「なめれば“百薬の長”といわれるお酒には、科学を超越した素晴らしい効用がある」(佐々木久子)
雑誌「酒」(1955〜1997)の編集長で、評論家・随筆家の佐々木久子(1927〜2008)さんの言の葉ながよ。
佐々木さんといやあ、「越乃寒梅」を「幻の酒」として紹介し、地酒ブームに先鞭をつけられた、日本酒業界じゃあもはや伝説の存在ながやき。
その佐々木さんが、1977年に鎌倉書房より発行された「酒縁歳時記」の中に書かれちゅうがが、今回の言の葉ながよ。
そのご著書の中の、「昭和二十年八月六日」のところに、この言の葉はあるがやき。
この日は、広島に原子爆弾が落とされた日。
こん時佐々木さんは、爆心地から1.9キロっちゅう地点で被爆し、二階建ての家屋の下敷きになって、火の手がまわりはじめたころに、お母さまと共に救出されたっちゅうがよ。
ワシらあにゃあ想像もつかんような、地獄絵巻の惨状も描写されちゅうがやけんど、佐々木さんはこうも書かれちゅうがやき。
「七十五年は草木も生えぬ、といわれた広島である。被爆したものはみんな、誰も彼もが前途に絶望していた。生き長らうことができようなぞ、夢想だにしなかったのである。翌朝、目がさめて、ああ、生きていたのだな、と思う日々がつづいた。いつ復興するのか目処もたたない焦土広島で、大人も子供も、その日ぐらしの当てのない毎日をすごしていた。そんな状況の中で、“お酒が飲める”ということは奇跡にも近いことであった。」
ほんで、被爆されて大火傷を負うたりしたち日本酒を飲まれよった方々らあはみんなあ生き長らえたと、実名を挙げて書かれちゅうがよ。
佐々木さん一家も、髪が抜ける、身体に斑点がでる、目が見えにくうなる、白血球がへる・・・らあの典型的な原爆後遺症に悩まされ、お酒を飲まんお父さまは亡くなられ、お酒が飲めたお母さまと妹さんと佐々木さんは、救かったっちゅうがやき。
ほんで佐々木さんは、こう書かれちゅうがよ。
「誰の口からともなく“お酒を飲めば原爆症がよくなる”と伝わっていった。これを裏付けるように、東京工大の西脇教授は、『たしかにアルコールは放射能を排出する作用がある』と発表された。原爆後遺症にきく特効薬はないのに、なめれば“百薬の長”といわれるお酒には、科学を超越した素晴らしい効用があることを証明したのである。」
実はワシも生前の佐々木さんにお会いし、何度かお話を聴かいてもうたことがあるがやけんど、「被爆しながら、私がこんなに長生きできたのも日本酒のおかげ」と、度々おっしゃられよったことが、まるで昨日のことのように思い出されるがぜよ。