「梅の花 みやこの霜に しぼみけり 伏見の雪は しのぎしものを」(坂本龍馬)
龍馬さんが度々使うた船宿、伏見寺田屋さんに向けて書かれたとされちゅう、龍馬さん詠草の和歌ながよ。
「梅の花は都の霜でしぼんでしもうたぜよ。伏見の雪はしのいじょったに。」っちゅう自然を詠うた和歌ながやけんど、ここにゃあまっと深い意味がありそうながやき。
以下はワシの空想で、この和歌をちくと深読みしたもんながよ。
まず、龍馬さんは才谷梅太郎を名乗りよったっちゅうことから、「梅の花」は龍馬さん自身か、または龍馬さんの信頼しちゅう誰かを象徴しちゅうと考えたがやき。
ほんでそれが、「伏見の雪」はしのいだけんど、「都の霜」でしぼんでしもうたっちゅうがやき、そりゃあ「尊王攘夷」の旗頭、長州藩のことやないかと考えたがよ。
「伏見の雪」っちゅうがは、「安政の大獄」らあの幕府による尊王攘夷派への弾圧で、それらあをものともせんと長州藩はしのいだがやき。
けんど「都の霜」、朝廷内の公武合体派がクーデターを起こし、尊王攘夷派を京から追放したっちゅう「8月18日の政変」以降は、長州っちゅう梅の花はしぼんでしもうた。
龍馬さんは一連のそんな流れをまっこと無念に思うて、この和歌を詠んだがやないろうかのう。
けんど、梅の花はしぼんでしもうたゆうたち、きっと来年になりゃあまた咲くがやき。
まだまだ長州は大丈夫じゃっちゅう思いも、ここにゃあ込められちゅうがやないろうかのう。