「人間は習慣の束ぜよ。」(デイヴィッド・ヒューム)
スコットランドを代表する哲学者・歴史学者・政治思想家、デイヴィッド・ヒュームさんの言の葉ながよ。
短い言の葉やけんど、まっこと考えりゃあ考えるばあ深い言の葉ながやき。
自分の1日を振り返ってみたち、ほとんどの行動が「習慣」やないかよ?
朝、目覚ましで起きるがも習慣、顔を洗うがも仕事に向かうがも、電話が鳴りゃあ電話に出るがも習慣、車の運転やち習慣で無意識に運転しゆうがよ。
そうやって考えていきゃあ、ほとんどの行動が習慣となっちゅう行動やと気づくがやき。
ほんで、習慣になってない行動は、経験の少ない新しいことやき、無意識じゃあできんし、ちくと苦労を伴うがよ。
けんど、その新しいことでも、それがいかに難しいことやったとしたち、経験を積んで習慣にさえなりゃあ、ほとんど無意識に、苦ものうできるようになるがやき。
例えば普通の人が、飛行機の運転をせえっちゅうて言われたち、そりゃこぢゃんと苦痛やし、そう簡単にできることやないろうけんど、それがパイロットやったら、ほとんど無意識に、鼻唄まじりで運転できるはずながよ。
これが習慣の力ながやき。
自分はどんなことを習慣にしちゅうか、いっぺんばあ考えてもうぜや。
それらあ自分の習慣が束になったもんが、自分っちゅう存在そのものながよ。
ほいたらこれから、どんなようない習慣をやめるぜよ?
どんな新しい、えい習慣をつくるぜよ?