「ワシゃあ議論はせんがよ。議論に勝ったち、人の生き方は変えられんがぜよ。」(坂本龍馬)
この龍馬さんの「言の葉」は、議論好きの土佐人にとっちゃあ、こぢゃんと耳が痛いがやき。
ほいたら、土佐人である龍馬さんは、ホンマに議論をせざったかっちゅうたら、せざった訳やないと思うがよ。
ただし、互いに自分の主張が正しいことを論証するような単なる議論を、龍馬さんは嫌うたがやないろうか。
ナンボ議論して自分が正しいことを論証したち、相手の考え方や生き方を変えるこたぁできんがやき。
龍馬さんは、そういうどっちが正しいかっちゅう議論やのうて、常に第三の道を模索し続けた人ながよ。
つまり、互いに対立するかに見える二つの意見の、いずれか一方を否定するがやのうて、両者を肯定し、包含し、統合し、超越することによって、より高い次元のもんへと昇華させるっちゅう、弁証法的第三の道の選択ながやき。
ちなみにこの部分は、田坂広志さん(http://www.hiroshitasaka.jp/)の「使える弁証法」(〜ヘーゲルが分かればIT社会の未来が見える〜 東洋経済新報社)を参考にさいてもうたがよ。
龍馬さんは弁証法を知っちょった訳やないろうけんど、彼が成したことらあを見りゃあ、まさに常に弁証法的第三の道を模索し続けよったことが分かるがやき。
議論に勝って自分が正しいことを証明するがやのうて、両者を肯定し、包含し、統合し、超越することによって、より高い次元のもんへと昇華させるっちゅう弁証法的第三の道を、常にワシらあも選択できるようになりたいもんながぜよ。
ほいたら、ワシらあも龍馬さんみたいに、たくさんの人が力を貸しとうなるような魅力が備わって、こぢゃんと噐の大きい人間になれるかもしれんのう。