「臆病でためらいがちなもんにゃあ、すべてが不可能ながよ。なんでかゆうたら、すべてが不可能に見えるき。」(ウォルター・スコット)
スコットランドの詩人、作家のウォルター・スコットさんの言の葉ながよ。
結局、臆病でためらいがちな人は、すべてが不可能に見えてしまうき、現実にすべてが不可能になってしまうっちゅうことながやき。
ほいたら、逆もまた真やないかよ。
臆病の反対は豪胆、肝が太いっちゅうこと。
ためらいがちの反対は決断力があるっちゅうことやろか。
ほいたら、肝が太うて決断力がある人は、大抵のことが可能に見えるき、大抵のことが実際に実現可能やっちゅうことになるがよ。
けんど考えてみりゃあ、現実にゃあ臆病でためらいがちなだっけの人らあておらんように、現実にゃあ肝が太うて決断力があるだっけの人もまたおらんがやき。
臆病も豪胆も、ためらいがちな部分も決断力がある部分も、誰やち全部を1人の中に併せ持っちゅうっちゅうんが真実ながよ。
あとはセルフイメージの問題だけながやき。
つまり、自分で自分をどんな人間やと思うちゅうかながよ。
臆病でためらいがちやと自分で自分にレッテルを貼っちゅう人は、すべてが不可能に見えるき、実際にすべてが不可能になる。
肝が太うて決断力があると自分で自分にレッテルを貼っちゅう人は、大抵のことが可能に見えるき、実際に大抵のことが実現可能になるがやき。
あとは、自分は何を選択するがか、それだけながぜよ。