1月15日(金)は、小学館の雑誌「サライ」増刊「旅サライ」第7号(2月27日発売予定)に「龍馬の愛した味と宿」っちゅう第2特集があるらしゅうて、その取材でライターさんとカメラマンさんが、司牡丹に来られちょったがぜよ。
ワシが理事長を務めさいてもらいゆう「土佐学協会」(http://tosagaku.cocolog-nifty.com/report/)の制作した「龍馬の息づかいが聴こえる道」マップ(「11月4日」と「11月5日」のブログ参照)に「旅サライ」さんが興味を示し、まずは龍馬さんと最も縁が深い蔵元として、司牡丹に取材に来られたっちゅう訳ながよ。
ほんでまずは、ワシのインタビュー。
司牡丹の歴史や龍馬さんとの縁について、お話しさいてもうたがやき。
そんな中で、龍馬さんを表す言葉として、ワシが「坂竜飛騰(ばんりゅうひとう)」っちゅう言葉を紹介さいてもうたがよ。
もともとは「蟠竜飛騰(ばんりゅうひとう)」っちゅう言葉があって、それをもじったもんながやき。
お寺の天井らあによう「蟠竜図」っちゅうんがあるろがよ。
ありゃあ、地に伏してトグロを巻いてジッとしちょった竜が、タップリと力を蓄えて、それによって天に向こうて飛騰していくっちゅう意味ながやき。
土佐は幡多地方の勤王党首領の樋口真吉が、その「蟠竜飛騰」の「蟠」を坂本龍馬の「坂」に変えて、龍馬さんが飛騰していく姿を「坂竜飛騰」と称したがよ。
ほんで、考えてみりゃあ龍馬さんの成した偉業は、江戸や京都や長崎が中心で、土佐じゃあ何ちゃあ成してないがやき。
けんど実は龍馬さんの32年間の生涯のうちの70%以上を占める23年間は、土佐の高知におったがぜよ。
つまり土佐は、龍馬さんの「坂(蟠)竜」の地ながよ!
土佐にゃあ、龍馬さんが黒船を見た場所も、寺田屋も、亀山社中もないかもしれんけんど、
いまも変わらん、この土佐の風土が、空気が、人が、食が、そして酒が、「坂(蟠)竜」しちゅう龍馬さんに力を与えたきにこそ、後の「飛騰」があったっちゅうことながやき。
土佐での長き「坂(蟠)竜」がなけりゃあ、後の偉業はないろうっちゅうことながよ。
ザッとこんな話をアツうに語ったら、ライターさんもカメラマンさんも「それ、いいですね!」っちゅうことになり、龍馬さんの手紙の前で、司牡丹の新商品「坂竜飛騰」(本醸造酒)を撮影するっちゅうことになったがやき。
実は普段は「龍馬記念館」か「青山文庫」に貸出して保管を依頼しちゅう、竹村本家所蔵の龍馬さんの手紙が、ちょうど今もんてきちょって、ナント本物が眼前で観れるがよ!
カメラマンさんが撮影しゆう合間に、ワシも撮らいてもうたがやけんど、考えてみりゃあ、ガラス越しらあやのうて直に、龍馬さんの本物の手紙と一緒にお酒の写真を撮れるらあて、まっこと前代未聞ながやないろうかのう!
司牡丹の取材を終えた「旅サライ」の皆さんは、この後は「なごやま」(高知市上町1-6-21 TEL:088-872-1541)さんにて「龍馬弁当」の取材のため、佐川を出発されたがやき。
ちなみに翌日は、午前中にゃあ、龍馬さん誕生地に建つ宿として有名な「ホテル南水」(http://www.nansui.ne.jp/)さん、午後にゃあ「得月楼」(http://www.tokugetsu.co.jp/)さんを取材して、帰られるっちゅう予定ながやと。
「旅サライ」の皆さん、まっことお疲れ様でした。ありがとうございました。
今回の記事「龍馬の愛した味と宿」が掲載される雑誌「サライ」増刊「旅サライ」第7号は、まだちくと先の2月27日の発売予定やき、こりゃあみんなあ絶対忘れんと、必読ぜよっ!
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司牡丹酒造株式会社