2010年05月18日

「土佐学協会」主催「第4回土佐学大会」(前編)ぜよ!

 5月16日(日)は、ワシが理事長を務めゆう「土佐学協会」(http://tosagaku.cocolog-nifty.com/report/)主催の、「第4回土佐学大会」やったがぜよ。


 ちなみに昨年の「第3回土佐学大会」についちゃあ昨年の「4月15日」のブログを、最新の「土佐学協会」理事会についちゃあ今年の「4月22日」のブログをご参照くださいや。


 ほんで「第4回土佐学大会」は、高知女子大学永国寺キャンパス講義棟203教室で13時からの開催やき、ワシゃあ12時前にゃあ会場に到着したがやき。


 ほいたら既に高知女子大学清原ゼミの生徒の皆さんが、教室の掃除やら準備らあをバッチリやってくださっちょって、まっことありがたいことながよ。感謝感謝ながやき。


 また、待望の「土佐学年報・第4号〜たまるか!土佐がはみかえる〜」が遂に完成しちょったがよ。土佐学年報第4号


 まっこと、デザインも中身も、こぢゃんとえいがやき!


 ご担当いただきました水谷先生、まっことありがとうございましたぜよ!


 ワシらあのこの1年間の集大成、87ページに及ぶ素晴らしい年報は、今回は『土佐学と坂本龍馬〜「坂竜飛騰」の地・土佐の魅力〜』特集号でもあるき、是非全国の龍馬ファンの方々らあにも、ご覧いただきたいがぜよ!


 ご希望の方は、土佐学協会事務局(高知市永国寺町5-15 高知女子大学 文化学部 体育学研究室内 TEL:090-2896-6950 FAX:088-873-2764 E-mail:tosagaku@el.kochi-wu.ac.jp)までご一報くださいや。


 さて今回の大会は、「土佐の面白いこと再発見」っちゅうテーマで、趣旨・目的は、土佐学に関する研究・調査の報告、意見発表を行うと共に、会員の交流を活発にし、会員相互の親睦を深めること、また広うに県民の皆様に「土佐学協会」とその活動を知っていただくこと、ながよ。


 まずは12時半から受付開始。


 ゾロゾロとご来場者の方々が集まりはじめ、結局会員28名非会員33名の合計61名もの方々にご参加いただいたがぜよ!


 13時からは開会行事。土佐学大会スタート


 まずは成田十次郎会長さんのご挨拶。成田会長さんご挨拶










 続いては理事長のワシがご挨拶さいてもうたがやき。




 ほんでいよいよ本大会のメインでもある公開座談会、「元親と龍馬を繋ぐモノ?!」のスタートながよ。座談会スタート


 ご登壇者は、高知県立歴史民俗資料館(http://www.kochi-bunkazaidan.or.jp/~rekimin/)の宅間一之館長さんと、ひまわり乳業(http://himawarimilk.co.jp/)代表取締役で、土佐史談会理事でもある吉澤文治郎さん。


 コーディネーターは当協会理事の大野加惠(http://rigulife.co.jp/)さんながやき。


 まず歴民館は、開館して20年、今年の4月10日に大リニュアルオープンし、長宗我部元親をメインに据えて生まれ変わったがよ。


 文治郎さんは、「にっこりひまわり日記」(http://himawarimilk.co.jp/nikkori.html/)で、高知の史跡らあを自らの足で回り、その場で歴史上の人物らあの気持ちになって妄想を暴走さいて、人気のブログになっちゅうがやき。


 まず宅間館長さんは、一昨年の7月に岡豊城跡が国の指定史跡になったっちゅうことで、そこにある資料館としての性格を明確にせにゃイカンっちゅうことになり、いま大人気の長宗我部元親をメインにすることに決めたっちゅうがよ。


 歴史館マニアの文治郎さんは、リニュアルしてからもう2回も歴民館に行ったらしゅうて、期待以上に良かったっちゅうがやき。


 長宗我部展示の大充実はもちろん、イザナギ流の民俗展示らあも充実しちょって、総合的に楽しめるっちゅうがよ。座談会風景座談会風景2












 さて、本題の長宗我部元親と坂本龍馬やけんど、300年の隔たりがある2人は、実はぞんがい繋がっちゅう部分があるっちゅう話ながやき。

 宅間館長さんは、龍馬はどこまでが歴史でどこまでがフィクションか分かりにくいし、元親は元親で戦国時代のことやき、ナマの資料がほとんどのうて、後世に書かれた「土佐物語」らあの軍記物が中心資料になっちゅうき、これまた史実が分かりにくいっちゅうがよ。


 また長宗我部は、四国の他県じゃあ侵略者やき嫌われちょって、史跡らあも残されてないし、高知県でも国分地区や安芸じゃあおんなじ状況ながやと。


 そんな中でっちゅう前提で、元親と龍馬を比較したとき、先見の明があって人より一歩も二歩も先んじた活動をしたっちゅう共通点があるっちゅうて、宅間館長さんはおっしゃるがやき。


 日本全体を視野に入れて、眼前に広がる海も視野に入れて行動したっちゅう点が二人の共通点やないろうかっちゅうがぜよ。


 文治郎さんは、坂本龍馬は明智光秀の一族の末裔やと語っちょったっちゅう点で、それが事実やったとしたら、長宗我部元親ともつながってこぢゃんと面白いっちゅうがよ。


 明智光秀の家紋も坂本龍馬の家紋も、おんなじ桔梗ながやき。


 元親は、正室も側室も明智光秀の一族の者から来ちょって、つまり光秀と姻戚関係にあったっちゅうがよ。


 本能寺の変は、光秀が親戚である長宗我部氏を守るために起こしたっちゅう「四国説」も、最近クローズアップされてきゆうっちゅうがやき。


 つまり、この説を採り、明智光秀を主役的なあつかいにすりゃあ、長宗我部元親の大河ドラマはあり得るがやないろうかっちゅうがよ。


 さらに明智光秀を真ん中に置きゃあ、長宗我部元親と坂本龍馬をつなぐ接点になるっちゅうがぜよ!


 宅間館長さんは、元親の正室についても二説あるし、様々な俗説も入り乱れちゅうき、断定するこたぁ難しいとした上で、確かにそういう考え方で元親と龍馬をつなぐっちゅう発想は面白いっちゅうがやき。宅間館長さん文治郎さん











 文治郎さんは、歴史っちゅうんは、史跡らあの現地に行って、その歴史上の人物の気持ちになっていろいろ考えてみるっちゅうこと、これがこぢゃんと楽しいっちゅうがよ。


 岡豊城跡も、南に降りたあたりの見晴らしのえいとこから南を眺めてみると、なんで元親がまず土佐を統一しょうとしたかが、シュッと分かるっちゅうがやき。


 あの山に立って眺めたら、土佐の中原が一望で太平洋まで丸見えながよ。


 周囲の豪族らあの土地も、すんぐ手の届きそうなくに丸見えながやき。


 ほいたら、ここを落として、次はあそこを落としてっちゅう具合に勢力を拡大していこうと、誰やち考えてしまうがやないろうかっちゅうがぜよ。


 そういう意味じゃあ、岡豊の山はあんまり高過ぎず、低過ぎず、ボッチリの高さながよ。


 そんな条件を満たしちゅう山としちゃあ、土佐じゃあ岡豊の山と朝倉の山の2つやないろうかっちゅうがやき。


 宅間館長さんも、この意見にゃあ同感やっちゅうがよ。


 ほんで、あの戦国時代に四国の僻地の元親が中央とこぢゃんとつながりを持っちょったっちゅう先見性を指摘するがやき。


 築城の最新技術らあも中央から取り寄せ、その技術力は当時のトップクラスにあったっちゅうがよ。


 ほんじゃき、元親にゃあ、中央にブレインがおったがじゃないかと言われゆうがやき。


 そんなことから元親は、やっぱし天下を狙いよったがじゃとも言えるっちゅうがぜよ。


 ほんで文治郎さんは、龍馬についても元親とおんなじように、アノ八畳岩からの眺めがこぢゃんと影響を与えちゅうがやないかっちゅうがよ。


 土佐が一望できて太平洋まで丸見え。


 高知城らあてこんまいもんに見えるがやき。


 この風景が、その後の龍馬の考えを決定づけたがやないろうかっちゅうがよ。


 宅間館長さんも、まったくこれにゃあ同感やっちゅうがぜよ。


 また、大河ドラマ「龍馬伝」について、吉田東洋の先祖は本来長宗我部の家臣やったに、なんで上士になれたがなっちゅう意見があるけんど、実は吉田家は相模の国の首藤山内氏の子孫で、一豊の山内家たぁ本来同族やったっちゅうがやき。


 ほんじゃき他の長宗我部の家臣たぁ別格で、スッと上士に取り立てられたがじゃっちゅうがよ。


 また文治郎さんは、歴史上の妄想を暴走させるがが好きやっちゅうて、ちくと脱線話もしてくださったがやき。


 よさこい節に歌われた純信とお馬の話の時に、龍馬さんは何歳でどこにおったかを調べたら、純信35歳お馬15歳(年は満)で思案橋付近で晒し者にされたがは安政2年。


 こん時龍馬は満21歳で、ちょうど一回目の江戸での剣術修行から帰ってきたとこやっちゅうがよ。


 ほいたら、美人で有名やったお馬さんやき、あの好奇心旺盛な龍馬やったら、絶対見に行っちゅうはずやっちゅうがぜよ。


 また、元親は若い頃は姫若っちゅうて言われたばあのナヨイ男やったと言われちゅうし、龍馬も若い頃はタッスイ男やったと言われちょって似いちゅうがやき。


 本来優しい男やったっちゅう点も、元親と龍馬の共通点になるがやないかっちゅうがよ。


 さて来年の大河ドラマはお江の方が主役やけんど、原作の中じゃあ、お福(家光の乳母の春日局)が昔土佐にかくまわれちょったっちゅう話が出てくると、宅間館長さんはおっしゃるがやき。


 このあたりから運動していきゃあ、面白いがやないかっちゅうがよ。


 また、本能寺の変が起きることを元親が知っちょったっちゅう設定で描きゃあ、さらに面白うなるっちゅうがやき。


 さらに、最近山本一力さんがオール讀物で、土佐七色紙を創製した養甫尼(長宗我部元親の妹)を主人公にした「花つぶて」を連載開始したき、このあたりの話も加えたらさらに面白いっちゅうがよ。


 また文治郎さんは、行政の方々にお願いしたいことはたったひとつ、史跡らあで妄想しやすいように、眺めを遮るような木らあは伐採してほしいっちゅうがやき。


 こんな楽しい話や興味深い話らあがドンドン飛び出したがやけんど、まとめとしちゃあ、今の教育にゃあ、フィールドワーク的な部分が欠如しちゅうがやないかっちゅうがよ。


 英語を学べじゃ、海外じゃ、グローバルじゃ言うけんど、まずは自分の生まれ育った郷土を知るっちゅうこと!これが一番の基やっちゅうことながぜよ!


 子供が家の近所で遊びゆう時、何かの石碑が立っちゅうとする。


 それが何かを子供に聞かれた時、両親や近所の人が、誇りを持ってそれをシュッと説明できるようながが理想やないかっちゅうがやき。


 そういう意味じゃあ、ボランティアガイドみたいな方々が、県内各地の地域におるっちゅうこと、牽引車になるような方々が各地域におるっちゅうことが、一番の街起こしになるがやないかっちゅうことで、2時間近うにわたった座談会は、無事終了したがぜよ。


 宅間館長さん、文治郎さん、そしてコーディネーターの大野さん、まっことありがとうございました!


 さてこぢゃんと長うなってしもうたき、この続きは明日のブログをお待ちくださいや!








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