「私らあが内側でもっとも恐れちゅうもんは、何かをうまいことできんことらあじゃのうて、私らあ自身の果てしない可能性ながよ。私らあをもっとも怖がらせゆうがは、私らあの闇やのうて、私らあの光ながやき。私らあは自分に言い聞かせるがよ。『こんな自分が、光輝く、華麗で、有能で、驚くべき人間らあに、なれるはずがない』。けんど実際にゃあ、誰もが、そんな人間になれんはずがないがやき。」(マリアン・ウィリアムソン)
この「言の葉」は、まさに目からウロコながやき。確かにワシらあは、自分の言動らあをよう見よったら、闇よりか光を怖がっちゅうような言動が少のうないがやき。たとえば、何かにつけて自分を卑下するような言動をしやあせんかよ?「自分は幸せに生きるに値せんがやないか」っちゅう漠然とした感覚、この自虐的な感覚を抱いちゅう限りは、ワシらあの深層心理は、幸せを追求する自分の能力を、ありとあらゆる手段を用いて、制限しょうとするもんながぜよ。これこそが、幸せの追求を妨げる、最大の障害の一つながやき。
その感覚を抱いたまんまやと、たとえ何らかの夢を実現したとしたち、その瞬間から、いずれそれは失われてしまうがやないかと恐れはじめることになるがよ。そしてその恐れは、こぢゃんと高い確率で現実になるがやき。喪失への恐れが、現実の喪失を引き起こすがよ。ワシらあは、自分が信じちゅうもん、あるいは恐れちゅうもんを自分に引き寄せるための行動を、自然に取るようにできちゅうきながぜよ。
けんど、間違いのう、ワシらあは幸せになるために生まれてきたがやき、誰もが幸せになれんはずはないがぜよ。自ら幸せを遠ざけるようなことさえせんかったら、自らの可能性を、光を怖がることさえせんようになれりゃあ、光は無限にそこにあるがぜよ。
まずは日々のちんまい幸せをいくつも探してみて、それらあを素直に喜んで、受け取ってみろうぜや。ちんまい幸せを素直に喜ばんことは、不幸せへの道を選び続けるっちゅうことながやき。そのまんまの自分の生来の価値を認めて、幸せに対してまっと素直に心を開いてみろうぜや。