「無駄なもんでいっぱいの心ん中から、責める為の言葉はとにかく全部捨てろうぜや。」(槇原敬之)
ミュージシャン槇原敬之さんの、「明けない夜が来ることはない」の歌詞の一節ながよ。
確かにワシらあの心ん中は、無駄なもんでいっぱいながやき。
あんまり無駄なもんでいっぱいやと、心が重うなって身動きがとれんなってしもうたりするがぜよ。
ほんじゃき、たまにゃあ心ん中も大掃除せにゃあイカンがよ。
けんど、無駄なもんを全部が全部捨ててしまうがも、これまた味気ないもんながやき。
無駄なもんが全然ない心ん中らあて、これっぱあ殺風景なもんはないろうがよ。
一見無駄に見えるガラクタみたいな記憶やち、心ん中の彩りとして、これがなかなか意外に役に立っちょったりするもんながよ。
ほいたら結局、何ちゃあ捨てるもんがないなるやいか!
いや、ちゃんと捨てるもんはあるがやき。
それが、槇原敬之さんいわく、「責める為の言葉」ながよ。
「(○○しちゃったのに、)なんで○○してくれんが?」
「(こっちはいっつも○○やに、)なんでおまさんはいっつもそうなが?」
よう胸に手をあてて考えてみりゃあ、そんな「責める為の言葉」を、ワシらあはあまりにも無意識に、しょっちゅう使い過ぎやあせんかよ?
「責める為の言葉」の前半にゃあ、口にゃあ出さいじゃち、「のに」があるがよ。
「自分は○○やのに・・・」
「せっかく○○しちゃったのに・・・」
そんな風に「のに」と思うた後に、「責める為の言葉」が続くがぜよ。
そんな「のに」と一緒に、「責める為の言葉」らあて一切合切全部捨てることができりゃあ、
どれっぱあ心が軽うなることやろう。
どれっぱあ幸せな人生がおくれることやろう。
ほいたら今日から、チビッとずつやち「のに」と思うがを減らいて、
「責める為の言葉」もチビッとずつやち捨てていこうかのう!