「すべての学問は人間交際のためにあるがぜよ。」(福澤諭吉)
あの「学問のすすめ」を著し、近大日本の「知」を創造した巨人、福澤諭吉さんの言の葉ながよ。
そんな学問の神様みたいな方が、すべての学問は人間交際のためにあるっちゅうて断言するがやき、こりゃあ重いがぜよ。
ワシらあはいったい何のために学ぶがか?
その疑問に対する答えが、人間交際のためやっちゅうがやきまっこと明快ながやき。
学ぶことによって知識の幅が広がりゃあ、人との出会いの幅も広がるがよ。
出会いの幅が広がりゃあ、そりゃあ自分の可能性の幅を広げることにもなるがやき。
可能性の幅が広がりゃあ、その人は成功する可能性も高うなり、成功すりゃあ世の中の役に立つ・・・。
そんな流れを福澤さんは考えたがやないろうかのう。
ほんじゃき、学ぶために学ぶ、社会的視点を無視した学問のための学問を、福澤さんはホンマの学問たぁ考えんかったがやろう。
何のために学ぶがか、何のために働くがか・・・そんな根本的な問いを、いま一度自らに問いかけてみろうぜや。