「努力によって得られる習慣のみが善ながぜよ。」(イマヌエル・カント)
ドイツ観念論哲学の祖、知の巨人カントさんの言の葉ながよ。
習慣は最強ながやき。
習慣にさえなってしまやあ、大抵のこたぁほとんど無意識に、何の苦労ものう実践することができるがよ。
たとえば、1日1語だっけ英語の単語を覚えると決めたとしたら、やっぱし最初は面倒で苦痛やき、だいたい1ヶ月〜3ヶ月以内で挫折してしまうもんながやき。
けんどだいたい3ヶ月を越えりゃあ、それが当たり前になって苦痛でも何でものうなって、無意識のうちにできるようになるもんながよ。
これが習慣の力ながやき。
この習慣の力を利用して、ちんまい習慣を積み重ねていくことが、天才への道やったり、成功者への道やったりするがぜよ。
けんどカントさんいわく、その習慣にゃあ善と悪があるっちゅうがよ。
「努力によって得られる習慣のみが善」やっちゅうこたぁ、「努力を伴わんと得た習慣」は善悪どっちともつかんもんもあるろうけんど、「善」はのうて「悪」も入っちゅうっちゅうことながやき。
考えてみりゃあ、「善の習慣」は、習慣になってしまやぁ努力はいらんけんど、最初のうちは努力がいったろうがよ。
歯みがきの習慣やち、子供の頃は努力せにゃあ習慣化できざったはずながやき。
けんど、たとえば「他人の悪口を言う」とか「何じゃち他人のせいにする」とかっちゅう習慣は、最初っから何ちゃあ努力のいらん習慣、つまりは悪の習慣ながよ。
悪の習慣を減らして、善の習慣をチビッとずつやち増やしていきたいもんじゃのう。