「自分自身の道を迷いもって歩きゆう子どもや青年の方が、他人の道を間違いのう歩きゆう人々よりか好ましゅう思うがぜよ。」(ゲーテ)
ドイツを代表する文豪、かのゲーテさんの言の葉ながよ。
たとえ迷いもって歩きよったち自分自身の道、つまり自分が真に心の底から求めゆう道を歩きゆうがやったら好ましいと、ゲーテさんは言うがやき。
ただしそりゃあ、子どもや青年の場合ながよ。
壮年を過ぎたら、もうそこで迷いよったらイカンっちゅうことながやき。
ほいたら、ゲーテさんが好ましゅうないっちゅう「他人の道を間違いのう歩きゆう人々」たぁ、どういう人々ながか?
ホンマは自分が真に心の底から求めゆう道やないに、周りや環境や時代らあのせいにして、他人の価値観で選んだ道を、迷いもせんと歩きゆう人々っちゅうことやないろうか。
その判断基準は、主体性じゃろう。
いかに自分自身の責任を自覚して、主体的に歩みゆうかが大事ながよ。
たとえ最初は他人の価値観で選んだ道やったとしたち、自分自身の心の底の価値観に照らし、自身の責任で改めてその道を選び、主体的に歩きゆうならば、そりゃあ自分自身の道を歩きゆうことになるがぜよ。