3月6日(土)は、ワシが理事長を務めさいていただきゆう「土佐学協会」(http://tosagaku.cocolog-nifty.com/report/)主催の、「土佐のおきゃく〈2010〉」(http://www.tosa-okyaku.com/)参加イベント、「龍馬の晩酌! 〜龍馬の時代の食と酒、晩酌を再現!〜」を開催したがぜよ。
「土佐学協会」顧問で、「土佐伝統食研究会」代表の松崎淳子先生(高知女子大学名誉教授)のご協力により、龍馬が食べたであろう食と酒、晩酌シーンを再現するっちゅう、こぢゃんと画期的なイベントながよ。
会場は上町の「なごやま」(高知市上町1-6-21 TEL:088-872-1541)さん。
このお店は、龍馬さんの生家のすぐ近所にて、当時魚屋を営みよった「冨田屋」が前身ながやき。
つまり龍馬さんが魚を買うたであろう魚屋が今も料理屋として現存しちょって、その場所にて、龍馬さんの時代の食と酒で晩酌が楽しめるっちゅうことながよ。
ほんで、これっぱあ龍馬さんにこだわった内容の会は、ハッキリ言うてもう二度と体験不可能かもしれんがやき!
さて、スタート時間の18時半にゃあ、30名のお客様が集まられ、まずは理事長のワシからの開宴のご挨拶。
続いては松崎先生に、資料を元に、お料理の解説をしていただいたがよ。
詳しゅうは、以下の通りやけんど、お料理の写真とともにちくと詳しゅうご紹介しちょきますぜよ。
●鯛の尾頭つき塩焼き:
昭和37年1月発行の「土佐の婦人たち」(関みな子著 高知新聞社 発行)にゃあ、龍馬さんの姉やん乙女さんの嫁ぎ先での食生活が、「毎日のおかずは尾かしらつきのタイが常で、それを裏表たべるのは武士の子にあるまじき下品なふるまいと子どもに教え・・・」と書かれちゅうがやき。
この文は、宮尾登美子著「奔馬のかげに生きた女たち」<「現代視点〜戦国・幕末の群像〜 坂本龍馬」(旺文社 昭和58)収録>にも引用されちょって、宮尾氏は「幕末の貧乏公家などから見たら、のけぞる程の贅沢さだが、たしかに坂本家には財の底力はあり、これが龍馬に与えた影響は大きかった」と述べられちゅうがよ。
龍馬さんも武士の子、坂本家での食事じゃあ尾頭つき鯛の裏側は食べんかったろうけんど、考えてみりゃあ毎年大量の残飯を出すっちゅう飽食の生活をしゆうワシらあ現代人が、それに文句をいえるような立場やないがぜよ。
もちろん、本日は裏表ともお召し上がりくださいや。
●刺身<生(なま)>:
山田一郎著「海援隊遺文」にゃあ、「龍馬はサバの刺身にダイダイの酢をかけたのが大の好物」と書かれちゅうがやき。
藩から魚類の小売を許されちょった「魚の棚」が目と鼻の先にあった坂本家での日々の食卓は、新鮮な刺身がふんだんに出されたことやろう。
ほんで、土佐で「酒の肴」といやあ「なま」(刺身)が定番。
「はつ」と呼ぶ「キハダマグロ」「メバチマグロ」は常連で、「カツオ」は初夏の「上り」秋の「下り」、夏を告げる「メジカ」らあの「しんまえ」、秋から冬への「サバ」、冬の「ブリ」らあの回遊魚で季節の移り変わりを感じるがよ。
地つきの多彩な魚らあも、新しけりゃあまずは「なま」で、っちゅう土地柄が土佐ながぜよ。
●鰹の塩辛・酒盗:
魚が新しいきに、土佐じゃあ「あら」も捨てんがやき。
ことに鰹のハラワタの塩辛の熟成した「酒盗」は、酒の肴の逸品。
これを食べりゃあナンボやち酒が飲めるっちゅうことから、土佐藩12代藩主山内豊資が「酒盗」と命名したっちゅうことやきに、当然龍馬さんも「酒盗」を食べたことやろう。
ほんで、龍馬さんの時代にゃあ添加物はないきに、原料は鰹と塩のみ。
けんど、こりゃあ塩分が20%以上もあって、そのまんま食べるにゃあ塩分が強過ぎるがよ。
実はこりゃあ保存食で、食べる分だっけ流水で洗うて塩抜きし、さらにそれを酒で洗うて皿に盛り、お酢をつけていただくっちゅうような食し方をしよったようながやき。
●セリの白和え:
セリと乾燥シイタケ(当時からあったよう)を使うた白和え。
豆腐は、長曽我部氏の時代に朝鮮から渡来した固い豆腐(生搾り)やったがよ。
今出回っちゅう豆腐は「湯とう」っちゅう方式で軟らこうて、水分を多く含んじゅうがやき。
白和えは、昔っからご馳走やったがぜよ。
●ワラビの煮物:
暖かい雨が多い土佐じゃあ山菜も豊かで、煮物は日常のおかずやったがやき。
●軍鶏(シャモ)鍋:
慶応3年(1867年)11月15日(龍馬さんの誕生日)、龍馬さんは京都近江屋にて軍鶏鍋を食べろうとして、使いの者に軍鶏を買いに走らせゆう間に襲撃され、中岡慎太郎さんとともに憤死したがよ。
慎太郎さんが教えて龍馬さんの好物になったともいわれゆう軍鶏鍋。
慎太郎さんの生まれ育った安芸郡北川村あたりじゃあ、「すき焼き風」の軍鶏鍋が多いようながやき。
一方、坂本家の遠祖の地、南国市才谷あたりやと「寄せ鍋風」。
最近のニュースじゃあ、南国市の「ごめんシャモ研究会」が「第6回彩の国鍋合戦」(2010.1.31. 於埼玉県和光市)に参加し、優勝したがも「寄せ鍋風」の軍鶏鍋やったがよ。
今回はその栄誉を称え、「寄せ鍋風」の軍鶏鍋に仕立てたがやき。
天国の龍馬さんもヨダレを流すかも・・・?
〆めはダシの効いた汁にうどんを入れたがぜよ。
松崎先生の解説の後は、かの有名な地鶏「土佐ジロー」を開発された平岡英一さん(現・高知県文化財保護審議委員会委員第3部会長)に、ちくと高知県の地鶏について解説していただいたがやき。
★地鶏王国・土佐
あんまり知られちゃあせんけんど、実は土佐の高知は日本一の地鶏王国ながよ!
高知県を原産とする地鶏は、オナガドリ(特別天然記念物)、東天紅、ウズラチャボ、ミノヒキチャボ、軍鶏、土佐地鶏(以上5品種は天然記念物)、クキン、宮地鶏の8品種を数えちょって、こんな地域は他にゃあないといわれるばあながやき。
ちなみに、文化財保護法で守られちゅうはずの天然記念物の軍鶏を、なんで食してもえいがかについちゃあ、管轄の高知県教育委員会文化財課に問い合わせたところ、天然記念物やったち、法律ができる以前から伝統的に食されてきたもんについちゃあ、問題ないっちゅうことながよ。
ほんで、ワシのお酒の解説ながやけんど、皆さんお腹も減っちゅうようなかったき、簡単に済まさいてもうて、乾杯して宴会をスタートしたがやき。
乾杯は、龍馬さんの時代に最も近いっちゅう、以下の酒ながよ。
●「司牡丹・きもと系酒母・純米樽酒」を「内原野焼きの船徳利」で(特別出品)
龍馬さんの時代の酒は全て、現代の速醸系酒母の酒たぁ違う、きもと系酒母での仕込みやったがよ。
きもと系酒母たぁ、現代のように乳酸の添加らあを行わん、自然に乳酸菌が生えるように仕向ける醸造法。
特徴は、しっかりと骨太なコクと幅のある旨みで、現代の酒にゃああんまり見られんなった、野武士のような力強さを秘めちゅうがやき。
しかも、搾った後にゃあ一切加水調整をせん原酒で製品化したがよ。
また、龍馬さんの時代は瓶やのうて、酒は杉樽で流通しよったことから、全て杉樽の風味がついた樽酒やったがやき。
この酒も司牡丹伝統の樽詰め技術を駆使し、杉樽の風味豊かな樽酒になっちゅうがよ。
ほんで、龍馬さんの時代の酒は、杉樽から陶器の徳利に量り売りされよったがやき。
内原野焼きは、岩崎弥太郎さんの生まれた現在の高知県安芸市にて、文政12年(1829年)頃から始まったとされちゅうがよ。
弥太郎さんとの交流も深かった龍馬さんやきに、内原野焼きの徳利で酒を酌み交したことも当然あったがやないろうか。
ほんで、龍馬さんといやあ海の男、海援隊長やきに、当然船の中でも酒を酌み交したはずながやき。
ほいたら、船が揺れたち倒れにくい寸胴型の「船徳利」が最適ながよ。
さらに「船徳利」にゃあ坂本家の家紋「組み合わせ角に桔梗」が付けられちゅうがよ。
窯元は、現在4軒残っちゅう内原野焼きの中でも古うからの伝統を誇る1軒、「野村窯」。
「司牡丹・きもと系酒母・純米樽酒」を「内原野焼きの船徳利」を使うて味わやあ、龍馬さんの時代が脳裡に浮かんでくること請け合いながぜよ!
ちなみにこの酒とこの船徳利に、さらに内原野焼きのぐい飲み2脚と鰹と塩だっけの酒盗をセットにして、坂本家の家紋入りの杉の箱に入れた『「船中晩酌」野点箱』が、「土佐酒道会」(http://tosashudokai.net/)から発売されちょって、それもご紹介さいてもうたがやき。
さあ、乾杯から後は、みんなあで飲んで食べての大宴会のはじまりながよ。
他にも、司牡丹の龍馬さん関連の酒が、足るばあ出されたがやき。
●「司牡丹・土佐宇宙酒・宇宙龍」(純米吟醸酒)
●「船中八策」(超辛口・特別純米酒)
●「龍馬からの伝言・日本を今一度せんたくいたし申候」(超辛口・純米酒)
●「坂竜飛騰」(本醸造酒)
ご参加者の皆様からは、「軍鶏鍋がこぢゃんとウマイ!」「お鍋の汁が美味しい!」「お酒が最高!」「県外の龍馬ファンに申し訳ないばあえい企画!」らあの悦びの声をいただき、飲んで食べて語り合いよったら、アッちゅう間に2時間が過ぎちょったがよ。
20時半過ぎ、「龍馬の晩酌!」は無事お開きとなったがやき。
ご参加いただきました皆様、そしてご協力いただきました松崎先生、平岡先生、「なごやま」さん、まっことありがとうございましたぜよ!
土佐の高知の日本酒蔵元「司牡丹」の公式ホームページは、こちらをクリック!
司牡丹酒造株式会社