「人の欠点が気になったら、自分の器がちんまいと思うべきながよ。他人の短所が見えんなったら相当の人物、長所ばっかしが見えてくりゃあ大人物ながぜよ。」(石井久)
人の欠点や短所にこぢゃんとよう気づくっちゅう人は、人を見る目があるように思えるけんど、
実は自分の器がちんまいっちゅうことやっちゅうがよ。
こりゃあちっくと目からウロコやないかよ。
自分のレベルが上がったき、他人のちんまい欠点や短所にやち気づくようになったような気がしてしまうがやき。
それを「自分の器がちんまいと思うべき」やと、一刀両断ながよ。
けんど誰やち、自分の欠点や短所はよう見えんに、他人の欠点や短所はよう見えてしまうもんながやき。
問題は、それが見えるだっけやのうて、気になるようじゃあ「器がちんまい」っちゅうことやろか。
いや、見えて気づいてしまやあ、そりゃ気になってしまうもんながよ。
結局、欠点や短所が見えたち、まるでそんなもんあったちのうたち変わらんと思えるばあ、
まっと足るばあの長所を見つけることができりゃあえいっちゅうことながやないろかのう。
他人の長所ばっかしが見えるような人生らあて、まっことこんな幸せなこたぁないがぜよ。