2011年11月05日

幸せの言の葉〈528〉

「人間の仕事っちゅうもんは、それが文学やち、音楽やち、絵やち、建築やち、そのほかなんやったち、いつじゃちだれやちその人の自画像ながぜよ。」(サミュエル・バトラー)


イギリスの作家・詩人の、サミュエル・バトラーさんの言の葉ながよ。


文学や音楽や絵や建築らあやったら、確かに仕事がその人の自画像やっちゅうんは、誰やち何とのう分かるろう。


けんどバトラーさんは、そのほかなんやったち、いつじゃちだれやち、仕事はその人の自画像やっちゅうがぜよ。


毎日毎日、来る日も来る日も、いやいやルーティンワークをしゆうサラリーマンやったとしたら、そのイヤイヤがその人の自画像やっちゅうことになるがやき。


それをホンマにその人の自画像やっちゅうて、絵画にでもされて見せられたとしたら、その人やちイヤやないかよ?


特に女性やったら、毎日ちっとでもキレイになりたいと思うて入念にメイクしたり、ダイエットしたり、オシャレしたりしゆうかもしれんけんど、そんな一見外見的に美しゅう見える人やち、もしイヤイヤ仕事をしよったとしたら、それがその人の真の自画像やっちゅうことになるがよ。


日々の、時々刻々の、自分の目の前の仕事に対して、どういう気持ちで、どんな態度で臨むかっちゅうことが、どんな自画像を描いていくかっちゅうことながやき。


例えば、お茶汲みひとつやち、一本の電話応対やち、イヤイヤやるがと機嫌よう笑顔でやるがとは、もちろん相手に与える印象も違うろうけんど、自分の自画像もまったく違うもんになるっちゅうことながよ。


やりゆう仕事自体に上下や貴賤がある訳やのうて、その仕事に対する自分の気持ちや態度で決まるっちゅうことながやき。


自分の一生をかけて、ブサイクな自画像を描き上げたい人らあて、誰っちゃあおらんがやないかよ?


この記事へのトラックバックURL