「あるできごとが、その人の運の善し悪しに関係するこたぁ確かながよ。けんどそこにゃあ、その人物のふだんの行いっちゅう要素が影響しちゅうことも確かながやき。結局、自分の運をどう発展さいていくかは、その人の手中にしかないがぜよ。」(フランシス・ベーコン)
イングランド近世の哲学者・神学者・法律家、ベーコンさんの言の葉ながよ。
新年に初詣らあに行って、神様に今年の開運を祈る人も少のうないろう。
「運」っちゅうたら、もはや自分の力は及ばんき、神頼みしかないと思うかもしれんけんど、かのフランシス・ベーコンさんは、それだけやないっちゅうて言いきるがやき。
確かに「運」の善し悪しはあるろうけんど、そこにゃあその人のふだんの行いっちゅうもんが影響しちゅうっちゅうがよ。
「ふだんの行い」っちゅうんがミソながやき。
日常の何げない日々の営みの中で、ある人がどういう口癖やしゃべり方の傾向があるか、どういう考え方の傾向があるか、まわりで見よったら何とのう分かりゃあせんかよ。
いっつもグチや人の悪口ばっかり言いゆう人は、まわりも助けちゃりたいたぁ思わんき、自ら「運」から遠ざかりゆうようなもんながやき。
反対に、いっつも笑顔で人を楽しませたり喜ばせたりする発言をしゆう人は、まわりも何とか力になっちゃりたいと思うもんやき、「運」を招きゆうようなもんながよ。
結局「運」の善し悪しも、実はその大半は自らが引き寄せゆうっちゅうことながぜよ。