2009年07月19日

幸せの言の葉〈285〉

「無駄なもんでいっぱいの心ん中から、責める為の言葉はとにかく全部捨てろうぜや。」(槇原敬之)


ミュージシャン槇原敬之さんの、「明けない夜が来ることはない」の歌詞の一節ながよ。


確かにワシらあの心ん中は、無駄なもんでいっぱいながやき。


あんまり無駄なもんでいっぱいやと、心が重うなって身動きがとれんなってしもうたりするがぜよ。


ほんじゃき、たまにゃあ心ん中も大掃除せにゃあイカンがよ。


けんど、無駄なもんを全部が全部捨ててしまうがも、これまた味気ないもんながやき。


無駄なもんが全然ない心ん中らあて、これっぱあ殺風景なもんはないろうがよ。


一見無駄に見えるガラクタみたいな記憶やち、心ん中の彩りとして、これがなかなか意外に役に立っちょったりするもんながよ。


ほいたら結局、何ちゃあ捨てるもんがないなるやいか!


いや、ちゃんと捨てるもんはあるがやき。


それが、槇原敬之さんいわく、「責める為の言葉」ながよ。


「(○○しちゃったのに、)なんで○○してくれんが?」


「(こっちはいっつも○○やに、)なんでおまさんはいっつもそうなが?」


よう胸に手をあてて考えてみりゃあ、そんな「責める為の言葉」を、ワシらあはあまりにも無意識に、しょっちゅう使い過ぎやあせんかよ?


「責める為の言葉」の前半にゃあ、口にゃあ出さいじゃち、「のに」があるがよ。


「自分は○○やのに・・・」


「せっかく○○しちゃったのに・・・」


そんな風に「のに」と思うた後に、「責める為の言葉」が続くがぜよ。


そんな「のに」と一緒に、「責める為の言葉」らあて一切合切全部捨てることができりゃあ、


どれっぱあ心が軽うなることやろう。


どれっぱあ幸せな人生がおくれることやろう。


ほいたら今日から、チビッとずつやち「のに」と思うがを減らいて、


「責める為の言葉」もチビッとずつやち捨てていこうかのう!



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