7月26日(日)は、東京出張から高知に戻って、「龍馬の生まれたまち記念館」(http://www.inforyoma.or.jp/hometown/)に行ったがやき。
ワシが理事長を務めさいてもらいゆう「土佐学協会」(http://tosagaku.cocolog-nifty.com/report/)の前回の理事会(「7月16日」のブログ参照。)にて、今年の「秋の収穫祭」は、坂本龍馬さんの日常の行動をベースに、高知市内の楽しい散策マップを作製しょうっちゅうことになったがよ。
ほんでこの日14時から、「龍馬の生まれたまち記念館」に、周辺史跡らあの観光ボランティアガイドをお願いしたっちゅう訳ながぜよ。
今回の参加者は、ワシと水谷先生と柿内先生と小西先生の4名。
ガイド役は、ナント!龍馬研究会(http://www.ryoma-kenkyu.jp/)の岩崎義郎会長さんやったがやき。
ほんで、まずは「龍馬の生まれたまち記念館」の内部をご説明いただいたがよ。
実はワシゃあ、記念館内をキチンと見るがは初めてやったがやけんど、龍馬さんの部屋の再現や、龍馬さんの生まれた当時の上町周辺の模型らあもあって、なかなか充実しちょって、面白かったがやき。
その後は記念館の外へ出て、周辺史跡の散策ながよ。
午前中は土砂降りやったらしい雨も、ボッチリ止んでくれたがやき。
まずはやっぱしココ!龍馬さんの誕生地。
続いては、そこからすんぐ近くの上町「魚の棚」があった場所へ。
龍馬さんの時代にゃあ、鮮魚を専門に扱う店がこの周辺に集められちょったらしいがやき。
ちゅうこたぁ、坂本家も当然鮮魚はここで買うたっちゅうことながよ。
しかもその「魚の棚」にゃあ、鮎屋久左衛門と冨田屋藤左衛門の名があり、前者は今の「得月楼」さん、後者は今の「なごやま」さんやっちゅうがやき。
こりゃあ、なかなか興味深いことで、こぢゃんと面白いアイデアが湧いてきて、ワクワクしてきたがぜよ!
また「魚の棚」の中にゃあ、いまはチンマイ秋葉神社があって、当時はまっと大きかって、龍馬さんも境内らあで遊んだことやろうっちゅうことやったがやき。
さらに鏡川に向こうて歩きゃあ、龍馬さんのズッと前の時代からそのまんまの姿で残る水丁場の石碑が!
こりゃあ絶対この石碑にゃあ、龍馬さんも触っちゅうはずながよ!
そう思うたら、この単なる石碑も、こぢゃんと凄いもんに見えてくるがぜよ!
ほんでそのすんぐ隣にゃあ、龍馬さんが毎日のように通うたっちゅう日根野道場跡の立て札が!
おお、まさしくこの辺りこそ、龍馬さんの息遣いまで聴こえてきそうな、龍馬さんの「脱藩の道」ならぬ、「日常の道」ながぜよ!
続いては龍馬さんがよう泳いだっちゅう鏡川へ。
こっから見える月の瀬橋の向こう側にゃあ、昔は大岩があったらしいがよ。
ほんで、まず間違いのう龍馬さんもその大岩から鏡川に、しゅうびんをうった(注:土佐弁で、飛び込むっちゅう意味)ろうっちゅうことやったがやき。
これまたこぢゃんと楽しい情報やないかよ!
さらに近くにゃあ、河田小龍塾跡や、おそらく泳ぐ前にゃあ龍馬さんもここで手をあわいたであろう水天宮があり、まっことこの周辺だっけやち凄いことになっちゅうがぜよ!
さらに上町2丁目方面に戻りゃあ、饅頭屋の近藤長次郎屋敷跡や、本家才谷屋跡まであって、まっことチビッと歩いただっけで、この周辺は龍馬さんがらみの史跡の宝庫やっちゅうことが、よう分かったがやき。
また、電車通りを渡った向こう側の小高坂地区にゃあ、龍馬さんの幼馴染みの家がいくつかあり、そのちくと向こうにゃあ、才谷屋の墓があるっちゅうがやき、まさにこの周辺は、龍馬さんの日常があるまちやっちゅうことながぜよ。
こうして1時間弱ばあ周辺を散策して記念館に戻ってくる頃、ポツポツ雨が降りだいて、記念館の中に入ってちくとしたら、土砂降りになったがやき。
まっこと、まるで天国の龍馬さんが、ワシらあの散策を雨から守ってくださったみたいながよ。
いやあけんど、長いこと高知に住んじょって、こんな近所にこれっぱあタマルカゆうばあ、史跡や名所があったたあ、まっこと目からウロコやったがやき。
岩崎会長さん、詳しいご説明とご案内、まっことありがとうございました。感謝感謝ぜよ!
こりゃあ、「土佐学協会」の今年の「秋の収穫祭」にゃあ、こぢゃんとユニークな「龍馬の日常の道」(仮称「龍馬の平日」と「龍馬の休日」)の地図が誕生しそうなき、皆さんも楽しみにお待ちくださいや!
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