「『できるかよ』と聞かれりゃあ、いつじゃち『もちろん』と返事することながよ。それから懸命にやり方を見つけりゃあえいがぜよ。」(セオドア・ルーズベルト)
とにかく世の中にゃあ、「できん理由」を探すががうまい人が多過ぎるたぁ思わんかよ。
例えば何か新しいことをやろうとすりゃあ、そういう人が必ず「できん理由」を山のように列挙してくるがやき。
しかもその「できん理由」は、一見正論だらけに見えるがよ。
けんど、よう考えてみいや。
何か新しいことをしょうとすりゃあ、そりゃ障害があるこたぁ当たり前のことながやき。
そんな障害を「できん理由」にして数えだいたら、そりゃ何じゃち「できん理由」だらけになるに決まっちゅうがよ。
ほんでそりゃあできんと結論づけるがやったら、何ひとつ新しいこたぁできんことになってしまうがぜよ。
だいたい「できん理由」を探すがらあて、簡単なことながやき。
試しにどんなことやちえいき、「できん理由」を探してみいや。
なんぼやち出てきて、それをするこたぁ不可能やっちゅう気になってしまうもんながやき。
けんど、なんぼ「できん理由」が山のようにあったとしたち、自分が自分であるために、使命としてどういたちやらにゃあイカンこともあるがぜよ!
ほいたら「できん理由」らあ探すこたぁやめて、まずは「できる」と決めてしまおうぜや。
それから一生懸命、やり方を見つけりゃあえいがよ。
なんぼ足るばあ「できん理由」があったとしたち、たったひとつの「やるべき理由」があり、たったひとつの「できる理由」が見つけられりゃあ、
そりゃあ絶対に「できる」がぜよ!