2009年08月16日

幸せの言の葉〈295〉

「自分の能力をどれっぱあ発揮できるかっちゅうんは、結局どれっぱあ自分をおだてられるか、にかかっちゅうと思うがぜよ。」(玄侑宗久)


小説家で、僧侶でもある玄侑宗久さんの言の葉ながやき。


結局お坊さんやち神官さんやち、人間ながよ。


神様仏様やないがやき、おだてられりゃあそりゃやっぱし嬉しいがやき。


ほんで人間っちゅうんは、子供やち大人やち、男やち女やち、善人やち悪人やち、


誰やちうまいことおだてられりゃあ、嬉しゅうなって、自分から率先して動くようになるもんながよ。


ほんで自分から率先して動きゃあ、意外と予想以上の能力を発揮することができるもんながやき。


ほいたら、誰っちゃあおだててくれん時ゃあどうするか?


そりゃあ、うまいこと自分で自分をおだてるしかないがぜよ。


いかに自分を騙いて、うまいこと自分をおだてるかながよ。


勘違いでも、思い込みでも、何でもえいき、自分を上手におだてることながやき。


例えば、ちくと下世話なけんど、仕事でしょっちゅう会うような女性を、「ありゃあ絶対にワシに気がある!」と勝手に思い込むだっけやち、こぢゃんと仕事のやる気も出るっちゅうもんながよ!


そうやって自分をおだてて、予想以上に自分の能力をこぢゃんと発揮させることができるがやったら、


ちくと下世話な思い込みや勘違いやち、そりゃかわいらしいもんやないかよ。


この記事へのトラックバックURL