2012年01月08日

幸せの言の葉〈544〉

「教育たぁ、学校で習うたすべてのことを忘れてしもうた後に、自分の中に残るもんをいうがよ。」(アルベルト・アインシュタイン)


20世紀最大の物理学者、アインシュタインさんの言の葉ながやき。


学校で習うたすべてのことを忘れてしもうた後に、自分の中に残るもんち何やろう?


習うたすべてのことを忘れちゅうがやき、当然習うたこたぁ残ってないがよ。


ほいたら何が残っちゅうがか?


そりゃあ習うたことやないとしたら、自分でつかんだことやないろうか。


習うばっかしの学校での過程の中で、自分で疑問を持ち、自分で考え、自分でつかんだことは、習うたことを全部忘れたち、自分の中にゃあ残っちゅうがやないろうかのう。


それこそが教育じゃと、かの天才アインシュタイン博士は断言するがやき。


「教育」っちゅう日本語は実はまだ歴史が新しゅうて、明治初期に英語のエデュケーションの訳として作られた言葉ながよ。


「教育」っちゅう漢字やと教え育むっちゅうことになるがやけんど、本来のエデュケーションの意味としちゃあ、実は「本来備わっちゅう個々の能力を引き出す」っちゅう意味になるがやき。


「教育」の本来の意味がそういうことやったら、やっぱしアインシュタインさんの言う通りながよ。


習うたことやのうて、自分の中から引き出されたもん。


それこそがすべてを忘れてしもうたち、自分の中に最後まで残るもんながぜよ。



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