「世界の咄しも相成り申すべきか。」(坂本龍馬)
「世界の話でも、そろそろするべきかのう。」
いよいよ大政奉還も成った、慶応3年11月7 日、陸奥宗光さんあての手紙に書いた龍馬さんの言の葉ながよ。
幕末のあの時代に、大政奉還っちゅう日本の国内の大改革を成し遂げ、ほんでいよいよ世界の海援隊になろうっちゅう気概で、龍馬さんはこの言の葉を語ったがやないろうか。
けんど、この手紙を書いた僅か1週間後の11月15日、龍馬さんは暗殺されてしまうがやき。
まっこと無念やったことやろう。
ひるがえって、現代のワシらあはどうやろうか。
龍馬さんの時代たあ比べもんにならんばあ、世界は身近になっちゅうがやき。
ほいたらワシらあは、まっとまっと世界の話ができるはずながよ。
この「世界」たあ、二つの意味が考えられるがやき。
一つはいわゆる世界中の意味の「世界」。
もう一つは、自分ならではの世界観の意味での「世界」ながよ。
つまりワシらあは、まっと「世界」に向けて、自分ならではの「世界観」を語るべきながやないろうか。
龍馬さんの語った「世界」も、そんな二つの意味があったがやないろうかのう。