。けんど、何でも環境のせいにしてしまいよったら、そこで止まってしもうて、うまいことイカン原因を探るらあてこともせんなってしまうがやき。ほいたら環境に流されて、結局「環境が人間を作る」っちゅうことになるがぜよ。
一方、環境のせいにせんと、うまいことイカンがは自分のせいじゃと考える、「責任の範囲の広い人」は、失敗した時らあに「もっとこうすりゃあ良かった」と素直に反省できるがやき。ほいたら次は、うまいこといく可能性がちっとでも高まるがよ。こんな環境に対する態度の違いが、長いこと積み重なりゃあ、いつしか環境も変えることができるがやき。つまり、「人間が環境を作る」っちゅうことになるがぜよ。
うまいことイカンがは環境のせいやない、自分のせいじゃ、と考えて素直に反省できる、「責任の範囲の広い人」になりたいもんじゃのう。