2011年09月19日

幸せの言の葉〈513〉

「真の自信は畢竟(ひっきょう)すりゃあ、我自ら我が心の天に知られたるの意識にあらずや。」(綱島梁川)


明治時代の倫理学者・思想家、綱島梁川(つなしまりょうせん)さんの言の葉ながよ。


意味は、「真の自信たぁ最終的にゃあ、自分自身のことを、自分の心の天に理解されちゅうっちゅう意識やないろうか。」っちゅうことになるろうか。


「我が心の天」たぁ自分自身が信じる宇宙観や人間観、あるいは究極的な存在っちゅうことやろうし、宗教的にいやぁ「神様」のことになるろう。


そんな「我が心の天」が、自分自身のことを誰よりもよう理解してくれちゅうっちゅう意識を持つことは、確かに究極の真の自信につながるがやき。


なんぼ自信があるっちゅうたち、その拠って立つところのもんが薄弱やったら、そりゃあ根拠のない自信ながよ。


けんど、その拠って立つところのもんが「我が心の天」であり、その存在が「神様」レベルにまで昇華されちょって、そんな存在から自分のことがよう理解されちゅうと意識できるがやったら、そりゃあこれ以上の自信はないがやき。


自分の人生の全てを、「我が心の天」に照らしてみても一点の曇りもないっちゅうことやき、そりゃあ凄まじいばあ深い自信になるがよ。


「我自ら我が心の天に知られたるの意識」・・・なかなかそこまでの自信を持つこたぁ難しいろうけんど、ちびっとばあはそんな意識を持っちょきたいもんじゃのう。



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