9月11日(日)は、ワシが理事長を務めさいてもらいゆう土佐学協会(http://tosagaku.cocolog-nifty.com/report/)と地域文化デジタルアーカイブ倶楽部の主催で、「土佐学協会・秋の収穫祭2011」として、「地域文化デジタルアーカイブ講座」が開催されたがやき。
まずは12時半ばあに、会場の高知県立図書館に集合。
この日はお天気も良うて、高知城の天守閣と追手門も、青空にこぢゃんと映えちょったがよ。
県立図書館前にゃあ、山内一豊像が建っちょって、後ろからやけんど、これもなかなか絵になるがやき。
ちくと会場の3階大会議室の準備らあをして、1階展示コーナーで9月1日〜9月15日まで開催中の、「第3回地域文化デジタルアーカイブ倶楽部記録発表展」を観さいてもうたがよ。
高知市内の新堀川の移り変わり、東久万の移り変わり、土佐の行事と隣県との違いらあの展示や、県内各地のお祭りらあの映像展示など、懐かしい風景や興味深い画像らあがいっぱいやったがやき。
特に新堀川の移り変わりの展示は、「新堀川」っちゅう書籍(高知市内の「金高堂」などで販売中)にもなっちょって、ホンマに大切なもんは何ながか、まっこと考えさせられるがよ。
また、コラボレーション展示として、写真家の武吉孝夫さんの「昭和51年の高知街」の写真も、多数展示されちゅうがやき。
昭和51年と、34年後(平成22年)の高知市中央部の変化は、「なんちゃあやない」写真といいながら、まっことこぢゃんと意味深いもんがあると感じるがぜよ。
この「第3回地域文化デジタルアーカイブ倶楽部記録発表展」、「過去からの変化・現在からの変化〜記憶のゆくたて、記録の語り〜」は、高知県立図書館1階展示コーナーにて、9月15日(木)まで入場無料にて開催中やき、是非皆さん奮ってお越しくださいや。
さていよいよ本番、3階の会場に戻って、13時から受付開始ながよ。
ポロポロとご参加者がいらっしゃり、結局予想以上の28名のご参加者にお越しいただけたがやき。
ご参加いただきました皆様、まっことありがとうございましたぜよ!
さて、13時半から開会。
まずは理事長のワシからのご挨拶ながよ。
東日本大震災以降、こぢゃんと多くの人々が、ホンマに大切なもんは地域の文化や人と人の絆らあやっちゅうことに気づきはじめたがやき。
そういう意味じゃあ、何気ない地域の日々の生活や暮らしや文化を、デジタルで保存しちょくっちゅうことの意義は、これから益々重要になってくるがやないろうか。
おまさんの家に眠っちゅう古いアルバムの一枚の写真が、あるいはおまさんがこれから撮影する何気ない一枚の画像が、もしかしたら将来、スゴイ宝物になるかもしれんがぜよ!
また、「キュレーションの時代」(「5月6日」のブログ参照)っちゅう書籍があるけんど、近年Webの世界じゃあ、「コンテンツが王の時代は終わった。これからはキュレーションが王や。」っちゅうて言われゆうがやと。
コンテンツは「内容」そのものの意味で、コンテキストっちゅうんは「背景・文脈」の意味やけんど、このコンテンツにコンテキストを加えて、新たな視座を与えてくれる人をキュレーターっちゅうがやけんど、こりゃあ学芸員っちゅう意味ながよ。
ほんで、そういう仕事がキュレーションながやけんど、今回講師としてご講演いただく、土佐山内家宝物資料館の藤田雅子さんは、まさにそのキュレーター、学芸員さんながやき。
コンテンツだけやのうて、コンテキストを加えて、きっとワシらあに新たな視座を与えてくださるやろうと思いますきに、まっこと楽しみながぜよ。
だいたいそんな感じのご挨拶をさいてもうたがよ。
ほんで、土佐学協会「地域文化デジタルアーカイブ研究会」座長の大野さんが、講師の藤田さんをご紹介。
ご講演の始まり始まりながやき。
タイトルは、「地域文化アーカイブズと歴史学」(〜現代を記録し、歴史資料として残すために〜)。
まずはじめに、地域文化を記録したアーカイブズの構築は、民俗学の分野だけやのうて、歴史学研究の素材としても重要な意味を持つっちゅうておっしゃるがよ。
ほんで、歴史学じゃあ資料(史料)をどのように考え、研究材料として扱うがかを知ることで、現代の記録をより史料としての価値が高い状態で残すことに役立つっちゅうがやけんど、確かにナルホドながやき。
【1】過去に学ぶ、歴史的変化と歴史的アーカイブズ(古文書資料)の特性
まず藤田さんは、時代はゆっくりと移り変わるっちゅうがよ。
ほんで、気をつけにゃあイカンがは、「江戸時代やったらいつでも同じ」やないっちゅうがやき。
例として、絵画資料に見るファッションの流行をあげて、解説してくださったがよ。
浮世絵らあで解説してくださったがやけんど、確かに江戸時代初期と中期や後期は、女性の着物姿がまったく違うちょって、ちくと驚きやったがやき。
帯は、紐みたいな形状やったががだんだん太うなり、袖は短うて丸みをおびちょったがが、幅も長さも倍ばあになっちゅうがよ。
また、現在当然と思うちゅうもんが、未来でも当然とは限らんっちゅうがやき。
例えば「今より先」ゆうたら未来のことやけんど、江戸時代じゃあ過去を指すっちゅうし、「当時」っちゅうんも、江戸時代にゃあ現在を指すがやと。
今ワシらあが使いゆう言葉も、未来にゃあまったく違う意味になっちゅうかもしれんがよ。
また、「残そう」っちゅう意識は“特別な物”に働くとして、資料っちゅうもんは偏って残るもんやっちゅうがやき。
災害や政変らあの特別な事件をまとめた記録、公文書や権利証書類、家宝らあの類いながよ。
つまり、当時の人にとって、身近なもんや当たり前のもんは、残りづらいっちゅうがやき。
ほんまはそういうもんが、歴史学的にゃあ欲しいがやけんどっちゅうがよ。
ほんじゃき、意図せんと残った資料が面白いっちゅうがやき。
そりゃあ、紙の裏側も使うた紙背文書や、ふすまの下張りらあに使われちゅう文書、あるいは蔵らあにしまいこんだまんま忘れられちょったもんとからあながよ。
それらあにゃあ、当時の人の日常の1コマを切り取ったようなもんもあって、こぢゃんと貴重な資料になることもあるっちゅうがやき。
ちなみに、旅行者の記録に史料的価値が高いもんがあるがも、おんなじような理由やっちゅうがよ。
まとめとしちゃあ、当たり前の記録こそ重要やけんど、なかなか残すがは難しいっちゅうことながやき。
ほんで、網羅的・体系的な把握や、長期間にわたる定点観測的な手法が威力を発揮し、また、歴史的な資料の保存と継承を行う時にゃあ、「選別」っちゅう作業は極力行わんほうがえいっちゅうがぜよ。
【2】「史料」と向き合う歴史学の知恵
過去の史料(文字資料)から、なるべく信頼のおける情報を抽出するにゃあ、「史料批判」っちゅう方法論があるっちゅうがよ。
そりゃあ、文書が成立した背景・記述の体裁・作成者の立場・思想らあをふまえて、信頼性の高い(嘘をつく必要のない)部分を情報源として用いるっちゅうことながやき。
また、複数の証言・記述を用いて実証精度を高めることも大事やっちゅうがよ。
人間は文化的な生き物やき、おんなじ民族やち時代によって感覚は変わるし、著者の個性も入るがやき。
結局、書いた人の目的にだまされんように、史料を引いて見るっちゅうことが大事やっちゅうがよ。
例えば、「江戸図屏風」は江戸城がかなり実際よりか巨大に書かれちょったりするけんど、そりゃあ明らかに政治的意図が入っちゅうっちゅうことながやき。
また藤田さんは、小御所会議を例にあげて解説してくださり、これがなかなか面白かったがよ。
明治政府による正史「七年史」と、「大久保利通日記」や、史談会速記録「福岡孝弟談話」らあは、会議のイメージがまったく違うがやき。
さらに海外のニュースにいたっちゃあ、明治維新は諸大名によるクーデターやっちゅうイメージやったりして、まっこと興味深いがよ。
ほんで、「史料的価値の高い」史料たぁ、情報が集まる立場におった人物による記録や、いつ・誰が・どんな目的で作成したからあが序文や奥書で明記されちゅうもんや、作者の経歴や役職や史料を読む上で参考になる情報が分かる人物が作成したもんや、「後世に伝える」っちゅう目的で客観的な姿勢を貫いちゅう記録らあやっちゅうがやき。
そういう意味じゃあ、宝永地震記録「谷陵記」(奥宮正明 著)は、記録資料に必要な全ての要素を兼ね備えた一級資料やっちゅうがよ。
また、簡単に手に入るもんとしちゃあ、「幕末百話」(篠田鉱造 著 岩波文庫)も、明治時代半ば、幕末を生きた古老の回顧談を採録した談話集で、これまた史料的価値が高いっちゅうがやき。
ラストに藤田さんは、現代の記録を歴史資料とするために心がけることとして、客観的な立場、公平な記録、時間・空間・種別の幅が広い網羅的な情報、あるいは定点観測による長期的な記録、「記録者」の記録、問題意識の提示らあをあげるがよ。
ほんで、身近なもんを少しずつ記録に留める息の長い取り組みが、地域の文化を後世に伝える上で有効やっちゅうて、締め括られたがやき。
藤田さん、こぢゃんと学びになる、また新たな視座を与えてくれるご講演、まっことありがとうございましたぜよ!
さてその後はちくと休憩をはさんで、予定通り15時25分から、大野さんが講師になって、「残しておきたい高知の暮らし、風景そして記憶・・・」っちゅうワークショップの開催ながよ。
まず、「個人の記録や記憶を、地域の記録へ」っちゅうことで、大野さんが中心になって、「NaKaMa project(なかまプロジェクト)」がスタートしたき、その解説があったがやき。
既にいくつかの記録が掲載されちゅうき、是非下記アドレスにてご覧くださいや。
「NaKaMa project(なかまプロジェクト)」(http://chiikibunka.sakura.ne.jp/)
ほんで続いては、ワークショップのスタートながよ。
参加者に事前にいただいちょった写真を使うて、高知の暮らしや風景の変化をみんなあで見ていくがやき。
まずはワシの提供さいてもうた写真は、昭和11年1月2日の司牡丹初荷の際の高知市内の写真らあながよ。
今は、はりまや橋交差点の堺町にある司牡丹高知支店が、この頃は現在の南はりまや町あたりにあったらしいがやき。
その当時の電車通りの様子らあがよう分かって、なかなかよう見りゃあ確かに面白いもんながよ。
清原先生提供の写真じゃあ、江戸時代から続きゆう本山町上関の奉納相撲の賞金がぶら下げられちゅう写真が、まっことビックリやったがやき。
この地でも相撲をする人がドンドン減っていきゆうらしいきに、こんな記録も、いつしかこぢゃんと貴重な記録になるかもしれんがよ。
吉澤さんの写真は、もはやのうなってしもうた大阪高知特急フェリーからの浦戸大橋と夕陽の写真と、これまたのうなる日に写したっちゅう土電バスの写真ながやき。
つい最近の写真やに、どっちももはや見ることができん風景じゃと思うたら、こぢゃんと郷愁をさそうがぜよ。
続いては、原さん提供の昭和8年頃の高知営林局の写真や、原さんが土佐高3年生の時のファイアストームの写真。
須崎の竹村さんのお祖父さんの、昭和元年の卒業写真。
坂本先生提供は、仁淀川町大山祇神社の神楽の写真。
土居さんの新堀川の移り変わりの写真。
山本さんの、土佐山村広瀬で約400年の歴史を持つ、仁井田神社の秋祭りの写真・・・etc.
新たな視座をもって眺めてみりゃあ、どの写真もまっこと宝物のようにキラキラ輝いて見えるがよ。
尚、これらあの写真も「NaKaMa project(なかまプロジェクト)」(http://chiikibunka.sakura.ne.jp/)に掲載予定やき、是非興味のある方はご覧くださいや。
こうして16時半ばあにワシの閉会のご挨拶で、「土佐学協会・秋の収穫祭」としての「地域文化デジタルアーカイブ講座」は、無事お開きとなったがやき。
ご参加いただきました皆様、そして講師の藤田さん、まっことありがとうございました。
また、土佐学協会の皆様、地域文化デジタルアーカイブ倶楽部の皆様、まっことお疲れ様でした。感謝感謝ながよ。
そして大野さんにゃあ、スペシャルサンクスぜよ!
土佐の高知の日本酒蔵元「司牡丹」の公式ホームページは、こちらをクリック!
司牡丹酒造株式会社