昨日のブログの続きで、11月3日(火)は、ワシが理事長を務めさいてもらいゆう「土佐学協会」(http://tosagaku.cocolog-nifty.com/report/)の秋の収穫祭として、「龍馬の息づかいが聴こえる道を巡る」っちゅうイベントを開催したがやき。
「なごやま」(高知市上町1-6-21 TEL:088-872-1541)さんにて、みんなあで「龍馬弁当」をいただいた後は、龍馬も食べたであろう土佐藩御用菓子司「西川屋老舗」(http://www.nishigawaya.co.jp/)の土佐で最も由緒ある銘菓「梅不し(うめぼし)」と「ケンピ」を堪能したがよ。
ほんでその後は、参加者43名中約20数名の方々が、土佐学協会が制作した「龍馬の息づかいが聴こえる道」マップを片手に、その道を巡ったがやき。
案内役はワシで、拡声器片手に解説しもってのご案内やき、ほとんど画像を撮るヒマもなかったき、今回は以前に下見に回った時の画像を中心に使わしてもうちゅうがよ。
まずは龍馬が生まれ暮らした生活の場、「坂本龍馬誕生地」を視察。
現在の「上町病院」さんの西側に、吉田茂首相の字体での誕生地の石碑があるがやき。
ちなみに「上町病院」さんの壁らあに書かれちゅう赤白赤の旗は、二曳き(にびき)っちゅうて、海援隊の旗ながよ。
海援隊の会計係を務めよった岩崎弥太郎が三菱をつくり、その船舶部門が現在の日本郵船につながっちょって、その旗もこの二曳きながやき。
また、ソフトバンクの孫社長も大の龍馬ファンで、同社のイコールみたいな会社のマークも、実はこの海援隊旗から来ちゅうがぜよ。
続いては「魚の棚」跡と「秋葉神社」。
「魚の棚」っちゅうんは、藩から魚類の小売を許された場所のことながやき。
ここにゃあ残念ながら現在魚屋は残っちゃあせんけんど、龍馬の誕生地から目と鼻の先やき、坂本家はここで魚を買いよったと断言できるがぜよ。
ほんで、龍馬の時代にこの場所で魚屋をしよった「冨田屋」の子孫が、なんと「なごやま」さんながやき!
ほんじゃき「なごやま」さんに「龍馬弁当」を作ってもうたこたぁ、こぢゃんと意味があるがよ。
また、当時の魚屋はもう1軒現在も残っちょって、「鮎屋」っちゅう魚屋が、現在の料亭「得月楼」(http://www.tokugetsu.co.jp/)になっちゅうがやき!
元は龍馬も魚を買うたであろう魚屋やったこの老舗料亭で皿鉢料理でもいただきもって、龍馬と最も縁の深い蔵元「司牡丹」を酌み交わしゃあ、龍馬気分にドップリ浸れること間違いなしながぜよ。
さて、その「魚の棚」跡の真ん中へんにある「秋葉神社」は、今はちんまい祠があるばあやけんど、町内の防火の神様やき、当時はまっと大きかったようながよ。
当然子供時代の龍馬も、ここの境内で元気に遊んだことやろう。
お次は、龍馬誕生地の裏手に建つ「ホテル南水」(http://www.nansui.ne.jp/)さん。
こちらは龍馬の宿として有名で、館内にゃあ龍馬関連の資料や展示物らあがズラリと並び、資料館さながらながよ。
またこのホテルの前にゃあ、幅2mばあの水路が約950mにわたって流れゆうがやけんど、この水路は350年以上の歴史ある水路ながやき!
当時の上水やったこの水路を龍馬も利用したがやと思いをはせりゃあ、水路の石垣ひとつひとつにも、こぢゃんと愛着が湧いてくるっちゅうもんながよ。
続いては「龍馬郵便局」(高知市上町1-8-18 TEL:088-823-4782)。
こちらにも龍馬の手紙(複製)らあが展示されちゅうがやき。
さらに窓口から「風景印でお願いします」っちゅうて手紙を出しゃあ、龍馬像の入った風景印で消印してくれるっちゅうがやき、こりゃ活用せん手はないがぜよ!
手紙魔やった龍馬の気分に浸れること請け合いながよ。
その後は、真っ直ぐ鏡川へ。
鏡川に向かう坂道を上りきった辺りに、「水丁場の石碑」があるがよ。
少年期の龍馬が連日のように通い続けた「日根野道場」はこっから直ぐ西側にあって、また龍馬のかっこうの遊び場やった鏡川に向かうにも、この場所を通ったろうことは明らかながやき。
ほいたら、まず間違いのう、龍馬は何度もこの石碑に触っちゅうはずながよ!
そう思いもってこの「水丁場の石碑」に触ってみりゃあ、龍馬の手の温もりまで伝わってきそうながやき!
また、場所は特定されてないけんど、「日根野道場」はこの辺りにあったがやき、この周辺を散策すりゃあ、修行期の龍馬の汗のにおいまで感じられそうながよ。
また、「水丁場の石碑」から真っ直ぐ鏡川に向こうたところが、龍馬が鏡川で泳ぐ時に入った場所やと考えるがが自然やろうき、その付近を歩きゃあ、少年龍馬の笑い声が聞こえてきそうながぜよ。
お次は鏡川堤防の桜並木を歩きもって、「河田小龍塾」跡へ。
この付近は、江戸時代からの石垣が残る家らあがズラリとあって、こぢゃんとえい雰囲気ながよ。
江戸から帰国しちょった20歳の龍馬が、ここで小龍先生と出会うて教えを受け、初めて世界への目を開いたががこの場所ながやき!
そう考えりゃあ、この雰囲気のえい堤防沿いに佇んで思いをめぐらせりゃあ、誰の心にやち壮大なロマンがあふれてきそうながぜよ!
続いては「水天宮」へ。
ここは当時、エンコウ(河童の意の土佐弁)のイタズラ封じや子供の水難除けとして信仰されちょったがやと。
ほいたら、鏡川で度々遊んだと言われる龍馬も、この「水天宮」で手をあわせて、水難除けらあを願うたはずながやき。
お次は「近藤長次郎屋敷跡」。
龍馬の幼なじみで亀山社中に入って龍馬の手足となって働いた長次郎は、この場所の饅頭屋の息子として生まれたがよ。
当然龍馬もここで饅頭を食べちゅうはず。
誰かこの近辺で、「長次郎饅頭」でも売り出しゃあ、龍馬ファンが殺到するがやないろかのう。
続いては、言わずと知れた龍馬の本家「才谷屋」跡。
ここにゃあ現在、ファミリーマートさんが店を構えちゅうがやき。
ワシらあ「土佐学協会」メンバーは、密かにこの店を「ファミマ才谷屋店」と呼んで、ひいきにしゆうがよ。
またその向かいにゃあ、現在は「かつら釣具店」さんがあるがやけんど、ここに「才谷屋」の酒蔵があったがやと。
その酒蔵は、佐川の酒蔵(つまり現在の司牡丹酒造!)との頻繁な交流があり、家系図から姻戚関係があった可能性もあると考えられるがやき。
ほいたら、今も残る土佐の蔵元の中で龍馬が飲んだと言える酒は、やっぱし司牡丹やと言えるがやないろかのう!
またこの「才谷屋」跡の西側にゃあ、龍馬ファンか集う「喫茶さいたにや」(高知市上町3-7-4 TEL:088-823-8837)さんもあるがやき。
続いては上町四丁目に行って、龍馬の時代から筆・紙・墨を扱う紙屋やった、「政屋紙店」(高知市上町4-2-4 TEL:088-822-1440)さん。
龍馬は手紙魔やき、この店で筆や墨や紙を買うたっちゅう可能性は否定できんがよ。
またそのすんぐ西にゃあ、龍馬の時代にこぢゃんと流行に敏感な「羽織屋」やったっちゅう、「高知ユニフォームセンター」(高知市上町4-3-3 TEL:088-824-2111)さんもあるがやき。
ブーツを履いたり香水を使うたりしよったっちゅう龍馬は、ファッションにも先進的やったき、この「羽織屋」で衣類を買うちゅう可能性は、低うないと思えるがよ。
それに何ちゅうたち、手紙魔でファッションが先進的やった龍馬の、その時代から残っちゅう店が、「紙屋」と「衣料品屋」やっちゅうことが、こぢゃんと龍馬の魂の導きみたいなもんを感じるがやき!
そう考えりゃあ、この2つの店で紙や衣類を買う価値は、こぢゃんとあるがやないろうかのう。
お次は西町の方へ入って、「池 内蔵太邸」跡。
この周辺は、今も龍馬の時代の佇まいが残っちゅう雰囲気のある場所で、龍馬の幼なじみがいっぱい住んじょって、池 内蔵太もその1人ながよ。
さらに北に入って、続いては「若一王子宮」。
この周辺は、前記の通り龍馬の幼なじみが多かったき、この王子宮のお祭りらあにゃあ、龍馬も彼らあと一緒にここではしゃぎまわったと言われちゅうがよ。
さらに、地図にゃあ書いてないけんど、ここからちくと西にゃあ「平井収二郎邸」跡があって、収二郎も龍馬の幼なじみで、その妹は龍馬の初恋の人と言われる平井加尾ながやき。
しかも、平井家と坂本家のちょうど中間地点がこの「若一王子宮」ながよ。
ほんじゃきワシらあ「土佐学協会」は、ここを「龍馬が初恋の人とデートしたデートスポット」と呼ぶことにしたがぜよ!
そっからは再び上町に戻り、「高知市立 龍馬の生まれたまち記念館」(http://www.inforyoma.or.jp/hometown/)前にて解散。
約1時間半ばあの散策で、「龍馬の息づかいが聴こえる道を巡る」散策は、無事お開きとなったがやき。
ご参加いただきました皆さんにも、こぢゃんと面白かったと口々におっしゃっていただけたがよ。
まっこと有り難うございました。感謝感謝ながやき!
尚、今回使用した「龍馬の息づかいが聴こえる道」マップは、5000部印刷しちょって、今後あちこちにて無料配布する予定ながよ。
もしお急ぎで欲しいっちゅう方は、「土佐学協会」事務局(高知市永国寺町5-15高知女子大学文化学部副手室内 TEL:090-2896-6950 FAX:088-873-2764
E-mail:tosagaku@el.kochi-wu.ac.jp)まで、ご一報くださいや!
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司牡丹酒造株式会社