「薄墨の 雲と見るまに 筆の山 門司の浦わに そそぐ夕立」(楢崎龍)
慶応3年(1867年)2月、龍馬さんは下関の伊藤助太夫さんから一室を借りて、そこでお龍さんと暮らすがやき。
ほんで、その年の春に伊藤家で催された歌会に夫婦で参加し、龍馬さんの和歌が2位になるがよ。
ちなみにその2位になった歌は、以前にご紹介した「心から のどけくもあるか 野辺は猶 雪げながらの 春風ぞ吹く」ながやき。
そん時に「私も退屈で堪らぬから」っちゅうてお龍さんが詠うた歌が、この和歌ながよ。
「薄墨を流したような雲かと思うたら、土佐の筆山みたいに水に映って筆のような形になった山やったがよ。門司港の浦に降り始めた夕立が、筆で文字を書いたみたいに降って、こんな景色を見せてくれたがやき。」っちゅうような意味やろか。
お龍さんが、「これは歌でしょうか」と笑いもって差し出したら、みんなあ「うまい、うまい」っちゅうて手を叩いてほめてくれたっちゅう逸話があるがやき。
この時にゃあお龍さんは土佐にゃあ行ったこたぁないきに、当然筆山は見たこたぁないがよ。
鏡川に映って筆の形になるっちゅう筆山の話を、龍馬さんから聞いたやろうお龍さんは、「いつかオマサンと2人で土佐に行って、ゆっくりそんな景色を眺めたい」っちゅう願望があったがやないろうか。
ほんじゃきわざとこの歌の中に折り込んで、龍馬さんにそんな気持ちを伝えようとしたがやないろかのう。