2009年01月03日

幸せの言の葉〈237〉

「すべて人生のこたぁ『させられる』と思うきに辛かったり、惨めになるがで、『してもう』と思うたら何じゃち道楽になるがよ。」(曽野綾子)

仕事やち家事やち勉強やち、たとえ遊びやち何やち、「させられる」と思うてやりよったら、そりゃ絶対楽しゅうはないがやき。むしろそりゃ苦痛ながよ。

自分の人生の手綱、自分の人生の主導権を他人に渡してしもうたらイカンっちゅうことながやき。そりゃあ結局、せっかくの自分の人生を主体的に生きてないっちゅうことになるきに、つまらん人生になってしまうがぜよ。

逆に自分の人生のこたぁどんなにちんまいことやち、つまらんように見えることやち何やち、「してもう」と思うてやってみいや。主体的にやってみりゃあ、何やち楽しいもんになってきて、やりゆううちにいつしかそりゃあ、「道楽」みたいになってくるもんながやき。

「道楽」たぁ、「道を楽しむ」と書くがよ。自分の人生の道の上で起きるこたぁ何やち、「してもう」と思うて、主体的に楽しみもってやるっちゅうことが「道楽」ながやき。自分の人生の中で、どれっぱあ沢山の「道楽」を増やせるか。結局それが、どれっぱあ自分の人生を豊かなもんにできるかにつながるがぜよ。

さあ今から、人生の中の「させられる」を減らいて、「してもう」を増やいていこうぜや!

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