先日9月6日(月)、岐阜県大垣市の東さんっちゅう方から、こぢゃんと興味深いお手紙が届き、ほぼ同時に宅配便の荷物も届いたがやき。
まずお手紙の内容は、以下の通りやったがよ。
東さんは今から40年前の夏、当時中学3年15歳と中学1年13歳の2人の娘さんを連れて、土佐の高知に旅行に来られたがやと。
ほんで高知駅構内で娘さんが選んでお土産に購入されたがが、ヒョウタン型容器入りの司牡丹やったっちゅうがやき。
ほんでこれを機に東さんが思いついたがが、全国の地酒の変型容器コレクションやったがよ。
以来40年間、全国の酒容器を集めるがが趣味になったっちゅうがやき。
さらに和洋酒のミニチュア瓶や缶ビール、日本酒の箱酒らあも集めたっちゅうがよ。
けんど東さんも85歳になられ、もしご自身が亡くなられたらこのコレクションも捨てられてしまうっちゅうことで、大垣市のヤナゲン・デパート1階の丸忠果物店のご主人さんが意を汲んでくださり、地酒容器を全部引き取り飾ってくださったっちゅうがやき。
まっこと丸忠果物店のご主人さんは、素晴らしい方ながよ!
ほんで、ほとんどの酒容器は中はカラやけんど、一番最初に購入し、コレクションのキッカケになったヒョウタン容器の司牡丹は、ナント!中に酒が入ったまんま40年間過ごしてきたっちゅうがぜよ!
ほんじゃき東さんは40年目の節目に、この司牡丹をそのまんま里帰りさせちゃろうと思い立ったっちゅうがよ。
さらに東さんのお手紙の以下の文章に、まっこと目頭が熱うなってしもうたがやき。
「我が家を送り出すときは拍手して出します。無事に御社に着きましたら、四十年前の御社の社長様以下全社員の魂・精神(ココロ)が詰まったものであります、どうかこのエピソードをお話しくださいまして、拍手で迎えてやって下さい。(中略)司牡丹くん、四十年ぶりの帰郷、おめでとう。万歳三唱。」
そして宅配便の荷物を開けりゃあ、写真の通りのヒョウタン容器の司牡丹が!
モチロン拍手で迎えさいてもうたがぜよ。
ちなみに四十年前といやあ、昭和45年(1970年)で、ワシがまだ8歳の時。
司牡丹としたち、ワシの曾祖父で「司牡丹中興の祖」の竹村源十郎が、まだ会長として元気にしちょった頃ながよ。
曾祖父は、昭和53年(1978年)1月31日、97歳の天寿を全うしちゅうき、既に亡くなって32年になるがやき。
つまりこのヒョウタン容器の司牡丹は、「司牡丹中興の祖」竹村源十郎存命時の、おそらくは世界で唯一の忘れ形見やっちゅうことながぜよ!
そう考えたら、ワシゃあ思わず、曾祖父の胸像の隣に並べて、写真を撮ってしもうたがよ。
「ひいおじいちゃん!あなたの造ったお酒が、まだこの世にこうして残っちょりましたぜよ!」
さらに、実は荷物にも東さんからの通信が添えられちょって、「もの言わぬお酒になり変わりまして一言ご挨拶申し上げます」との書き出しで、以下の文章が書かれちょったがやき。
「私(司牡丹)は、いま四十年ぶりに懐かしの故郷佐川町へ帰ってまいりました。(中略)これからは永久社員としてご愛顧くださいますよう、心よりお願い申し上げご挨拶と致します。」
東さん、まっことありがとうございました!
四十年ぶりに帰郷した「司牡丹くん」は、今後は当社社内にある小売店「酒ギャラリー ほてい」の展示コーナーに解説付きで展示し、「永久社員」として大切に代々受け継がせていただきますきに。
是非、高知にお越しになられる機会がございましたら、あなたが大切に大切に40年間慈しんでくださった「司牡丹くん」が「永久社員」となったその勇姿を、一目ご覧になりにいらしてくださいませ。
あらためまして、心から感謝申し上げますぜよ!
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司牡丹酒造株式会社