「父親が子どもに語る話は、世間にゃあ聞こえんけんど、彼の子孫にゃあ聞こえるがよ。」(ジャン・パウル)
ドイツの小説家、ジャン・パウルさんの言の葉ながやき。
この言の葉にゃあ、まっことハッとさせられたがよ。
世のお父さんらあは、仕事の中で世の中に何かを残そうと、一生懸命働きゆうがやき。
ほんじゃき、仕事の現場で自らつかみとったもんを、言葉にして周囲に伝えることで、世間に対して足跡を残そうとするがよ。
それが自分の生きた証しであり、自分の働き甲斐でもあるがやき。
けんど実は、言葉を世間に伝えるっちゅうだっけじゃあ、そりゃあ世の中を横軸だっけでしかとらえてないっちゅうことながよ。
世の中っちゅうんは、自分を中心に考えりゃあ、横軸に世間があるがやき。
中心から左右に離れりゃあ離れるばあ、自分から遠い世間になるがよ。
さらに世の中にゃあ、縦軸もあるがやき。
これが先祖と子孫の血脈ながよ。
縦軸を上に行きゃあ行くばあ先祖を遡り、下に行きゃあ行くばあ、遠い未来の子孫にたどりつくがやき。
世の中は、この世間っちゅう横軸と、血脈っちゅう縦軸が網の目のように広がったもんやと、たとえることができるがよ。
ほいたら自分の生きた証しを、世間っちゅう横軸だっけに伝えるがやのうて、血脈っちゅう縦軸にもキチンと伝えるべきやないかよ。
外じゃあこぢゃんとえい話をしゆうお父さんが、家に帰ったら子どもに、「勉強しなあさい」とか「早う寝なさい」とかの小言しか言わんかっから、せっかくの縦軸に、何ちゃあ伝えることができんなってしまうがやき。
いま子どもに語る話は、その子どもの後ろにおる、まだ見ぬ大勢の子孫らあに向こうて語ることじゃっちゅうて思うたら、子どもに語る話も、変わってくるがやないろうかのう。