2008年05月31日

幸せの言の葉〈175〉

「愚かもんにゃあ、おんなじ木も賢いもんとおんなじにゃあ見えん」(ブレイク)

人間は誰やち、それまで生きてきた人生の中で、自分でも気が付かんうちに何らかの「色眼鏡」をかけてしもうちゅうもんながよ。

生まれ育った環境、両親や家族、友達や学校、仕事や趣味、さらにゃあ時代の空気等々・・・様々なもんに影響を受けて、ある一定のモノの見方をするクセがついてしまうもんながやき。ほいたら、おんなじもんを見たち、おんなじもんが見えちゅうはずはないがよ。おんなじ1本の木を見たち、みんなあそれぞれの「色眼鏡」で違う木を見ゆうっちゅうことながぜよ。

まず大事ながは、そこに気付くことやないろうか。1つの物事や現象を見て、みんなあ意見や感想や対処の仕方が違うけんど、それを自分と違うきゆうて、間違うちゅうと批判するがは、それこそ間違うちゅうっちゅうことながよ。自分も他人も、みんなあそれぞれの「色眼鏡」をかけて見ゆうがやき、違うもんが見えちゅうがは当然ながやき。まずはそっからスタートながよ。

愚かもんはそこが分からんき、自分の見えちゅうもんだっけが真実やと思うてしまうがやき。賢いもんは、みんなあ違うもんが見えちゅうと知っちゅうき、他人の見え方も「なるほど、そうゆう見方もあるがか」と思えるがよ。どっちが発展性があるか、どっちが成功しやすいかは、一目瞭然ながぜよ。

ニュートンは、木からリンゴの実か落ちるがを見て万有引力の法則を発見したと言われちゃうけんど、リンゴは、その時代のニュートンの目の前だっけに落ちたわけやないがやき。現代のワシらあみんなあの目の前にやち、リンゴは落ちちゅうがぜよ。

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