2008年08月15日

幸せの言の葉〈198〉

「運命はワシらあの行為の半分を支配し、他の半分をワシらあ自身に委ねるがぜよ。」(マキャベリ)

ある程度人生経験を積んでくりゃあ、運命っちゅうもんがあるんやっちゅうことに気づくがやき。けんど、その運命に縛られて自ら行動することを諦めてしもうたら、ただ運命に翻弄されるだっけの人生になってしまうがよ。それじゃあ何のための自分の人生か、分からんなってしまうがぜよ。

いかんともし難い運命っちゅうんは確かにある。けんど、そりゃあワシらあの人生の半分しか、よう支配せんがやき。あとの半分は、ワシらあ自身がいかに考えて、いかに行動するかにかかっちゅうがぜよ。

人生を川に喩えて自分をそこを行く舟に喩えりゃあ、運命っちゅうんは「もうちくと行った先にゃあ、岩があるぜよ」っちゅうことながよ。その岩の存在自体は、いかんともし難い、決められた運命ながやき。そこで運命やからっちゅうて諦めてしもうて何ちゃあ行動せざったら、舟は岩にぶつかるっちゅうことながよ。けんど、「この先に岩がある」っちゅうことに気づき、どうすりゃあえいか考えて行動すりゃあ、その岩にぶつかるこたぁ避けることができるがぜよ。マキャベリさんの「言の葉」は、そういう意味やないろかのう。

人生は川。人は舟。運命は岩。岩にぶつかるっちゅう運命を変えるがは、流れに棹さして舟の行く先を変える、自分自身の行動ながぜよ。

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