2009年01月25日

幸せの言の葉〈242〉

「責任を持って行動することばあ、判断力と意識を鋭うさせるもんはないがぞね。」(エリザベス・ケイディ・スタントン)

アメリカ合衆国における有名な女性解放運動家、エリザベス・ケイディ・スタントンさんの言の葉ながよ。

最近は、ちくと自由主義が勘違いされちょって、「自由」やのうて「放縦(ほうじゅう)」になってしもうちゅうみたいな感じがするがやき。ちなみに「放縦」たぁ、勝手気ままにやりたい放題ふるまうことで、そこにゃあモラルも秩序も法律もないがよ。そりゃあ本来の「自由」たぁ、全然意味が違うがやき。本来の「自由」にゃあ、必ず「責任」が伴うっちゅうことを、絶対に理解しちょかにゃあイカンがぜよ。

ほんでスタントンさんの言の葉ながよ。自由を主張したかったら、まず「責任を持って行動すること」ながやき。そうすりゃあ、「判断力と意識が鋭うなる」っちゅうがぜよ。

仕事にしたち何にしたち、判断力と取り組む意識レベルが一番結果を左右するがやき、何かに対してちびっとやちえい結果を残したいがやったら、判断力と意識レベルを鋭うすることを考えにゃあイカンがよ。ちゅうことは結局、「責任を持って行動すること」こそが、大事やっちゅうことながやき。

つまりは、自分の責任の範囲を大きゅうとらえれることができる人ほど、大きな結果を残せるっちゅうことになるがぜよ。

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この記事へのコメント
寒いですね。霜柱を踏みくずすのが未だに楽しいです。

この手の話、先日も民生委員さんと議論したんですがそれこそB寮の件を話してたときですけどね。
生徒の自由のはきちがえって事を私は言ったんですよ。内容的には私はB寮の方針を弁護、民生委員さんはそれらしく非難してたんですけどね。
話の流れでその委員さんが小学校の授業を参観に行ってどう思ったかを訊ねたら
「授業中に生徒が勝手に席を立ちトイレに黙って行ったりする。それが一人や二人じゃない」
ってことで委員さんも生徒が自由をはきちがえてる旨、認めたんですよね。
その後の話で確かにこの子達がそのまま大きくなったらと心配はしますという意見でしたが
実際にそのまま大きくなってる子の多いこと、教育というものあり方を再度点検しなおさない限り、今後もそういう子たちは増えるでしょうね。
それとこういうことを自己に教えるにはその人間がなんでもいいから宗教観を持ち合わせてることも大事かなと思ってます。
例えば仕事で手をぬかないということを人が見てないじゃなくって神様と先祖さんは見てるんだよという感覚で教えるとかね。
それらの積み重ねがあって責任というものになると思うんですけどね・・
いけね、長くなりすぎました。退散します。

Posted by からす at 2009年01月26日 08:29
からすさん、いつもコメントありがとうぜよ!
ワシの「言の葉」から話を膨らませていただき、重ねて御礼申し上げます。
ブログじゃあ偉そうなこと書いちゅうけんど、ワシ自身も他人や環境のせいにしたい気持ちがまだまだあるき、まっと責任の範囲の広い人間にならにゃあのう!
Posted by 竹村昭彦 at 2009年01月26日 11:40