2011年01月18日

景気回復の鍵はニッポン!「愛国消費」ぜよ!

 今回のお薦め書籍は、「下流社会」の著者として有名な三浦展さんの最新刊、「愛国消費」~欲しいのは日本文化と日本への誇り~(三浦展 著 徳間書店 1200円+税 2010年12月31日発行)ながよ。愛国消費


 オビにゃあ、『景気回復の鍵は「ニッポン」だ!』、『「下流社会」の著者が新しい「消費の波」を解き明かす』、『いま急増中の「日本好き」による「日本買い」が始まる!』っちゅう言葉が踊っちゅうき、こりゃ日本酒業界のもんとしちゃあ読んじょかにゃあっちゅうことで、ワクワクしもって買うたがやき。


 内容はまずは、近年日本が好きやと考える若者が増えゆうっちゅう話からで、様々なデータの事例を挙げて解説されちゅうがよ。



 日本に生まれてきてよかったと考える若者は98%で、愛国心も増加傾向、旅行先は京都や熊野古道らあが人気、神社やお寺がちょっとしたブームやっちゅう具合ながやき。日本人の意識調査



 著者は、日本は明治以来、一貫して経済大国っちゅう「大きな物語」の実現を目指してきたっちゅうがよ。


 ほんで、東京オリンピックの直前ばあからは、日本国民みんなあが経済大国っちゅう「大きな物語」を共有できるようになったっちゅうがやき。


 1970年代になると高度成長が終わり、公害問題の深刻化、交通事故の増加など、「大きな物語」のもたらす矛盾も増大し、「大きな物語」の魅力は次第に色あせていったっちゅうがよ。


 「モーレツからビューティフルへ」ながやき。


 次の物語は「自分」。国民は国家や会社っちゅう共同体の物語やない、自分で自分の「小さな物語」をつくりはじめたっちゅうがよ。


 著者は、1980年代を「自分らしさがわからずマニュアル志向が強まる」と表現し、1990年代は、「本当の自分を探す」と表現しちゅうがやき。


 ほんで、そんな多様化の果てに、日本志向になったがやないかと分析するがよ。


 著者は、「まったく画一的であることは望まれんけんど、みんなあが全然違うっちゅう状態はお互いの共感を得にくうして、不安をもたらす」っちゅうがやき。


 ほんで、多くの日本人が安心して同一化でき、かつ自分らしさも否定せんですむもんは何かっちゅうたら、そりゃあ「日本」ながよ。


 ここに、「自分探し」が「日本志向」に反転する理由があるっちゅうがやき。


 さらに著者は、「総じて言やあ、日本的と言うても、京都の雅な貴族文化だけやのうて、むしろ、よりひなびた、地方の、庶民的、常民的な日本が注目されゆう」とし、「そりゃあ言うまでものう、そうした地方の中でこそ伝統が失われつつある、あるいはもはや瀕死の状態にあるっちゅう危機意識が強いことも手伝っている」っちゅうがよ。


 さらに現代日本を代表する知性である山崎正和氏の言葉、「今日の地域を貧しゅうしちゅうがは、たんに金銭的な富の欠乏だけやのうて、こうしたかつての文化力が衰退したという思いと、それに伴う誇りの喪失ながやないろうか。」を引用し、「地域の誇り」の重要性を説くところがポイントであり、本書において私(著者)が主張したいことをすでに言うて下さっちゅうっちゅうがやき。


 ほんじゃきこそ、日本人はいま、まさに地域への「誇り」っちゅう物語を触媒として、あらたにつながり、まとまろうとしゆうがやないかっちゅうがよ。


 抽象化された「日本」や「経済大国」としての「日本」が「大きな物語」で、個人の「自分らしさ」が「小さな物語」やとすりゃあ、地域への「誇り」を土台とする物語は、「中くらいの物語」やと言えるかも知れんっちゅうがやき。


 けんどそりゃあ、「自分らしさ」っちゅう極小化された物語らあよりは、はるかに確かな歴史があり、「正統性」がある。そういう物語を人々は求め始めゆうがやないかと、著者は言うがよ。


 ほんで、『どんな地方にやち、その地方なりに、たとえささやかでも歴史があり、物語があり、伝承や神話もある。伝統も文化もある。独特の生活や言葉がある。そういうさまざまな地方の文化が、新しい時代に適応しつつも、その地方ごとの「地方らしさ」を失わんかったら、日本にゃあ無数の個性的な文化が並び立つやろう。それは、たったひとつの「日本らしさ」がある国よりかもっと豊かな国であるに違いない。』っちゅうがぜよ。


 また著者は、マーケッターでもあるき、地方に講演らあで行っても、単に新しい店ができて古い店がつぶれるっちゅう現象自体を批判はせんっちゅうがやき。


 ほいたら何を話すかっちゅうたら、古い商店街がシャッター通りになるっちゅうことは、その街の歴史が失われるっちゅうことやと、商店街は単に物を売ってきただけながか、そんなはずはないろう、商店街は何百年も街をつくってきたやろう、人を育ててきたやろう、そのために祭りをしたり、消防団をつくったり、いろいろな努力をしてきたやろう、街の歴史の中で商店街は大きな役割を果たしてきたやろう、それが失われてえいがですか、ほいたら、人間としての歴史が消えますよ、と話すっちゅうがよ。


 そうすりゃあ、それまでは大型店に客を取られて憎たらしいっちゅう短期的な視点でだけ不平を述べよった商店街の人らあの「誇り」に火がつくっちゅうがやき。


 そうや、そんな目先の算盤勘定だけやない、先祖の代からずっとワシらあはこの街を育て、人を育ててきたがやっちゅう意識が醸成されるっちゅうがよ。


 そうなると、もっといろいろな角度から街の問題を考えるようになるっちゅうがやき。


 まっことおっしゃるとおりで、高知を筆頭に、日本全国の地方はこういう考え方で地域おこしをしていかにゃあイカンがやないろかのう。


 ほんで、「おわりに」で著者は、日本の人口減と高齢化を取り上げ、これを近代産業社会を担う労働力が減ることを意味する、つまり日本は否応のう、近代化のトレンドからはずれていくっちゅうことやと指摘するがよ。


 けんど、その近代化は、かつての製造業のように、多くの労働力を必要とする産業が主体となる、古いタイプの近代化ながやき。


 つまり、新しい別の産業が主体となって、労働者一人あたりの生産性が上がりゃあ話は別やっちゅうことながよ。


 その産業たぁ知識産業やと言われて久しいけんど、その知識産業のひとつの重要な核となる要素は文化であり、だからこそ、これからの日本は、日本の文化の中にも新しい知識産業のヒントを求めることになるはずやっちゅうがやき。


 だとすりゃあ、今、日本を好み、日本文化を愛する若い世代が台頭しゆうっちゅうことは、実は日本の将来を救う可能性にもつながるやろうっちゅうがぜよ!


 まっこと、まがりなりにも日本の伝統産業の末端におる日本酒蔵元にとって、また高知っちゅう地方に住むいち市民としても、こぢゃんと考えらされ、こぢゃんと鼓舞され、こぢゃんと希望を与えられた、そんな書籍やったがよ。


 「愛国消費」・・・ニッポン人必読の書ぜよ!





愛国消費 欲しいのは日本文化と日本への誇り
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