「ワシゃあ誰の意見にも賛成しとうない。ワシゃあ自分の意見を持っちゅう。」(イワン・セルゲーエヴィチ・ツルゲーネフ)
19世紀ロシアを代表する小説家、ツルゲーネフさんの言の葉ながよ。
単純に「誰の意見にも賛成しとうない」人は、世の中にゃあいっぱいおるがやき。
けんど、そういう「反対ばっかしする人」は、実は「ほいたら代替案は?」っちゅうて聞いてみりゃあ、自分の意見らあ何ちゃあ持っちゃあせんかったりするもんながよ。
要するに他人の意見のアラ探しをしたり、重箱の隅をつっついたりして、素直に賛成せんことをもって、自分の意見やと思い込んじゅう人ながやき。
そういう人は、自分は賢いと思うちゅうかもしれんけんど、評論家ぶって他人の意見に文句をつけるだけやったら、そりゃあ実は誰やちできるしーよいことながよ。
本当に難しいがは、ほんで本当に大切ながは、「自分の意見を持っちゅう」ことながやき。
つまりツルゲーネフさんは、「誰の意見にも賛成しとうない」っちゅうがやったら、「自分の意見を持っちゅう」っちゅうことが必要じゃと言いたかったがやないろうかのう。
また、この「自分の意見」っちゅうんもクセモノながよ。
「自分の意見」やと思うちょったち、実はそりゃあ「他人の意見の借り物」やったっちゅうことが往々にしてあるがやき。
もちろん他人の意見を参考にするこたぁ大切やし、それがなけりゃあ自分の意見を進化させることも難しいがよ。
他人の意見やちそれを咀嚼して、キチンと自分の言葉で語ることができて初めて、その意見は「借り物」やない「自分の意見」となることができるがやき。
そんな「自分の意見」を持つことができて初めて、ホンマに「誰の意見にも賛成しとうない」と言うことができるっちゅうことながぜよ。