2008年05月04日

幸せの言の葉〈166〉

「己れ自身を統治できんもんは、自由たぁいえんがぜよ。」(エピクテトス)

日々、ただその時々の自分の感情のおもむくまんまに生きるこたぁ、一見自由な人生を生きゆうように見えるがよ。けんど実はそんな自由は、ホンマの自由やないがやき。そりゃあ自由たぁ言わんと、「放縦(ほうじゅう)」っちゅうがよ。そりゃあ勝手きままな、何でもありのほっぽらかしの意味ながやき。人間は1人やのうて助け合いもって社会生活を営みゆう存在やき、ナンボ自由やゆうたち、何でもありのほっぽらかしの人生を勝手におくる訳にゃあイカンがぜよ。

もし仮に、そんな「放縦」の人生をおくったとすりゃあ、その行為に対する責任を取らにゃあイカンことになって、結局は「自由」は奪われてしまうことになるがよ。また、たとえ責任うんぬんを抜きにしたち、「放縦」はそれ自体が実は「不自由」ながやき。「放縦」にゃあ自分自身の「統治」がないがよ。そりゃあ意志のない「自由」やき、つまるところ、「自由」を実感するこたぁできんっちゅうことながぜよ。

ゲームやち、ルールがあるき成り立つがよ。また、ルールがあるき、面白いがやき。ルールのないゲームらあて、面白い訳ないし、また成り立つ訳ゃあないがよ。ほいたら、人生やったらなおさらながぜよ。

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