「仕事を追え、仕事に追われちゃイカンぜよ。」(ベンジャミン・フランクリン)
この言の葉は、まっこと耳が痛いと思わんかよ?日々、山のように仕事をかかえちょったら、どういたち仕事に追われがちになってしまうがやき。もともと仕事を追おうとしてやりだいたことやち、日々突然出現する雑事(ほんまは仕事に雑事らあてないがやけんど。)らあに追われて、いつの間にか、仕事に追われゆう自分に気がつくがぜよ。
仕事に追われだいたら、どういたち受け身になってしまうがよ。受け身になってする仕事は、どういたち「やらされゆう」感が出てきて、なかなかやり甲斐とか面白さとかが感じられんようになってしまうがぜよ。
ほんじゃき、やっぱし仕事に追われたらイカン、仕事は追わにゃあイカンっちゅうことながやけんど、そんなこたぁ分かっちょったち、これがなかなか現実にゃあ難しいがやき。ほいたら、どういたら山のような仕事をかかえもって、仕事に追われんと、追うことができるようになるがか?
そりゃあもう、優先順位をつけるしかないろう。ほんならその優先順位はどうやってつけるがか?まずは重要度が高い仕事と低い仕事に分けるがよ。さらにそれらあを、急ぐ仕事と急がん仕事に分けるがやき。ほんでまずは「重要度が高うて急ぐ仕事」から手をつけて、次は「重要度が低うて急ぐ仕事」は、誰かに任せてお願いしてしまうがよ。ほんで自分は次に「重要度が高うて急がん仕事」をするがよ。残りの「要度が低うて急がん仕事」は、これも誰かに任せてしまうがぜよ。これをやっていくしかないがやないろうかのう。
残る問題は、仕事を任せれる人がおらん場合ながよ。こりゃあもう、普段からそういう人を育てるしかないがやき。「そういう人を育てる仕事」を、「重要度が高うて急がん仕事」に位置づけて、自分がやる「重要度が高うて急がん仕事」はそれだっけにしてしまうがよ。ほいたら自分がやる仕事は、「重要度が高うて急ぐ仕事」と、「そういう人を育てる仕事」だっけになっていくがやき。ほいたら次第に、仕事に追われんようになっていくがぜよ。
さあ、エラそうに言いゆうワシもまだまだ全然できてないき、そうなるようにしていかにゃあのう!